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Shinkansen:夢の超特急 東海道新幹線

国家プロジェクトの推進

「東海道新幹線は近代技術の粋を集めた広軌電化鉄道で,世界的にも大いな関心が寄せられた。その開通は,オリンピックの開催とともに1964年度におけるわが国の快挙の一つとして,歴史の一頁を飾ることであろう」 【1964年8月号】

急速な輸送需要への対応を背景に,国家プロジェクトとして建設が進められた東海道新幹線。当社が建設を担った東京駅19番ホームから,オリンピック開催を9日前に控えた1964年10月1日,いよいよ「ひかり1号」が発車。東京,大阪を3時間でむすぶ“夢の超特急”が現実のものとなった。

図版:1964年7月,新装なった東京駅19番ホームに東海道新幹線が初めて入線したときの公開風景

1964年7月,新装なった東京駅19番ホームに東海道新幹線が初めて入線したときの公開風景

図版:新幹線中最長の橋梁だった富士川橋梁

新幹線中最長の橋梁だった富士川橋梁

東海道新幹線

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「世紀の難工事」を超えて

新幹線工事のハイライトは,工事中最長トンネルとなる新丹那トンネル工事だった。全長7,958m,うち4,340mが当社施工である。その50m南側に,かつて大正から昭和の16年もの歳月をかけて鹿島組が担い,「世紀の難工事」として知られた東海道線丹那トンネルがある。非常に地盤が軟弱で,湧水,断層に悩まされた苦難の土地であるため,新丹那トンネル工事も全体の工期を左右し「オリンピックの成否を賭ける」とまでいわれ,難工事が予想されていた。

最大の難関は函南(かんなみ)西口工区導抗3,100m付近の断層地点で起こった湧水。鉄砲水のごとく土砂を押し出し,トンネル内には次々と水が流れ込み,工事は6ヵ月ものあいだ中断した。複雑な地層に由来するこうした多くの難所に対し,旧丹那での貴重な経験が活かされ,くわえて機械化の促進など近代土木技術を結集させることで,1964年1月, 4年4ヵ月という短工期でトンネルは無事完成した。

図版:「旧丹那があったから新丹那ができた」といわれ,当社の2度にわたる丹那トンネル工事は歴史に残る大事業となった。手前を走るのは東海道線

「旧丹那があったから新丹那ができた」といわれ,当社の2度にわたる丹那トンネル工事は歴史に残る大事業となった。手前を走るのは東海道線

図版:着工から約3年,新丹那トンネルの貫通を祝う様子

着工から約3年,新丹那トンネルの貫通を祝う様子

図版:完成したトンネル。新幹線はわずか2分で通り過ぎた

完成したトンネル。新幹線はわずか2分で通り過ぎた

図版:旧丹那トンネル工事の犠牲者を悼む慰霊碑

旧丹那トンネル工事の犠牲者を悼む慰霊碑

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