特集:鹿島新時代を拓く

Chapter IV 新役員のプロフィール

第108期定時株主総会終了後に開催された取締役会において10名の新役員が選任された。就任にあたっての抱負などを聞いた。
執行役員 東京事業本部次長 林 暁(はやし あきら)
 1988年の旧土木本部,建築本部の統合を,旧建築本部経理部審査課長として迎えた。「土木と建築の現場のあり方,考え方やシステムの違いを越えて共通して流れる熱い鹿島魂を目の当たりにして,良い勉強ができた」と振り返る。その体験が新生東京事業本部の舵取りに活かされる。「既存の枠組みから一歩を踏み出し,スピード感あふれる行動で本部長を補佐したい」と語る。
 好きな言葉は福沢諭吉の「独立自尊」。仕事を遂行する上での心構えは「誠心誠意」。そしてその大前提としての「和」を強調する。「他人にもたれかかるのではなく,それぞれの個人が求められる役割を果たしながら,チームとして纏まれば,そこに大きな力が生まれる」という。
 趣味はゴルフ。愛車を駆って岬巡りにも出かける。曙光に浮かぶ三陸海岸・北山崎の雄大な景観は,いまも鮮烈な記憶の中にある。また,家族と一緒にド迫力の大画面でサッカー観戦を楽しむ。日本が来年のワールドカップ出場を決めて機嫌がいい。
1945年生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部経済学科卒業,同年鹿島入社。1991年東京支店支店長室次長,1993年秘書室次長,1997年秘書役。三重県出身,60歳。
執行役員 東京土木支店長 田代 民治(たしろ たみはる)
 手掛けたダムは川治,厳木,宮ヶ瀬,温井・・・。ビッグネームが並ぶ。自他共に認めるダム屋さんである。この5年間は東京支店土木部長として都市土木の采配を振るった。豊富な蓄積をベースに,東京土木支店の初代支店長に大きな期待がかかる。
 「顧客に対する提供価値の高いものづくりをして,他社に負けない競争力をつけたい」。昨年は自然災害が多発したが,都市防災を含めて,土木技術者は水への備えも真剣に考えてほしいと力を込めた。ダムに心血を注いだプロからの注文だ。
 「新しきに向かって前進」。川治ダム現場を視察に訪れた松尾専務(当時)が書かれた色紙の言葉である。それが自らの信条になった。常に改善を積み重ねて,常に前向きの姿勢で歩もう――。それを実践してきたつもり,という。
 学生時代は少林寺挙法に熱中した。川治ダム時代には地元の駅伝に参加して鹿島チームを準優勝に導いたこともあった。時を経て体形は丸みを帯びたが,「健康管理をしっかりやる。飲み過ぎにも注意したい」と宣言してみせた。
1948年生まれ。1971年東京大学工学部土木工学科卒業,同年鹿島入社。1994年横浜支店宮ケ瀬ダム本体JV工事事務所長,1995年広島支店温井ダムJV工事事務所工事長,2000年東京支店土木部長,2004年東京支店副支店長兼土木部長。福岡県出身,56歳。
執行役員 関東支店副支店長 岡部 信宣(おかべ のぶよし)
 国技館,都庁,テレコムセンターなど旧建築本部〜東京支店の大規模現場を経験した。所長として最後の現場になったのが東京スタジアム(現:味の素スタジアム)。「ここが一番思い出深い」という。
 地組みした大梁を巨大なクローラクレーンで吊り上げる。作業は,隣接する飛行場の航空機の離着陸を避けて夜間に行う。それは,さながら宇宙ステーションの建設のような光景だったという。
 東京支店から関東支店に転じて1年半。「建設市場は厳しい状況にあるが,コスト競争を勝ち抜き,収益力の強化を図りたい」。それには,風通しの良い組織を構築し,全員が一丸となって取り組める風土の醸成が大切という。
 性善説を採る。「何事にも一生懸命,誠心誠意を心掛ければ,相手も判ってくれるのです。難問も解決できる」。
 歴史小説が好き。「『宮本武蔵』(吉川英治 著)は面白かった。今は『鬼平犯科帳』(池波正太郎 著)」。休日はガーデニングに精を出す。ベランダには鉢植えが40鉢も。季節の変わり目は,土の入れ替えですこぶる多忙である。
1947年生まれ。1969年東京工業大学建築学科卒業。1971年同修士課程(建築学科)修了,同年鹿島入社。1998年東京支店東京スタジアム建設工事事務所長,2000年東京支店第三建築営業所長,2004年関東支店副支店長。東京都出身,58歳。
執行役員 建築設計本部副本部長 林 幸雄(はやし ゆきお)
 超高層ビルに憧れて鹿島に入社。京王プラザホテル,新宿三井ビル,新都庁舎など数多くの超高層ビルの構造設計に従事した。「常にエンジニアとしての自負と自覚を持て」が信条。歩んできた道に幸せを感じているという。
