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私の仕事
File No.05
写真:野島 秀仁

野島 秀仁

建築設計本部 建築設計統括グループ
〔1993年入社〕
1993年 理工学部建築学科修士課程修了、同年入社、建築設計本部に配属。これまで携わった主なプロジェクトとしては、飛騨高山美術館、吉川史料館、ベネトン表参道ビル、千葉トヨタグループ本社ビルなど多岐に渡っている。

「夢」をかたちに

軽井沢大賀ホール

1. プロジェクトの始まり

今日、音楽の存在をここまで生活に身近なものとした企業として「ソニー」の名を第一に挙げるのに異論を唱えるものはいないだろう。

「ウォークマン」という商品で音楽との接し方を大きく変え、コンパクトディスクの商品化により音楽の世界を飛躍的に広げた。これらの商品に深く関わり、ソニーという企業を名実ともに世界のトップ企業に育て上げたのが大賀典雄氏(現ソニー相談役)である。

自身が音楽家でもある大賀氏は、退職金を軽井沢町のコンサートホールつくりに寄付することにより、そこに住む人々の文化的生活を豊かにし、またこのホールから音楽文化が世界へ発信されることを強く望まれた。

写真:完成したホールの前に立つ大賀典雄氏

完成したホールの前に立つ大賀典雄氏

2. 短工期での設計と施工

設計コンペは6月にはじまり、結果が出たのが8月の夏休み前日。夏休み明け、いよいよ設計開始。

基本設計から工事着手までわずか3ヶ月。着工から竣工まで11ヶ月。加えて軽井沢には観光地特有の夏の工事自粛期間(5週間)がある。コンサートホールには不可欠の音響調整まで含めて、期間内に竣工引き渡しを終えるのは至難であることは自明であった。そのため全社から各専門技術担当者が集められ、総力を挙げた取り組みがなされた。

設計側では、基本設計、実施設計を行いながら、同時に進められた膨大な数の許認可申請。全体の工程を考えると何一つ遅らせられず、一日足りとも猶予が許されない。毎週のように新たな申請書類の作成、事前調整、役所提出に奔走、胃のいたむ思いが続いたことが思い出される。

写真:工事中

3. 自然の中にホールを置く

軽井沢大賀ホールは約45,000m2の広さを有する矢ケ崎公園の北東角に位置し、南には大きな矢ケ崎池。

設計を始めるにあたり発想の原点となったのが、この「軽井沢の自然と建築が融合した風景」であった。池と芝生のオープンスペースを従えた伸びやかな建物配置、ヴォリュームインパクトの軽減を意識した勾配屋根、水辺に沿って開かれた開放的なホワイエゾーン、テラス、遊歩道へのホワイエ機能の拡張、そしてホールと池との間に並ぶ木立に包まれる来場者のアプローチ空間。いずれも音楽の鑑賞の場であるとともに、集い、憩いの場であるということを意識して、計画がなされた。

写真:ホール外観

4. 平面形状と空間

収容人員800席、演奏者と聴衆とが一体になったような親密な雰囲気が感じられるホールとして、音楽を中心に聴衆が囲い集うような座席配置となる五角形のアリーナ型平面が採用された。

平面形状は1辺約22mの正五角形、このなかに間口22m、奥行き 9mのステージ、これを取り囲むように1階に660席の座席、2階に140席の立見席。ステージから最後部席まで最長でもわずか約16m。客席からは演奏者の動きが、演奏者からは聴衆の反応が手にとるようにわかる。座席がステージを囲うような配置となっているので、演奏者との一体感が強く、聴衆全員が感動を分かち合う場に居合わせているという気持ちになる。

写真:反射音シミュレーション

反射音のシミュレーション

5. 内装と音響計画

音響シミュレーションの結果、五角形平面はコンサートホールに適した形状であることが立証されたが、さらにより良い響きのホールとするため、音の伝搬と音質の適否を調べ、設計・施工の両段階で調整を繰返した。また仕上げ材料の選択、椅子の形状・機構・配置についても徹底した検討を重ねた。

