青森市の西郊に位置する実家の正面に,東北新幹線の真新しい高架がそびえている。2010年度に開業を迎える新青森駅まで約500メートルの地点。クレーンや建設機械がうなりを上げ,騒々しくも活気がある。
青森県は1970年代初め,新幹線の建設促進運動を本格的にスタートさせた。途中,国鉄の経営状況悪化と新線建設への批判,さらには国鉄の分割民営化,国の財政の窮迫など,幾多の曲折に阻まれながらも,運動は止むことはなかった。2002年12月,東北新幹線は盛岡から,ついに県境を越えて八戸まで開通。40年近くにわたる念願の「終点・青森到達」まで,残すところ3年だ。
八戸支社編集部勤務時代の2000年から新幹線取材に携わり,早いもので8年目を迎えた。盛岡−八戸間の岩手一戸トンネル,そして八戸−新青森間の八甲田トンネルと,2代続いて「陸上世界最長」トンネルの貫通式を取材できたのは,記者冥利に尽きる経験だった。何度となく各地の建設現場を訪れ,世界の最高水準を誇る技術に舌を巻き,「地図と記憶に残る仕事」に打ち込む人々のまなざしに,多くのものを学ばせていただいた。
新幹線といえば,東海道沿線の皆さんには「1960年代の乗り物」にすぎないかもしれない。「まだ走っていなかったのか」「今さら新幹線に期待してどうする」といったつぶやきも聞こえてくる。
だが,青森県を含むいくつかの地域では,新幹線は今なお見果てぬ夢の象徴であり,地域活性化の切り札という意識は根強い。特にここ1年ほどは,県内で「新幹線開業に向けて」という言葉に接する機会が急激に増えてきたように感じる。例えば,青森市では地元のマイナーな名物「しょうがみそおでん」を売り出そうという動きが活発化している。地域間格差の拡大や人口減少など,明るい話題が多いとはいえない青森県で,「第2の新幹線開業」をいかに生活の向上につなげるか。地域の知恵が試されつつある。
ただ,取材を重ねてきて,「新幹線による地域振興」は思いのほか,一筋縄では論じられないテーマだと,今さらのように実感している。住む地域や職業によって,新幹線へのかかわり方も,新幹線から受けるメリット・デメリットも実に多様なのだ。しかも,建設費の地元負担と並行在来線の経営分離をはじめ,自治体財政や沿線の暮らしに大きな負荷が加わる側面もある。新幹線をテーマに,弘前大学で社会人学生として研究生活を経験し,その成果を今年,本にまとめて刊行した。だが,まだまだ問題の「頭と尻尾」がおぼろげに見えてきたばかりだ。時折,思わずため息がでる。
それでも,見事な曲線をようやく現した新幹線の路盤を見掛けると,何だかうれしくなって元気が出てくる。安全・安心を追求してきた,無数の人々の努力の積み重ねがあればこその成果−と実感するからだろう。
鹿島をはじめ,モノつくる人々に心から敬意を表しつつ,新幹線報道の末席に連なる1人として,「負けてはいられない」と思う。 |