特集:技術研究所の60年とこれから![]() |
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技術研究所60年の歴史を振り返ると,ダム・原子力発電所・霞が関ビル建設を支えた「開拓の時代」,青函トンネルなどの長大トンネル建設や超高層ビル建設が相次いだ「高度化の時代」,東京湾アクアラインや汐留地区再開発などの建造物に加え,地球環境技術やICTを展開する「複合化の時代」。 いつの時代も「技研」は社会の要請を先取りして研究開発に邁進し,その技術を社内のみならず顧客や社会に還元してきた。 この60年は「還暦」であると同時に,常に成長し続ける3度目の「二十歳」ともいえる。「技研」成長の原動力とは何か,3つのエピソードから紐解く。 |
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エピソード1「開拓の時代」(1949〜1969年) 「血液」としての社内技術報の充実 土質基礎,コンクリート材料,超高層建築技術,シールド工法など,この時代の技術研究所の開発成果を数えると枚挙に暇がない。さらにICT社会から程遠い時代にこれら膨大な量の技術情報を合理的に活用してきたのである。 1964(昭和39)年,竹山謙三郎所長(当時)は,年報をはじめとする各種調査研究成果の報告資料に加えて社内限定の「技術要報」を発刊した。 竹山所長は発刊に際して「数多くの調査報告書の中には,成功失敗を問わず広く社内に知ってもらいたい貴重な技術経験も少なくない。これらの情報を早い機会に社内に周知することは,設計・施工技術の積み上げや,社内技術水準の向上のために極めて有効」と語っている。 現在,技術要報は通巻233号に及ぶ。社内イントラネットに展開され,技術支援部署や現場の最前線に送り込まれ,当社独自の技術開発を育んでいる。 エピソード2「高度化の時代」(1970〜1989年) 研修員制度による技術者育成 大阪万博の頃からバブル経済時代に至るまで,大規模プロジェクトが次々と完成し,長大橋・長大トンネルや大空間構造に関する設計・施工技術が向上した。超高層ビルの用途が多様化し,HiRC構造や各種シミュレーション技術が開発された。 1974(昭和49)年,「技術研究所研修員制度」が開始された。社内の現場マンらが技術研究所で1〜2年研修する制度で,「技術問題の発見と解決,技術資料収集連絡の中枢となる高度技術知識を備えた創造的技術者の養成」を目的とした。 この研修員制度は,1.技研共通講義,2.OJT研修,3.主要現場見学,4.自主ゼミ,の4つから構成され,今年で35年になる。受講者は155名に上り,修了後は全国各支店・各現場の技術的中枢として活躍している。 エピソード3「複合化の時代」(1990年〜現在) 地域社会や地球環境のためのコラボレーション 社会からの要望が高度化・多様化する中で,研究対象が単体の建造物から地域社会や地球環境に広がり,ICTの目覚しい進歩により,研究分野も多岐に分化した。また,プロジェクトの取組みにあたり外部機関とのコラボレーションが増えるなど,研究活動の方法も複合的になってきた。この時代の開発成果として、各種土壌浄化・緑化技術,都市気候評価システムなどの評価ツール,開放型磁気シールド技術,さらに阪神・淡路大震災の経験や来るべき巨大地震に備えて、耐震・免震・制震技術やBCP関連技術などの防災・減災技術が挙げられる。 このような社会のニーズに応えるべく,各地に研究拠点を整備してきた。1989年,葉山水産研究室(現葉山水域環境実験場)を当所に移管,1993年,検見川緑化実験場を新設した。2005年には新築された秋葉原ダイビルに秋葉原サテライトラボを開設し,大学・公的機関との先端ICT領域における共同研究を開始した。また,2007年にクリーン生産環境研究施設を新設し,顧客との共同研究も行っている。 これらの拠点整備は,創意工夫に満ち溢れた「夢をかたちに」する研究活動の骨格として,技術開発の営みを支えている。そして,その集大成として飛田給において新たな研究センター整備を行うに至った。 (葉山水域環境実験場は「検索」のコーナーを参照) |
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![]() ●鹿島守之助所長就任 |
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■ Chapter
1 技研のこれまで ■ Chapter 2 技研のいま ■ Chapter 3 技研のこれから ■ Chapter 4 これからの知識創造型ワークプレイス 新実験棟 技術ガイド ■ Chapter 5 これからの「知識創造」の担い手たち |