特集:「さいたま新都心」の誕生

開発の経緯

■東京一極集中是正のために
 1984(昭和59)年,旧国鉄大宮操車場の機能停止により,跡地の有効利用を図る方針が政府閣議で決定された。
 翌々年,首都圏整備計画において,浦和・大宮地域が業務核都市として指定される。業務核都市は,首都機能を補完する目的で東京都心から放射状30〜40km圏に配された都市。跡地はこの浦和・大宮地域の中心にあり,ここで大規模な国の移転事業が始められることになっ。
 計画では,旧国鉄大宮操車場跡地24.9haと民間再開発予定地18.9ha,道路などの公有地3.6haを合わせた47.4haの敷地に,官民の施設とインフラを整備するもの。首都高速「5号池袋線」と接続する首都高速「埼玉 大宮線」が引き込まれ,JR「さいたま新都心駅」も併せて整備される。


全景




地図1
関東地方の業務核都市


地図2

「さいたま新都心」ガイド



周辺の歴史 〜旧国鉄操車場の跡地を利用〜

 新都心の東側には中山道(旧国道17号)が通っている。この近辺は,かつて宿場町として栄えた大宮宿の南はずれの田園地帯で,源頼朝や徳川家も厚く信仰したという氷川神社にも近い。
 1883(明治16)年,旧国鉄の上野〜熊谷間が開通。1894(明治27)年,旧国鉄大宮工場の開業とともに,この地は操車場として整備された。その後,新都心の事業が着手されるまで,首都圏の鉄道交通 の要衝としての役割を果たしてきた。