特集:鹿島の160年

躍進の時代「スーパーゼネコン」への道

●原子力・臨海工事へ
 当社は将来のエネルギー政策を見透し,1957(昭和32)年日本原子力研究所第一号原子炉を皮切りに原子力分野へ進出する。これを期に後の国内の原子力関連工事の半数近くに関わることになる。
 臨海地帯では重工業が躍進する。鉄鋼・火力・石油等のプラントが建ち並び各地に工業地帯が出現した。当社は大型ドック,コンビナート,火力発電所等を高度な技術力をもとに受注拡大していった。特に大型ドック建設技術は海外工事へも展開された。



東京電力福島原子力発電所
1967(昭和42)年着工以来,第1〜6号機を当社が施工した


三菱重工業香焼ドック
1971(昭和46)年〜1972(昭和47)年,国内最大100万t修繕ドック



●国家的プロジェクトに建設市場が沸く
 1970(昭和45)年日本万国博覧会が大阪千里丘陵で開催された。これに伴い大阪周辺で工事ラッシュが起きる。当社はパビリオン建設ほか敷地整備工事にあたった。また1972(昭和57)年札幌冬季オリンピックでも,真駒内スケートリンク等を施工する。
 この時代は国内交通ネットワークの整備も進められた。当社は山陽・上越・東北新幹線関連工事や新東京国際空港等のプロジェクトを完成させた。建築分野では,最高裁判所,新宿副都心超高層ビル群,国技館等象徴的な建物やアークヒルズなど大型都市開発までを次々と手掛けた。
 日本中が好景気に湧いたこの時代,超大型プロジェクトを中心に国土と経済の発展に寄与し,「スーパーゼネコン」の地位を不動のものとした。



最高裁判所 
1971(昭和46)年〜1974(昭和49)年,地下2階地上5階,延べ53,923m2
設計競技で当社設計部岡田新一グループが最優秀案となったもの



国技館
1983(昭和58)年〜1984(昭和59)年,大空間を覆う大屋根には人工緑青を施す。国技の殿堂は両国に里帰りした。



日本万国博覧会「住友童話館」
当社は敷地造成はじめ8つのパビリオンとタワー,周辺関連工事をおこなった


新東京国際空港
1978(昭和53)年,日本の新しい空の玄関口の完成。当社は主滑走路,旅客ターミナルを施工した。


新宿副都心
1974(昭和49)年 新宿住友ビル,KDDビル,新宿三井ビルが相次ぎ完成




年表
創業期「洋館建築の鹿島」として
「鉄道の鹿島」から「土木の鹿島」への雄飛
建築分野への積極進出〜「超高層ビルの鹿島」へ〜
|躍進の時代「スーパーゼネコン」への道
国際化への対応〜「世界の鹿島」へ
バブル景気,未曾有の不況,そして21世紀へと
コラム集