特集:鹿島の160年 創業期「洋館建築の鹿島」として
●横浜へ進出 1858年日米修好通商条約締結後,一年足らずでの開港を迫られた当時の江戸幕府は,大急ぎで貿易港としての横浜をつくりあげる。領事館・商館・住宅など横浜は大建築ブームとなった。もともと漁村で土着の出入り職人もなく,そこでは自由競争と一括請負が行われる。賃金相場は高騰し,江戸の職人がこぞって進出した。このような状況下,岩吉も江戸の店をたたんで横浜進出をはかった。結果,横浜居留地第一号の英一番館やウォルシュ・ホール商会(通称アメリカ一番館)を建築。その他多くの外国商館を請負った。今日の鹿島は横浜において先ず固められたのである。
●西洋館棟梁として名を馳せる 明治の文明開化とともに,西洋館建築技法を身につけた岩吉は,その信用と人脈で新政府の重鎮であった旧長州藩関係の建築工事を請負うことになる。長男岩蔵も父を事業面で手助けする。高輪毛利公爵邸洋館,蓬莱社(後の十五銀行)等をはじめ,抄紙会社(王子製紙の前身)工場,神戸製紙所(三菱製紙の前身)工場など,当時時代の先端を行く新式の建物を次々に施工した。
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