日吉キャンパスのヒストリー
慶應義塾の日吉キャンパスは,1934(昭和9)年の大学予科校舎建設から歴史がスタート。1950年からは,新制大学の主として1・2年生の学生4,000名を受け入れるため,順次施設整備を図った。
当社は,旧第4校舎(1957年竣工)をはじめ,創立100年式典を前に完成した日吉記念館(1958年),高等学校体育館(1963年),工学部(現理工学部)矢上台校舎(1971年)などを手掛け,日吉キャンパス発展のお手伝いをしてきた。そして2006年,創立150年事業として第4校舎独立館建設の計画が当社の設計・施工で進められた。
施主の思いを読み取る
設計に当たって,大学側が提示した計画全体への配慮事項や施設計画は,「先導的教養教育の拠点整備」「外部環境の整備」などだった。当社は,細かな設計条件を読み解き,環境負荷低減やユニバーサルデザインなどを取り入れて,3つのテーマを提案。「時代を先導する教育の場」「新たなキャンパス動線の創出」「新しい街の風景」である。ユーザーとなる学生のための十分な空間創出に腐心したプランだった。
<時代を先導する教育の場>
大教室を,アクセスしやすい下層階に配置し,中小の教室を道路の喧騒から距離を置く上層階に配置。ゆとりある廊下と回遊性を持たせたブリッジで,将来の校舎拡張計画にも対応できるようにした。中間階に設けた屋外庭園は,講義の合間のコミュニケーションスペースだ。
<新たなキャンパス動線の創出>
キャンパスと正門側アプローチとの高低差を活用して,アトリウム空間を中心に日吉学生部などの共用施設を1階に配置。正門側アプローチからアトリウムを経て既存の第4校舎,塾生広場に抜ける新しい動線を確保した。
<新しい街の風景>
校舎敷地は,キャンパス前面の綱島街道とは13m〜15m以上の高低差がある。そこで施設自体を崖に面して地下2階まで掘り下げ,日吉キャンパス正門から通りに沿って北側に伸びるアプローチを新設した。
このアプローチには桜やケヤキの並木を植栽し,正門の銀杏並木と共に新たな景観を作り出している。これにより,擁壁によって分断されていた街とキャンパスが連続し,駅前に広場状の空間が出現した。
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