特集:鹿島の160年 躍進の時代「スーパーゼネコン」への道
●国家的プロジェクトに建設市場が沸く 1970(昭和45)年日本万国博覧会が大阪千里丘陵で開催された。これに伴い大阪周辺で工事ラッシュが起きる。当社はパビリオン建設ほか敷地整備工事にあたった。また1972(昭和57)年札幌冬季オリンピックでも,真駒内スケートリンク等を施工する。 この時代は国内交通ネットワークの整備も進められた。当社は山陽・上越・東北新幹線関連工事や新東京国際空港等のプロジェクトを完成させた。建築分野では,最高裁判所,新宿副都心超高層ビル群,国技館等象徴的な建物やアークヒルズなど大型都市開発までを次々と手掛けた。 日本中が好景気に湧いたこの時代,超大型プロジェクトを中心に国土と経済の発展に寄与し,「スーパーゼネコン」の地位を不動のものとした。
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|年表 |創業期「洋館建築の鹿島」として |「鉄道の鹿島」から「土木の鹿島」への雄飛 |建築分野への積極進出〜「超高層ビルの鹿島」へ〜 |躍進の時代「スーパーゼネコン」への道 |国際化への対応〜「世界の鹿島」へ |バブル景気,未曾有の不況,そして21世紀へと |コラム集 |