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幸せの建築術 人類の叡智を再考する 第7回 ブルネイ 無秩序な水上集落の快適さ

かつて東南アジアに行くと,川や湖に建てられた水上集落によく出くわしたものだ。密集した街を歩いていると,突然涼しくなる。足元を見るとそこからが水上。俄然,街が活気づき,賑わいを増す。

水上住居の歴史は長く,この地域に広く見られるものである。なぜ陸ではなく,水上に住むのか。水が蒸発するときに周囲の熱を奪う気化熱作用により,水上は陸地に比べ涼しく快適な環境がつくられているからである。

しかし近代化のなか,多くの水上集落が美観上,衛生上の理由で撤去されてしまった。今日でも開発の進んでいない地域ではまだ見かけることもあり,香港のアバディーンのように観光用に一部が残されているが,これらもやがて消え去る運命にあるだろう。

図版:地図

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写真:水上住居の足元のつくりは簡単

水上住居の足元のつくりは簡単。川底に突き刺した細い柱の基礎によって支えられている。床は水面から平均2mくらいの高さである。幅1mほどの板張りの歩道が網目のように集落をつないでいる

裕福な国の巨大集落

ボルネオ島の北にある小国ブルネイ。1984年にイギリスから独立して以降,豊富な石油と天然ガスの輸出による外貨がこの国に入り始める。その資金をもとに政府は国づくりを本格的に始め,豊かな経済を背景に社会福祉に力を入れた。国民には所得税,住民税は課せられず,教育費も医療費も基本的に無料だ。

ブルネイ国王は,1980年代にギネスブックで世界一の富豪と認められていた。当時完成したばかりの宮殿を実際に見たときは度肝を抜かれた。中央にそびえる巨大なドームに,本物の金板が張られていたのである。1994年に完成したニューモスクの屋根にも金板が張られている。

この豊かな国の首都・バンダルスリブガワンを流れるブルネイ川に,質朴とした巨大水上集落が広がる。人々はここをカンポン・アイール(マレー語で「水の集落」)と呼んでいた。古くから人が住み始め,16世紀には,ここを訪れた西洋人が,その繁栄を「東洋のベニス」と称えたという。

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写真:メインストリートと歩道

写真:メインストリートと歩道

写真:上水道などのインフラ

写真:メインストリートと歩道

写真:メインストリートと歩道

写真:干潮時の住居

1, 2, 4, 5:メインストリートと,そこから枝葉のように分かれる歩道の風景。歩いていると人々の暮らしがよく見えてくる/3:上水道などのインフラ/6:干潮時の住居

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歩道に開かれた生活空間

カンポン・アイールは,いまも3万人以上が暮らす世界最大規模の水上集落だ。42の村を,全長30kmにも及ぶ板張りの歩道が網目のようにつないでいる。このなかに,学校や商店,モスク,病院,警察,ボート用のガソリンスタンドまでもがあり,自給自足可能なコミュニティになっている。

住宅は,風通し優先で窓が大きく開いているため,歩道から室内が丸見えである。お父さんがパンツ1枚でごはんを食べているのがいかにも気持ちよさそうなのだ。子どもは家の内外を走り回っている。夜はすだれのようなものを下ろしているようだ。各戸はそれほど広くなく,小さな空間に多くの人々が雑然と住んでいる。それらは長い時間のなかで育まれた住み方なのである。

ところが,さすがに裕福な国だけあって,どの家にも最新の電化製品が揃っている。それでもエアコンをほとんど見かけなかったのは,水上で十分快適な環境を得ているからだろう。迷路のように縦横に走る歩道の空間は一見,無秩序だが,そこで営まれる生活には人々の幸福感が満ちている。

写真:満潮のブルネイ川

満潮のブルネイ川は,水上住居の基礎が見えなくなるくらい水をたたえる

混沌こそが快適

ブルネイ政府は独立当初,水上住居を恥ずべき伝統であると考え,集落の撤去に向けて動いていた。手始めに,電化や空調などを完備した高級な鉄筋コンクリートの集合住宅を陸地につくり,そこへ人々を移住させた。ところが,数年経つと政府が予想しない事態が発生した。人々が高級集合住宅を捨て,水上の掘っ立て小屋,カンポン・アイールに戻り始めたのだ。

