○社内報の元祖は大正10年創刊の「鹿島組月報」
1921年(大正10年)、「鹿島組月報」が創刊されました。これが当社における社内報のルーツです。この「鹿島組月報」は、第二次世界大戦の激化に伴う用紙統制により、1944年(昭和19年)3月、休刊のやむなきに至りました。戦後、1946年(昭和21年)4月、「鹿島組月報」の発行を再開し、1947年(昭和22年)5月には名称を「鹿島組社報」に改めます。1951年(昭和26年)6月には、機能本位の社報に併せて、「鹿島建設」の発行が始まります。この「鹿島建設」は、現在の本誌と同様、写真中心に編集されており、B5版24ページの、当時としては洗練された斬新なものでした。
| 「鹿島組月報」1922年(大正11年)第2号 B6版62ページ。現存する当社の最も古い社内報である。「新工事契約組員異動台湾出張所の業況報告」などとならび、本号では下請制度改善案をテーマとした懸賞論文の入選作品や「橋梁の最大径間に就て」と題した研究論文も掲載されています。 |
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○鹿島建設月報の復刊第一号は1959年11月
「鹿島建設」を発展的に解消し、1959年(昭和34年)11月には、いよいよ「鹿島建設月報」を復刊し、毎月発行するようになります。これが本誌の第一号です。
今後もなお一層の努力をしてまいりますので、引き続きご愛読のほどお願い申し上げます。
| 「鹿島建設月報」復刊第1号(1959年11月号) 本号は、鹿島守之助会長の歯怺庁と題した巻頭言に始まり、奥只見ダム、新丹那トンネル、三井日比谷ビルなどエポックメイキング的なプロジェクトが掲載されています。本号から196号(1976年3月号)までは、裏表紙に季節にあわせて毎回異なるイラスト入りの「安全スローガン」を掲載していました。 | ||
![]() | ![]() 最盛期に入った三井日比谷プロジェクト | ![]() 裏表紙 |
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