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解放区としての街区公園

コロナ禍は私たちの生活を大きく変えたが,それをきっかけに
再発見されたものもある。そのひとつが住宅地の街区公園であった。
ステイホーム時代に新しい意味を帯びた公園について考える。

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サンフランシスコ,ドロレス・パーク(2020年5月)。
公園内で「社会的距離」をとってくつろぐ

Photo by Jane Tyska/Digital First Media/East Bay Times via Getty Images

再発見された公園

COVID-19の世界的な流行とその対策,いわゆるコロナ禍は私たちの生活を大きく変えた。できなくなってしまったことや不便を強いられていることも多いが,コロナ禍を契機として新しい価値が見いだされたものもある。そのひとつに,住宅地に点在する小規模な街区公園がある。

コロナ禍が具体的な災厄として私たちの生活にふりかかってきたのは2020年の春のことである。感染症の拡大を防ぐ対策としてまず行われたのが人の移動の制限だった。市民には不要不急の外出を避け,自宅に留まっていることが求められた。また,多くの人が集まること,特に屋内で人が密集することが禁じられ,全国の小中学校は臨時休校となって予定より早く春休みに入った。多くの企業がテレワークを実施し,従業員の執務場所は職場から自宅へ移り,オフィス街や駅や空港からは人影が消えた。

都心から人がいなくなった代わりに賑わいを見せたのが住宅地の街区公園であった。普段はほとんど利用者がなく,閑散として雑草が生えていたような近所の公園が,行き場を失った小学生や未就学児とその保護者たちで平日の昼間から溢れかえった。

街区公園とは都市公園法に基づいて設置される公園のひとつで,住宅地の中に計画的に分散配置される。もともとは児童公園と呼ばれていたのを,1993年の都市公園施行令改正の際に改められたものである。今でも子供向けの遊具が設置されている公園もあるが,最近では社会の変化を反映して高齢者向けの健康器具に置き換えられる例が増えている。

そんな街区公園が,遊び回る子供たちとベンチに腰掛ける大人たちで賑わっている様子はちょっとした眺めであった。かつての児童公園が久しぶりに子供たちに遊んでもらって嬉しいだろうな,と妙な感慨を抱いたのを憶えている。

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住宅地内の街区公園

街の隙間を探して

ところが,この賑わいはそれから1ヵ月も経たないうちに公園の管理者によって絶たれてしまった。公園で遊ぶ子どもたちの様子が,狭い空間に過密に集まっている状態として問題視されたためである。管理者である地元自治体のウェブサイトには,政府が発出した緊急事態宣言を根拠に市立公園の遊具の使用を禁止するというアナウンスが掲げられ,公園のブランコやすべり台には立入禁止の黄色いテープが貼られた。

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感染防止対策として立入禁止のテープが貼られ,遊具が使用できなくなった

私の自宅の近所では,公園から締め出された子供たちは住宅地内の道路で遊び始めた。しかし,近隣の住宅と騒音をめぐる苦情のやり取りがあったり,サッカーボールがカーポートに飛び込む事故があったりして,やがて子どもたちは道路からも追い払われた。

その後に賑わったのは,近くを流れる川の河川敷の草むらであった。川幅30メートル程度のコンクリート護岸に挟まれた小さな川なのだが,ところどころ,河川敷に下りられる階段が設置されている。一級河川に指定されているため河川敷は国の管轄であるが,そのエリアは自治体が管理を担当している。そのためもあってか,この河川敷はコロナ以前から,公園では許されない火を使ったバーベキューなども黙認される,ゆるい解放区のような趣がある場所である。川岸は周囲の土地よりも低いところにあるため,周りの住宅から見えにくく気兼ねが少ないという空間的特徴もある。このような場所があったことは近隣に住む私たちにとって救いだった。走り回る子どもたちやレジャーシートを広げた家族連れが河川敷に居るのは,なんだかほっとする風景であった。

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河川敷が遊び場になった

こうした出来事は,住宅地における公園の意味についてあらためて考える機会となった。そのひとつは,公園はそこにあり続けることが重要だということである。普段あまり使われず,無駄な空間のように見えていても,そのような場所が必要な機会が訪れることがある。近年,避難場所や備蓄倉庫など防災機能を備えた公園も増えているが,学校が閉鎖されて子供たちが溢れるという状況は予想できない事態だった。街区公園はそれを受け止めたのである。

一方でまた,公園はあくまで制度によって運用されるものであり,行政の意向によって使用が禁止されたりする公共施設なのだということもあらためて明らかになった。街区公園は街区全域の人々を受け入れるには小さかったのである。公園が賑わいを呈したために行政によって利用が禁止されたのは皮肉であった。

コロナ禍が始まってほぼ3年,現在でも感染症の流行はまだ克服されていないが,街はかなり活気を取り戻したように見える。公園の黄色いテープは跡形もない。心なしか,コロナ以前よりも多くの住民が街区公園を利用しているようにも見える。もしかするとあのステイホームの時期に,忘れられかけていた街区公園の存在に多くの住民が気づいたのかもしれない。

参考文献:
日本生活学会 COVID-19特別研究委員会編『COVID-19の現状と展望—生活学からの提言』国際文献社,2022

いしかわ・はじめ

ランドスケープアーキテクト/慶應義塾大学総合政策学部・環境情報学部教授。
1964年生,鹿島建設建築設計本部,米国HOKプランニンググループ,ランドスケープデザイン設計部を経て,2015年より現職。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。著書に『ランドスケール・ブック—地上へのまなざし』(LIXIL出版,2012年),『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』(LIXIL出版,2018年)ほか。

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