特集:鹿島の160年

バブル景気,未曾有の不況,そして21世紀へと

●新しいオフィス像を提案したKIビル
 1980年代半ばからは,民間による設備投資が回復し「建設業冬の時代」は終焉した。1989(平成元)年,当社は創業150年を迎える。この頃は,高度なOA機器,情報通信設備などと併せて,快適な室内環境を持つオフィス建設の需要が伸びる。いわゆるインテリジェントビルブームである。こうしたなかで1989(平成元)年に完成したKIビルこそは当社の提案する新しいオフィス像であった。最先端技術を駆使して真に快適な空間の提供を提案したKIビルは画期的で,その後のオフィスビル建築に少なからぬ影響を与えた。
 1988(昭和63)年には青函トンネルと本州四国連絡橋の開通により,ついに日本列島は地続きになった。また,円高により国際競争力を身につけ,現地法人を設けて海外進出する日本企業もふえた。1990(平成2)年にはロンドン証券取引所に上場した。



竣工直後のKIビル
亜熱帯の植物が植えられたアトリウムは未だに斬新なイメージを失っていない





貫通した青函トンネル 1988(昭和63)年開通
当社は本州側の竜飛工区を担当した


瀬戸大橋 1988(昭和63)年開通
南備讃瀬戸大橋の7Aアンカレイジなどの施工を担当



●低成長下における変革の時代
 1992(平成4)年,当社の大規模開発事業である東京イースト21が完成した。しかし1991(平成3)年いわゆるバブル経済の崩壊とともに日本経済は下降線を描き始めていた。1990年代前半までは活況を呈していた建設需要は民需を中心に減少する。
 高齢化・高度情報化,地球環境保全の重要性の増大など,社会・経済環境の変化のスピードはこれまで以上に急である。これまでにない環境の変化に見舞われ重大な岐路に立たされている。現在は低成長下における変革の時代である。困難な諸問題に対応しつつ新たな前進を目指すため,これまでとは全く異なる次元で判断し行動することが求められている。


東京イースト21(東京都江東区)は当社の開発事業による大規模な街の再開発。オフィス,ホテル,ショッピングセンターなどの商業施設などにより構成される。1992(平成4)年完成


宮ケ瀬ダム(神奈川県愛甲郡)は日本最大の重力ダム。
1987(昭和62)年〜1997(平成9)年


屋内人工スキー場ザウス(千葉県船橋市)。
雪の科学や制震技術など当社のノウハウが数多く盛込まれている施設である。
1990(平成2)年〜1993(平成5)年


恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区)は,サッポロビール恵比寿工場の跡地の大規模再開発によって誕生した。1990(平成2)年〜1994(平成6)年

●成長と繁栄は「明日への挑戦」の努力から
 当社は,この160年間いくたびか大きな試練に見舞われてきた。しかし,当社はその都度全社一体となって,技術力や組織力を活かしながら,常に変化し進歩する時代の要請を先取りし,実現するための経営革新を繰り返してきたのである。新たな成長と繁栄は「明日への挑戦」の努力から生まれる。私達は,当社の歴史と伝統の精神である「進取の気性」と「飛躍の精神」を今一度思い起こし,新たな進化を目指していかなければならない。


フジテレビ本社ビル・ニッポン放送本社ビル(東京都港区)は臨海副都心の新しいランドマークとなっている。
1993年(平成5)年〜1996(平成8)年


東京湾アクアラインは調査開始から約32年,本工事着手から約9年を要した大工事であった。海底下におけるシールド機の地中接合などに当社の技術力がフルに発揮された(写真は施工中の川崎人工島)1997(平成9)年開通



★参考文献
  • 120年の歩み
  • 鹿島建設130年史
  • 鹿島建設140年の歩み
  • 鹿島建設の歩み「人が事業であった頃」(小野一成著)



年表
創業期「洋館建築の鹿島」として
「鉄道の鹿島」から「土木の鹿島」への雄飛
建築分野への積極進出〜「超高層ビルの鹿島」へ〜
躍進の時代「スーパーゼネコン」への道
国際化への対応〜「世界の鹿島」へ
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コラム集