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光の風景

冬になるとあらわれる光の風景は,
見慣れた街や街路や広場とは異なる景色を描き出す。
LEDの光を通して街を見つめ直してみる。

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函館,八幡坂のイルミネーション

ⒸTravelCouples/gettyimages

冬の風物詩

冬になると,日本の街のあちこちにはモミノキやドイツトウヒなどの針葉樹が出現する。クリスマスツリーである。クリスマスは元来,イエス・キリストの生誕を記念し祝うキリスト教会の祭事であり,それ自体とモミノキとは関係がない。冬に常緑樹を飾る習慣は古代ゲルマン民族の樹木信仰に由来すると言われている。ヨーロッパにキリスト教が普及するにつれてその祭事が教会に取り入れられたようだ。アメリカには18世紀半ばに伝わったという。キリスト教の歴史に比べると,クリスマスにツリーを飾る習慣はそれほど古いものではないのである。しかし今日,クリスマスツリーは世界中で飾られている。キリスト教人口が少ない日本でも,クリスマスツリーは冬の風物詩のひとつとして普及している。最近,日本の商業施設ではオリーブやハーブ類などの地中海風の植栽が流行しているが,クリスマスが近づくとそれらの植物に並んで北ヨーロッパ風の針葉樹が立てられて風景が一変する。多くのクリスマスツリーは,豆電球があしらわれ,夜には数々の光の粒に覆われる。この,ツリーを覆う電飾も冬の風物詩である。クリスマスにだけ出現する針葉樹の森も興味深いが,今回は光の風景について考えてみたい。

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恵比寿ガーデンプレイス(東京都)のウィンターイルミネーション

ⒸShutterstock.com

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街の広場や通りに設けられる「イルミネーション」は,いつからか日本の冬の風物詩となった。光源には豆電球,最近ではLEDが用いられ,公園の木々や街路の並木などが飾られる。芝生広場の地面に撒いたように設置されたり,噴水や四阿(あずまや)などの構造物が飾られることもある。個人住宅の前庭にさまざまな色の電飾が施されることもある。住宅のイルミネーションは東日本大震災以降の節電の動きのなかで下火となったが,最近はまた復活しつつあるようだ。イルミネーションの特徴のひとつは冬期に限定の仮設物であることだが,これはクリスマスツリーに由来するためだろう。私たちはなぜか,こうした小さな光が集まってキラキラした風景を美しく感じる心情をもっている。世界中でクリスマスツリーが愛でられていることを思えば,これは人間に普遍的なものなのかもしれない。人がこんなメンタリティをいつ獲得したのかわからないが,昔からホタルが群れて飛ぶ様子や夜空に広がる星空は愛でていただろうと考えられる。人工的な照明がなかった時代には,それらの「自然のイルミネーション」は現在私たちが見るよりも遥かに強烈に輝いていたのではないかと思われる。

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草原に群れて飛ぶホタル

ⒸShutterstock.com

夜景とイルミネーション

光の風景は,意外なものを浮かび上がらせることもある。たとえば都市の範囲である。夜,飛行機の窓から見下ろすと,市街地から離れた田舎の道路が明るく照らされていて驚くことがある。ショッピングモールの敷地では建物の屋上よりも駐車場のほうが明るく照明されているために,夜景は昼間と反転した風景に見える。スタジアムや橋や鉄道の駅,湾岸のコンビナートや製鉄工場は昼間のように照らされているが,川や海などの水面は暗く沈み,緑地や山林の暗闇と区別がつかない。夜,明かりで照らされるところは「人が意図的に明るくしたい範囲」である。それが強く可視化されるため,夜景は昼間の風景よりもわかりやすく都市の範囲と輪郭を描き出す。夜景は建築物のキャラクターを浮かび上がらせもする。オフィスビルの窓には一様に揃った色の光が並んでいるが,集合住宅は一つひとつの部屋の明かりが異なるため,立面がさまざまな色の光のモザイク模様になる。高層マンションは昼よりも夜のほうが人が住む建物の表情を見せるように思う。

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マンションが見せる色の光のモザイク模様(北京)

ⒸYifei Fang/gettyimages

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同じ夜の光の風景でも,都市の夜景とイルミネーションは異なる。夜景は「眺めるもの」だ。ネットで「夜景の名所」や「夜景鑑賞」などと検索すると,都市の夜景を眺めるスポットがいくつもヒットするが,ほとんどは高層ビルや展望台などの上からの街の見下ろしや,海に出た船からの眺めである。これらはいずれも都市から出て,外から都市を眺める視点である。つまり,都市の夜景の美しさは外部や上空からの眺望であるということだ。それと比べると,イルミネーションは光の中へ入ってゆき,光に包まれるという経験をもたらす。私たちは光に包まれながらそこを移動することで風景を眺める。ビジネスデザイナーの岩嵜博論氏は,構築物のライトアップや花火が「ランドマーク的」であるのに対し,イルミネーションは光のエリアをつくるという点で「ランドスケープ的」であると指摘した。

イルミネーションの光に囲まれるとき,私たちは何となく無口になってゆっくりと歩くような気がする。花火を見るとき私たちはわりと大騒ぎするが,イルミネーションではなぜか静かに歩く。樹木や芝生に敷設されたLEDの光は,都市にかき消されたホタルや星空とは違う質の光だが,これはこれで今日の私たちの詩を生む風物ではある。

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賑わいを誘う花火

参考文献:
岩嵜博論「イルミネーション アクティヴィティを誘発するランドスケープ」
(landscape network 901編『ランドスケープ批評宣言』,LIXIL出版,2002年)

いしかわ・はじめ

ランドスケープアーキテクト/慶應義塾大学総合政策学部・環境情報学部教授。
1964年生,鹿島建設建築設計本部,米国HOKプランニンググループ,ランドスケープデザイン設計部を経て,2015年より現職。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。著書に『ランドスケール・ブック—地上へのまなざし』(LIXIL出版,2012年),『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』(LIXIL出版,2018年)ほか。

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