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Column

月報は「阪神・淡路大震災」をどう伝えたか

震災から2ヵ月後の1995年3月には,本誌別冊として「阪神・淡路大震災特別増刊号」を発行。震災復旧に全社を挙げて対応し,社員の安否確認,自社や当社施工物件の被害状況の確認,急務とされたインフラ復旧に全力で取り組んでいる様子を紹介した。また石川六郎名誉会長の寄稿,宮崎明社長のインタビュー,小堀鐸二最高技術顧問,中島隆副社長(設計・エンジニアリング総事業本部長),小島雄専務(関西支店長),野尻陽一常務(技術研究所長)による座談会を掲載。その中で,長期にわたる復興に総力を挙げること,学会や官界と連携して,耐震性向上や都市防災の充実に寄与していくことなどが述べられている。技術的には,新耐震基準の建物には被害がなかったことに加え,制震・免震の技術の普及に弾みがつくこと,構造だけでなく非構造部材に注視する必要性などを指摘した。

写真:1995年3月発行の「阪神・淡路大震災特別増刊号」

1995年3月発行の「阪神・淡路大震災特別増刊号」

震災から5年後となる2000年には,2月号特集「神戸は今」で,再興へと向かう神戸の姿を,震災直後と5年後の写真で紹介。交通機関や電気・ガス・水道などのライフラインが復旧し,未来に向けて新しい都市づくりが始まっていることを伝えた。

2005年1月号特集「阪神・淡路大震災から10年」では,震災直後から,復旧作業の陣頭指揮をとった5人の社員が集まり,現場目線で当時を振り返った。そこでは,耐震補強工事が進み,同じクラスの地震が起きても,構造物や建物が壊れ,機能が損なわれる可能性が低減したこと,集積した支援物資を効率良く捌くシステムが不備で今後の課題としたこと,学会や国土交通省と連携して大都市のハザードマップを作成する必要性,日本のボランティア活動が本格化したことなどについて語っている。また2004年10月に発生した新潟県中越地震で,制震・免震などの当社の先端技術が活きたことを紹介した。「地震災害の低減を目指して」と題する小堀鐸二最高技術顧問の寄稿文も掲載した。

写真:2000年2月号特集「神戸は今」

2000年2月号特集「神戸は今」

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2010年3月号には,連載「土木が創った文化」の第3回「復旧」~再び繁栄の街に~を掲載。震災当時,大阪支店土木部工務第一課長だった住吉正信北陸支店長(現・鹿島道路社長)が,人間の力を超えた自然の力のすさまじさを思い知らされたこと,土木技術者としての使命感から,ライフラインの復旧を最優先に作業を進めたことなどを語っている。

その他にも,地震,BCP関連記事のなかで「阪神・淡路大震災」での対応を数多く伝えてきた。

※部署,役職などは掲載号当時で記載

写真:2010年3月号の連載「土木が創った文化」の「復旧」~再び繁栄の街に~

2010年3月号の連載「土木が創った文化」の「復旧」
~再び繁栄の街に~

供用中の橋梁を免震化する

阪神・淡路大震災では,重要なライフラインの一つである高速道路の高架橋が横倒しとなり,それ以降,耐震補強が急ピッチで進められた。当時,鉄板や鋼線などを橋脚に巻き立てるのが一般的だったが,地震力の低減を図り,橋梁上部の変位を抑える免震化技術が注目を集めた。震災直後から,この技術の必要性を強調していたのが技術研究所の野尻所長。震災から8ヵ月後には,新原グループ長も関わった大型振動台での実験が行われ,実用化に目途をつけた。供用中の橋梁の上部工と下部工の間に,免震ゴムを設置して水平力を吸収する仕組みで,今では,多くの実績がある一般的な工法となった。

写真:解説図

写真:公開振動台実験の様子

公開振動台実験の様子。震災後に開発された新技術として注目された

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石巻ブロック災害廃棄物処理業務の記録

青山次長が従事した「災害廃棄物処理業務(石巻ブロック)」の記録冊子が完成した。本編と資料編の2冊からなり,業務実施の経緯から,業務概要,処理工程別実績,処分・リサイクルの方法までを詳細に記録。巻末には,良かった点に加え,課題や反省点も記載され,次の世代に伝えるべきメッセージにもなっている。

この業務は, 東日本大震災で発生した宮城県石巻市,東松島市,女川町の災害廃棄物約300万tを,粗選別や破砕選別,焼却等の中間処理を行うもので,2012年5月に処理を開始し2014年1月に終了した。その後,焼却炉の撤去作業などを行い,2014年9月に全ての業務を完了している。

写真:「石巻ブロック災害廃棄物処理業務の記録」には,災害廃棄物処理業務の技術・ノウハウが集約されている

「石巻ブロック災害廃棄物処理業務の記録」には,災害廃棄物処理業務の技術・ノウハウが集約されている

写真:処理業務を終え,焼却炉が撤去された石巻ブロックBヤード

処理業務を終え,焼却炉が撤去された石巻ブロックBヤード

阪神・淡路大震災後に急激に増えた「制震・免震構造」

阪神・淡路大震災以前は,地震国日本においても「制震・免震構造」は,毎年数棟程度の実績しかなかった。神戸にあった3棟の免震建物に被害が全くなかったこと,安全・安心に対する社会・顧客ニーズもあり,1995年以降に「制震・免震構造」は急激に増えることとなる。当社は,1985年に小堀鐸二京都大学名誉教授を副社長に迎え,制震構造を実現するため「小堀研究室」を設立。同時に技術研究所を中心に免震構造の取組みも進めており,素早くこのニーズに応えた。

2012年の時点で,制震構造の建物は1,100棟以上となり,当社の設計・施工案件は約210棟と業界トップを誇っている。また,免震構造は全体で3,200棟以上にのぼり,当社が設計または施工に関係した案件は約320棟と,業界2番目の実績となっている。

旧耐震基準の建物には「居ながら®」をキャッチフレーズとして,一般的な耐震補強はもとより,「制震・免震レトロフィット」を多く実施している。東日本大震災でクローズアップされた長周期地震動にも積極的に対応して,既存の超高層建物に適用する日本初の制震システムを実用化した。

写真:当社が業界に先駆け開発し,1995年に実用化した超高層用制震オイルダンパー「HiDAM」

当社が業界に先駆け開発し,1995年に実用化した超高層用制震オイルダンパー「HiDAM」

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紀伊半島大水害から3 年~国内外から注目を浴びる対策工事~

現在,江口所長が率いるのは,奈良県五條市赤谷地区の大規模土砂災害対策の現場だ。2011年9月の紀伊半島大水害の際に斜面が崩壊,川原樋川がせき止められ天然ダムが形成された。崩壊斜面の高さは600m,崩壊土砂量は約900万m3にのぼる。排水処理などの緊急対策工事後も,2012年6月の台風4号,2013年9月の台風18号,昨年8月の台風11号により大規模な斜面崩壊が発生するなど予断を許さない状況のなかで,現在,砂防堰堤の施工を進めている。

昨年11月には,発注者の国土交通省近畿地方整備局が,土砂災害に関する国際シンポジウムの参加者を対象に現場見学会を実施。海外の土木技術者が約80名訪れ,国際的にも注目を集めた。

写真:海外の土木技術者80名が現場を訪れた

海外の土木技術者80名が現場を訪れた

写真:工事概要図。仮排水路の設置などの応急処置後,抜本対策として現在2号砂防堰堤の構築が進められている

工事概要図。仮排水路の設置などの応急処置後,抜本対策として現在2号砂防堰堤の構築が進められている

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