 「ますます建築,構造,設備のコラボレーションが求められる時代になる。技術者として何をやりたいのかを認識し,はっきりと物を言って,やりたいことを判ってもらう」。部下にもアドバイスをする。
 近年,地震が多発し,地震被害や地震リスクに対する社会的な関心が高まってきている。「地震に対する安全と安心が求められる現在,受注に向けて付加価値の高い技術提案が必要」という。具体的には「耐震・制震・免震技術を高品質,低コスト,短工期で実現するため,絶え間ない技術開発と戦略的な技術提案が不可欠」と,熱っぽく構造技術のエンジニア魂を説く。
 趣味はゴルフとスキー。休日を使って日本全国すべての海岸線をマイカーで走破する計画を進めている。目下,秋田県を南下中である。
1945年生まれ。1969年早稲田大学理工学部建築学科卒業,同年鹿島入社。1997年建築設計本部構造設計部長,2001年建築設計本部次長,2003年建築設計本部副本部長。兵庫県出身,59歳。
執行役員 土木設計本部長 山本 正明(やまもと まさあき)
 入社間もない頃,関越自動車道沿いの高坂C.C.(埼玉県東松山市)のゴルフシェルター(ゴルフボールの防護ネット)工事を担当した。「うれしくて,完成後何度も見に行きました」という。今も車で通るたびに当時描いた図面を思い出す。忘れ難い工事の一つである。
 受注拡大,利益向上にいかに貢献するか。それには「設計技術の整備と強化を図ること,支店や現場と連携して土木設計の案件をふやしていくことが肝要」と言い切る。
 「組織の進化を継続させるには常に新しい挑戦が必要」を持論とする。様々な民族の価値観の多様性を肌で感じたことこそ,アメリカ留学(イリノイ大学)で得た最大の成果と,当時を振り返る。常日頃から自らの行動を律する言葉は四つ。「前進」「正論」「公開」そして「公平」である。
 読書家。通勤時間に読破する本は1ヵ月20冊以上にもなる。健康維持で始めたジョギング歴は15年。千葉マリンマラソンで有森裕子さんと一緒に走った本格派である。最近は花や風景を被写体にカメラに熱中と,趣味も多彩だ。
1947年生まれ。1969年大阪大学工学部構築工学科卒業。1971年同修士課程(土木工学科)修了,同年鹿島入社。1994年土木設計本部設計技術部長,・・・2001年土木設計本部長。兵庫県出身,米国イリノイ大学工学博士(Ph.D),58歳。
執行役員 営業本部副本部長 石井 日出男(いしい ひでお)
 何事にも自分を飾らず,あるがままの姿で事に当たりたい――。それをずっと心掛けてきた。つまりは「平常心」「自然体」である。
 東京での仕事は14年ぶりになる。「受注は利益の先行指標で,会社の勢いを示すバロメーター。部員のモチベーションを高め,各々の持つ能力が最大限に発揮できる環境づくりに貢献したい」と,意欲を燃やす。
 13年前,関西営業本部(当時)に異動した。そこで最初に手掛けたのがモード学園大阪校新築のプロジェクト。やりがいを強く感じた仕事として印象深い。昨年,高野山がユネスコの世界遺産に登録されたが,たまたま金剛峯寺の宝物収蔵庫新築工事を完工させた直後のことだったので,その営業過程も含め思い出深い工事。
 趣味の登山は中学3年生の時に始めた。入社して約20年間遠ざかっていたが,ある時一念発起して「100名山完登」を宣言。いまでは残り2峰にまで迫った。休日には京都,奈良で寺院散策,スケッチも楽しんでいたという。
1948年生まれ。1970年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業,同年鹿島入社。1995年関西営業本部営業部長,1999年関西営業本部営業統括部長,2001年関西営業本部副本部長。東京都出身,57歳。
執行役員 建築管理本部副本部長 永田 賢了(ながた けんりょう)
 コンピュータの誤作動が心配された「2000年問題」の責任者として,東京支店で陣頭指揮を執った。万全を尽くし,周到に準備したつもりでも,万一の事態がつい頭をよぎる。元日の朝,無事乗り切った達成感と安堵感と疲労感は忘れられない,という。「カウントダウンのプレッシャーで,寿命が縮みそうでした」。
 施工の設備系社員として初の役員となった。責任の重さと期待の大きさを感じると,謙虚に心境を語りながら,「設備系の多くは現場勤務。彼らに希望を与えられるよう,力の限りを尽くしたい」と意欲を示す。
 「人生,他人に喜ばれてなんぼ」を持論にする。多かれ少なかれ人は他人に迷惑をかけて生活している。それなら人にかける迷惑よりも,もっと人に喜んでもらう方を多くして一生を終りたい。自らの人生観でもある。
 『ローマ人の物語』(塩野七生 著)を愛読中。「管理者として学ぶべき教訓が多いから」と,周りの人にも薦めている。他にもガーデニング,ジョギング,ゴルフ・・・と趣味は幅広い。
