特集:「はやて」は北へ

Chapter3 東北新幹線全線開通を待つ青森
東奥日報社 政経部付編集委員 
櫛引素夫(くしびき・もとお) 

東北大学大学院理学研究科を修了後,1987年,東奥日報社に入社。メディア情報部,八戸支社などを経て2002年に政経部へ,2006年から現職。
同年,弘前大学大学院地域社会研究科(後期博士課程)を修了。
 青森市の西郊に位置する実家の正面に,東北新幹線の真新しい高架がそびえている。2010年度に開業を迎える新青森駅まで約500メートルの地点。クレーンや建設機械がうなりを上げ,騒々しくも活気がある。
 青森県は1970年代初め,新幹線の建設促進運動を本格的にスタートさせた。途中,国鉄の経営状況悪化と新線建設への批判,さらには国鉄の分割民営化,国の財政の窮迫など,幾多の曲折に阻まれながらも,運動は止むことはなかった。2002年12月,東北新幹線は盛岡から,ついに県境を越えて八戸まで開通。40年近くにわたる念願の「終点・青森到達」まで,残すところ3年だ。
 八戸支社編集部勤務時代の2000年から新幹線取材に携わり,早いもので8年目を迎えた。盛岡−八戸間の岩手一戸トンネル,そして八戸−新青森間の八甲田トンネルと,2代続いて「陸上世界最長」トンネルの貫通式を取材できたのは,記者冥利に尽きる経験だった。何度となく各地の建設現場を訪れ,世界の最高水準を誇る技術に舌を巻き,「地図と記憶に残る仕事」に打ち込む人々のまなざしに,多くのものを学ばせていただいた。
 新幹線といえば,東海道沿線の皆さんには「1960年代の乗り物」にすぎないかもしれない。「まだ走っていなかったのか」「今さら新幹線に期待してどうする」といったつぶやきも聞こえてくる。
 だが,青森県を含むいくつかの地域では,新幹線は今なお見果てぬ夢の象徴であり,地域活性化の切り札という意識は根強い。特にここ1年ほどは,県内で「新幹線開業に向けて」という言葉に接する機会が急激に増えてきたように感じる。例えば,青森市では地元のマイナーな名物「しょうがみそおでん」を売り出そうという動きが活発化している。地域間格差の拡大や人口減少など,明るい話題が多いとはいえない青森県で,「第2の新幹線開業」をいかに生活の向上につなげるか。地域の知恵が試されつつある。
 ただ,取材を重ねてきて,「新幹線による地域振興」は思いのほか,一筋縄では論じられないテーマだと,今さらのように実感している。住む地域や職業によって,新幹線へのかかわり方も,新幹線から受けるメリット・デメリットも実に多様なのだ。しかも,建設費の地元負担と並行在来線の経営分離をはじめ,自治体財政や沿線の暮らしに大きな負荷が加わる側面もある。新幹線をテーマに,弘前大学で社会人学生として研究生活を経験し,その成果を今年,本にまとめて刊行した。だが,まだまだ問題の「頭と尻尾」がおぼろげに見えてきたばかりだ。時折,思わずため息がでる。
 それでも,見事な曲線をようやく現した新幹線の路盤を見掛けると,何だかうれしくなって元気が出てくる。安全・安心を追求してきた,無数の人々の努力の積み重ねがあればこその成果−と実感するからだろう。
 鹿島をはじめ,モノつくる人々に心から敬意を表しつつ,新幹線報道の末席に連なる1人として,「負けてはいられない」と思う。
News 新青森駅舎デザインコンセプト決定 テーマは「縄文と未来の融合」
新青森駅舎東北新幹線新青森駅の駅舎デザインは,「新青森駅舎デザイン委員会」の答申を受けて,2006年3月,青森市が縄文集落と未来への玄関口をイメージしたデザイン案を採用した。選ばれたデザイン案は,「縄文と未来の融合」がテーマ。歴史・郷愁を感じさせる縄文集落の佇まいを思わせる外観で,中央部に青森の明るい未来を象徴するガラス空間のアトリウムを設ける。ホームから街並みを眺められるよう,横に連なる大きな窓も設けられる。一層部には三内丸山遺跡で見られる木柱のデザインも取り入れている。
完成予想図

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