特集:500号記念


その1
KAJIMA500号の
変遷
社内報の役割には,経営の理念や方針の伝達,社員間のコミュニケーションの向上を図ることがあげられます。しかし企業環境の変化や,企業の成長・発展段階に応じて,この果たす役割も時代とともに変化しています。ここでは,“KAJIMA”が時代の変遷とともに,社内外に対しどのような役割を担ってきたかを時代背景と照らし合わせ探っていきたいと思います。

社内報としての価値を高めた
59〜70年代後半

 わが国は,敗戦による荒廃から奇跡的な復興を遂げました。オリンピック景気などによる高度成長,二度のオイルショックを経験するなどして経済大国の仲間入りをします。当社においては,日本初の超高層ビル「霞が関ビル」など次々と大型プロジェクトを手掛け,年間受注高が世界一となりました。また業績だけでなく,会社組織や規模も急激に拡大していきました。
 本誌では,このような当社の急速な発展に合わせ,毎月経営トップの方針や,業界を代表する意見などを毎号にわたり,積極的に社員に周知しました。それは,訓示・インタビュー・座談会など,様々なかたちで掲載されています。また完成工事や施工中の工事の紹介,支店でのトピックスや技術情報を掲載することで,社員の知識や意識の共有,情報の水平展開などを行いました。これらの情報は,当社の社内報としての根幹をなすものでもあり,今日の“KAJIMA”においても脈々と受け継がれています。これらは,企業文化や風土の創出にも貢献しているのです。
1959〜1962年度

1959(昭和34)年11月号「会長のことば」。守之助会長は,本誌の目的を社員相互のコミュニケーションや知識の啓蒙,生産性の向上に役立つためと述べている

1962(昭和37)年12月号「本支店だより」。テニス班の優勝や安全ポスターのお知らせなど情報が盛りだくさん

1966〜1971年度

1966(昭和41)年7月号。施工中の熊本県庁舎の工事概要や現在の工事状況が報告されている。その他の物件などが数ページにわたり紹介されている

1971(昭和46)年10月号「理事長の日記より」。卯女理事長の思想や考えが,毎月ご本人自らの随筆により掲載された

1978〜1979年度

1978(昭和53)年5月号「カメラ・リポート」。モノクロ頁の中に唯一カラーで竣工した物件を紹介している

1979(昭和54)年8月号の「TQCニュース」。TQC(総合的品質管理)を当社は1978年から導入し,その全社展開に本誌は大いに貢献した

当社の実績や技術力を大きく紹介した
80〜90年代
鹿島建設月報 建設冬の時代からバブル景気,その後の終わりのない不況。まさにこの年代は日本にとって激動の時代でした。当社においては,変革の時代であるとともに,大きく飛躍・発展した時代でもありました。事業の多角化により新分野へ参入,国際化の進展に合わせ海外へも積極的に進出しました。国内の大規模プロジェクトが次々と完成したのもこの頃でした。
 こうした中,当社においては,建設業という枠組みでは捉えられないような取組みや,豊富な施工実績,建設に関わる高度な技術を,社内外に向けて分りやすく説明する必要性が求められました。
 1982(昭和57)年から始まった「特集」では,当社が手掛けた大型工事や都市開発,技術開発の成果などを多く紹介しています。また,グループ会社や海外プロジェクトなどを紹介するコーナーも毎月設けています。
 ところでこの時代,本誌にも変化が表れます。1987(昭和62)年1月号から,サイズをA4からA4レターサイズに変更し,1988(昭和63)年になると全頁がカラー刷りとなりました。これを機に,写真を中心に誌面を読ませるという編集方針に徐々にウェートを置くようになっていきます。
 1991(平成3)年に発表したKE21では,社名が通称:鹿島となり,本誌もこれに合わせて名称を現在の“KAJIMA”に変更したのです。

1984年度
1984(昭和59)年11月号。「トンネル技術の集大成−青函トンネル−」では,貫通を目前に控えたトンネルの本坑工事を現場ルポで紹介。トンネル技術の進歩や当社の果たした役割を紹介している

1990年度
1990(平成2)年9月号。「超々高層への挑戦」で,200階建超々高層ビル「DIB-200」構想の紹介。アイディアでなく,技術の裏付けのある構想を打ち立てた

1989〜1995年度

1989(平成元年)年10月号。「地震とのハイテク・ウォー」。当社の制震・免震技術の最新情報をレポート

1995(平成7)年11月号。東京・渋谷区の大規模複合開発「恵比寿ガーデンプレイス」をビジュアル中心で紹介

社外をより意識し誌面を充実させた
90年代〜現在
 企業の業績が絶好調であったバブル期には,フィランソロピーやメセナ活動が注目されました。CIやイメージ戦略などブランド力の強化に企業が力を入れ始めた時期でもありました。
 広報メディアは多様化し,新しい媒体が次々と誕生します。当社では,CATV放送「KISS」や社内報に特化した「KAJIMAGE」,建設業の地位向上の為の「K-i」など新しい広報媒体が次々と誕生しました。本誌は,社外をより意識した編集方針をとるようになっていきます。世界各地の自然や歴史的遺産を紹介,著名人からのエッセイ,ものづくりに興味を抱いてもらうような楽しいシリーズも連載しました。これらの企画を通じてイメージアップを図り誌面を充実させました。

1992年度
1992(平成4)年6月号。「地球の顔」では,毎号全13ページというボリュームで,海外を舞台とした大自然の営みや人々の生活などを紹介した

1997年度
1997(平成9)年9月号の「SCENE」では,演出家・宮本亜門氏によるエッセイを掲載。毎回,作家,指揮者,映画評論家,大学教授など,顔ぶれが多彩であった

2001年度
2001(平成13)年4月号の「動物たちの土木建築学」では,ビーバーが川をせき止め,そこにダムをつくることが紹介されている。毎号,動物達の生態を,建設行為という視点から描いている

当社の足跡を記録するもう一つの役割
 “KAJIMA”には,社業の「記録」という機能があります。「定期」「継続」とともに社内報の基本的な機能で,この観点から毎月の発行とは別に臨時号を不定期で発行しています。例えば,経営トップの訃報に伴い追悼号を発行。当社の成長・発展に多大な貢献をした故人に対し哀悼の意を表し,葬儀の模様やご友人からの弔辞,思い出のアルバムなどを紹介しています。
 また多くの被災者を生み,建造物などが壊滅的な被害を被った阪神・淡路大震災の後には,増刊号を発行しました。ここで当社の災害復旧に対する取組みや地震の調査報告書を紹介しました。その他,創業160年など当社にとって節目の年には,当社の歩みなどをまとめ,各号の特集などで紹介しています。
   

1994(平成6)年「故・渥美健夫名誉会長 追悼号」

1999(平成11)年2月号の「鹿島の160年」
1994,1995,1999年度
 
1995(平成7)年「阪神・淡路大震災特別増刊号」




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