1947年生まれ。1966年佐世保工業高校卒業,同年鹿島入社。2000年東京支店建築部設備工事管理部長。長崎県出身,57歳。
執行役員 建築設計本部副本部長 長谷川 俊雄(はせがわ としお)
 KIビル「香り環境制御システム」の生みの親。ビジネス環境の先進的モデルを演出した。「この空調システムも快適環境のための一つの提案にすぎない」と謙虚だが,斬新なアイデアと実行力は周囲の誰もが認めるところ。
 民間建築市場の厳しい受注競争を勝ち抜くには,顧客の事業企画にまで踏み込んだ提案が求められる。それには「設計の上流側の技量及び品質・機能とコストの相関を加味した“グレード別設計”が不可欠」と持論を展開。「建築と設備の融合を図った環境配慮型設計の推進に,設備系社員が一丸となって貢献していきたい」と,抱負を語った。
 「旧来に囚われるな」を信条とする。技術屋は常にチャレンジ精神を持ち続けなければならない――。後に続く技術者へのアドバイスでもある。
 趣味は15年前に始めた海釣り。休日は東京湾でカワハギ,白ギスなど小物釣りに精を出す。釣った魚は水彩画にした後,手早く料理する。魚の絵は年賀状にもなる。釣られた魚も以って瞑すべしである。
1947年生まれ。1971年東北大学工学部機械工学科卒業,同年鹿島入社。1997年建築設計本部設備設計部長,2001年建築設計本部次長,2003年建築設計本部副本部長。埼玉県出身,57歳。
執行役員 営業本部副本部長 内藤 徹(ないとう とおる)
 「業界のトップ企業になるには,他社に負けない営業本部の構築に全力を尽くすこと」と強い決意を示す。入社以来,民間建築の営業畑を一筋に歩んできた。
 10年ほど前,梅田営業本部長(当時)の方針で,新たに学校,医療といった分野毎の営業にチャレンジすることになった。「学校チームに所属したのですが,学校法人に潜在的な顧客がいかに多いか,改めて良く判った。目からウロコが落ちる思いでした」と振り返る。
 好きな言葉が「気概」。信条は「できない理由を探すな」。壁にぶつかって自らの力で克服するには困難と感じた時,心の糧にしていると話す。数年前に読んで感銘を受けた渡部昇一氏の著書の一節だという。
 いま料理教室に通って,和食と中華を勉強中。得意メニューはタンシチューと4〜5時間かけて煮込むトンポーロー(豚の角煮)。家族の評価も高いと自己採点。最近ご無沙汰気味の映画鑑賞も・・・といきたいところだが,営業最前線の指揮官には少々無理のよう。
1946年生まれ。1971年早稲田大学法学部卒業,同年鹿島入社。1994年営業本部営業部長,1998年営業本部営業統括部長,2002年営業本部副本部長。東京都出身,59歳。
執行役員 横浜支店長 押味 至一(おしみ よしかず)
 新入社員で配属されたのが横浜支店だった。支店の上司や先輩が今の自分をつくってくれたと感謝することしきり。そしていま横浜支店の舵取りを任され,育ててくれた支店に恩返しする番と語る。
 目指すのは社員一人ひとりが仕事に喜びを感じ,思いやりのある,元気な支店。そのためには「多くの人の意見を聞き,今何をしなければいけないか,明日のために何を準備するべきかをきちんと整理すること」という。
 思い出深い現場に,日東土地藤沢ビル(旧三洋証券藤沢支店)工事をあげる。初めて所長として担当した現場だ。「コールビジョンと呼ばれるテレビ電話システムを現場に導入したのです」と懐かしげに語る。
 ここでの経験から,建設業は人と人のつながりが他業種以上に大切であることを知った。「常に相手の気持ちになって考えるということです」。支店経営の根幹もここにある。
 40年(?)愛煙したタバコを,56歳を迎えた今年の誕生日を最後にやめた。「引き換えにこんなに体重が増えるとは」と,思わぬ後遺症?に悩んでいる。
1949年生まれ。1974年東京工業大学工学部建築学科卒業,同年鹿島入社。1989年横浜支店日東土地藤沢作業所所長,1994年横浜支店三井不動産大森本町マンション新築工事事務所長,・・・2003年横浜支店次長。神奈川県出身,56歳。
退任
代表取締役副社長(常任顧問に就任)
代表取締役副社長(常任顧問に就任)
専務取締役(常任顧問に就任)
常務取締役(顧問に就任)
常務取締役(顧問に就任)
岩松 良彦
庄子 幹雄
清水 太三郎
生井 敬一郎
五十嵐 久也



Chapter I   インタビュー 中村新社長に聞く
Chapter II  取締役会の改革,執行役員制度の導入
Chapter III 社長を退任するにあたって
Chapter IV 新役員のプロフィール
Chapter V  組織の再編