西洋から始まった近代建築は,科学技術の利点を最大限に生かし,人工環境による建築や都市をつくり上げた。エアコンで温度と湿度を,電気照明で室内の明るさをコントロールする。それは人類に最大限の快適さをもたらすはずであった。

しかし,私たち人間の身体は,機械によってつくられた環境だけを快適に感じるとは限らない。カンポン・アイールの住民にとっては,完全空調された鉄筋コンクリートの住宅よりも,現代人が見るとでたらめに見える集落のほうが居心地がいいのである。

ここは,アジア各国の集落や市場などと同じく,混沌としている。それでも,カンポン・アイールの人々は,彼ら自身が快適と感じる住まいを,長い時間のなかで手を加えながらつくり出してきた。混沌と見えるなかにも,おそらく私たちには見えない隠された秩序が存在する。それはバーチャルなものではなく,身体と一体化したものなのであろう。

マスタープランの行方

やがてブルネイ政府はカンポン・アイールを国家の遺産として保護することを決めた。その一環で丹下健三事務所に,市の中心街区から中央モスク,そしてカンポン・アイールへとつながるマスタープランの作成が依頼された。設計スタディの当初,丹下先生はそのあまりにも無秩序な集落に驚き,何か手がかりがほしいと集落の中央に軸線を描き込んだ。現地をよく知る私たちスタッフは,これは間違いなく住民に反対されるだろうと丹下先生に説明し,結局この案は廃案となった。

しかし,ブルネイ政府はカンポン・アイールの再開発を進める際に,何かの理由で立ち消えになった我々のマスタープランを一部実現したらしい。それは近代的なグリッドに基づいた計画であり,混沌さは失われている。そこに住む人々はこの新しいカンポン・アイールに何を感じるのか,ぜひ一度訪れて率直な意見を聞いてみたい。

写真:賑わうオープンマーケット

賑わうオープンマーケット。向こうにオールドモスクの金色に輝く屋根が見える

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古市流 地球の歩きかた

ブルネイ・ダルサラーム国
(Brunei Darussalam)

面積:5,765km2(三重県とほぼ同じ)
人口:40.6万人
首都:バンダルスリブガワン
国王が宗教上の権威であり,国政全般を掌握。「マレー主義,イスラム国教,王政擁護」が国是である。

ブルネイへ行くには

日本からの直行便はなく,香港経由がおすすめ。ほかには隣国マレーシアのコタキナバルへ飛び,そこからフェリー(所要3時間)でラブアン島へ行き,さらに別の船(1時間)でブルネイのバンダルスリブガワンへ入る方法があり,これが最も安いと思われる。

行き交う水上タクシー

かつてカンポン・アイールはブルネイ川北岸の市街地からつながっていたが,現在の航空写真を見るとその一帯は撤去され,幅約200mの川の中央から南対岸へ広がっている。市街側から水上タクシーに乗らないと見学ができないようだ。船着き場は集落のあちこちにある。速度規制もなく,小さなモーターボートが爆音をたてて疾走し,フルスピードの自家用ボートとも頻繁に行き交う。とくに日が暮れるとスリル満点である。

写真:疾走するモーターボート

疾走するモーターボート

ブルネイ料理について

ブルネイ料理(マレー語:Masakan Brunei)と名のつくものはあまりないが,辛いものが多いため,ご飯か麺とともに食べるのが一般的。隣国のマレーシア,シンガポール,インドネシアの料理と似ている。

敬虔なイスラム教国家ブルネイでは,アルコールの販売は禁止されているが,個人用の持ち込みは認められている。空港で手続きが必要だが,750ccのボトルだと2本まで,350ccの缶ビールなら12本まで持ち込める。

古市徹雄(ふるいち・てつお)
建築家,都市計画家,元千葉工業大学教授。1948年生まれ。早稲田大学大学院修了後,丹下健三・都市・建築設計研究所に11年勤務。ナイジェリア新首都計画をはじめ,多くの海外作品や東京都庁舎を担当。1988年古市徹雄都市建築研究所設立後,公共建築を中心に設計活動を展開。2001~13年千葉工業大学教授を務め,ブータン,シリア調査などを行う。著書に『風・光・水・地・神のデザイン―世界の風土に叡知を求めて』(彰国社,2004年)『世界遺産の建築を見よう』(岩波ジュニア新書,2007年)ほか。

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