鹿島組2代目組長を務めた鹿島精一と盛岡との縁,そしてその後の活躍は「風土計」に記述された通りである。
多忙な日々を送る精一だったが,常に故郷盛岡の風土を愛し続けた。在京の岩手県人会を支援し,向学心に燃える故郷の若者に奨学金を支給した。雑誌『新岩手人』のスポンサーとなって,刊行を支えたりもしている。
精一は「情に厚い人」といわれる。当社東北支店副支店長を務めた昆清介さん(現・鹿島道路東北支店技師長)によると,「それは,気丈だが世話好きな母と,出淵家の温かな環境の中で培われた」という。盛岡は人情味豊かで,子弟の教育に熱心な土地柄でもある。精一の故郷への思いもそうした中で育まれたのでは,と昆さんは推測してみるのだ。
盛岡駅の西にある「盛岡市先人記念館」にも精一は顕彰されている。盛岡ゆかりの先人130人の遺品や資料を展示して,その業績を紹介している。新渡戸稲造,米内光政,金田一京助,宮沢賢治らが精一の故郷の仲間だ。2階展示室の中央に130人の肖像のレリーフがピラミッド状に立つ。出淵家で精一とともに育った出淵勝次(元駐米大使)の名もあった。
記念館は1987年に,盛岡市制100周年を記念して開館した。当社施工で,RC造2階建て延べ3,590m2。開館3周年には「鹿島精一展」を開催している。
宮沢さんのコラムに誘われて,岩山の展望台を訪ねた。円盤のような形をした展望台の上からは,盛岡市街地や岩手山,姫神山・早池峰山の北上山系まで一望できる。精一の見た故郷の景色は,時代とともに変貌を遂げながらも,穏やかな風土は変わっていない。
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