特集:500号記念![]() |
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その1 KAJIMA500号の 変遷 |
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社内報の役割には,経営の理念や方針の伝達,社員間のコミュニケーションの向上を図ることがあげられます。しかし企業環境の変化や,企業の成長・発展段階に応じて,この果たす役割も時代とともに変化しています。ここでは,“KAJIMA”が時代の変遷とともに,社内外に対しどのような役割を担ってきたかを時代背景と照らし合わせ探っていきたいと思います。 |
社内報としての価値を高めた 59〜70年代後半 わが国は,敗戦による荒廃から奇跡的な復興を遂げました。オリンピック景気などによる高度成長,二度のオイルショックを経験するなどして経済大国の仲間入りをします。当社においては,日本初の超高層ビル「霞が関ビル」など次々と大型プロジェクトを手掛け,年間受注高が世界一となりました。また業績だけでなく,会社組織や規模も急激に拡大していきました。 本誌では,このような当社の急速な発展に合わせ,毎月経営トップの方針や,業界を代表する意見などを毎号にわたり,積極的に社員に周知しました。それは,訓示・インタビュー・座談会など,様々なかたちで掲載されています。また完成工事や施工中の工事の紹介,支店でのトピックスや技術情報を掲載することで,社員の知識や意識の共有,情報の水平展開などを行いました。これらの情報は,当社の社内報としての根幹をなすものでもあり,今日の“KAJIMA”においても脈々と受け継がれています。これらは,企業文化や風土の創出にも貢献しているのです。 |
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当社の実績や技術力を大きく紹介した 80〜90年代 |
![]() こうした中,当社においては,建設業という枠組みでは捉えられないような取組みや,豊富な施工実績,建設に関わる高度な技術を,社内外に向けて分りやすく説明する必要性が求められました。 1982(昭和57)年から始まった「特集」では,当社が手掛けた大型工事や都市開発,技術開発の成果などを多く紹介しています。また,グループ会社や海外プロジェクトなどを紹介するコーナーも毎月設けています。 ところでこの時代,本誌にも変化が表れます。1987(昭和62)年1月号から,サイズをA4からA4レターサイズに変更し,1988(昭和63)年になると全頁がカラー刷りとなりました。これを機に,写真を中心に誌面を読ませるという編集方針に徐々にウェートを置くようになっていきます。 1991(平成3)年に発表したKE21では,社名が通称:鹿島となり,本誌もこれに合わせて名称を現在の“KAJIMA”に変更したのです。 |
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社外をより意識し誌面を充実させた 90年代〜現在 |
企業の業績が絶好調であったバブル期には,フィランソロピーやメセナ活動が注目されました。CIやイメージ戦略などブランド力の強化に企業が力を入れ始めた時期でもありました。 広報メディアは多様化し,新しい媒体が次々と誕生します。当社では,CATV放送「KISS」や社内報に特化した「KAJIMAGE」,建設業の地位向上の為の「K-i」など新しい広報媒体が次々と誕生しました。本誌は,社外をより意識した編集方針をとるようになっていきます。世界各地の自然や歴史的遺産を紹介,著名人からのエッセイ,ものづくりに興味を抱いてもらうような楽しいシリーズも連載しました。これらの企画を通じてイメージアップを図り誌面を充実させました。 |
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![]() |KAJIMA500号の変遷 |これからの社内報「KAJIMA」をどうする―編集者達の座談会 |社内報KAJIMAができるまで! |