ホール自体が楽器であるという考えのもと、内装は音場づくりに適し、人にも優しい地元産材(落葉松他)を多用した。落葉松の集成材による木質系のルーバー状の仕上げ材によって、楽器のような暖かみと、音響的にさまざまな周波数を処理するためのランダムな凹凸な壁の表現を兼ね合わせた。

この結果、ホールの一席当りの室容積は10.8m2、残響時間は1.8秒(満席時500Hz)、明るい豊かな響き、重厚な低音に支えられた安定感ある響きが現実のものになった。

写真:ホール内観

6. トップライトと3対の反射板

モーツアルトの時代、演奏の場所はサロンの、しかも自然光が入る空間であった。しかし今日のホールは、外気から閉ざされた人工的な照明空間であることがほとんどである。豊かな自然のなかにあるホールとして、伸びやかに自然の光や空気が感じられればという想いから、天井が高く光が射し込むようにトップライトを、そしてホール西側の芝のオープンスペースから公園へ緩やかに視界が伸びるように窓を設けた。

またホールの雰囲気をつくり、演奏者と舞台近傍の聴衆へ初期反射音を与えるため、舞台上に音響反射板を吊るした。約3m×1.8mのポリカーボネート製の板を5枚、その中央にステージを照らす照明と組み合わせ、全体でこのホールのモチーフである五角形を形成している。客席から見上げると3対の音響反射板が花咲いているようにも見え、ホール空間のエレガントな雰囲気の醸成に資している。

写真:ホール内観

7. 町民の協力で行なわれた音響テスト

ホールの内装もほぼ終え、いよいよ竣工間近になった頃、ホールを800人の満員状態とした音響テストが行なわれた。

音響テストに不可欠な観客を募集したところ、町中から定員を超える応募があり、すばらしいホールの誕生を心待ちにしている人々の期待が非常にうれしい反面、期待に応えなければというプレッシャーにもなった。

それまでに技術的検討、音響的検討を行いながらの設計、入念な施工がなされてきた。しかし音は生きもの、実際に演奏してみないことには分からない。だからこそホールをつくることは難しく、またたとえようもなく面白いのかもしれない。

音響テストの結果、多少の調整を必要としたが、目標残響時間(1.7秒、500Hz満席時)を達成、音の減衰波形も場所による差がなく、どの席でもきれいなものとなり、関係者一同、歓声をあげて喜んだ。

写真:ステージ

8. 誕生、夢の実現

2004年3月、渦巻く喝采のなか、演奏を終え指揮棒を置いたマエストロが華麗にステージから舞い降り、色鮮やかな大きな花束を脇に抱え、客席中央の通路をまっすぐに駆け抜けた。そこにはこのホールの寄贈者である大賀夫妻がすばらしいオープニング演奏への惜しみない拍手を送っていた。花束が渡されると、今度は会場全体が大賀夫妻への感謝の拍手に変わり、夫妻が退場された後も、いつまでも鳴り止まなかった。

さわやかな芽吹きの季節に誕生したこのホールのオープニングプログラムは、奇しくもベートーベンの交響曲第六番「田園」。真新しい檜舞台にチョン・ミョンフンと東京フィルを迎えたホールが少し緊張した佇まいで演奏を迎えていた。

「田園に到着したときの朗らかな感情の目覚め」という表題が付けられている第一楽章、まさに軽井沢の自然の記憶から甦る音が、無垢の落葉松に包まれたホールの空間のなかで漂い、次々と響きを重ねても音色が曖昧になったり濁ったりすることなく、静かに輝きながら真に美しい音として伝わってきた。

その音色の中で私も、設計に携わった1人として、大賀氏の夢の実現にほんの少しでも力になれたことに喜びをおぼえ、優雅な旋律が奏でられるこの豊かなホール空間に恋する人が1人でも増えることを強く願ったのであった。

写真:大賀典雄氏 写真:ホール外観

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