History

1970年
時代は超高層へ。
日本は「高み」をめざし始めた。

高さ31mという制限から解放され、より高く、より大きく使えるビルが求められた時代。それは、地震国日本においては「未知の領域」への進出だった。

浜松町
陸・海・空の結節点を、
貿易の拠点に。

鉄道、首都高、竹芝ふ頭、そして羽田空港までのアクセス、モノレール。
さまざまな交通の玄関口である浜松町には貿易振興のハブとしての魅力がありました。
そして国際都市・東京のシンボルへ…。

地上162mの挑戦

霞が関ビルに続いて、2番目の超高層ビルとして計画。
日本の建築技術の粋を再び集結し、
当時の東洋一の高さ162mに挑んだ2年8か月。

「工事現場」が「撮影現場」に

当時制作中だった劇映画「超高層のあけぼの」。
日本初の超高層ビルである霞が関ビル建設中のシーンは、
「世界貿易センタービルディング」の現場で撮影されました。
スクリーンを通じて、日本の建設技術が広く知れわたりました。

1968年10月16日 朝礼の様子

劇映画『超高層のあけぼの』新珠三千代と佐久間良子

劇映画『超高層のあけぼの』ポスター

建設当時からの
記憶の継承

周辺地域の発展を半世紀にわたり見守ってきた世界貿易センタービルディング。
1969年11月に執り行われた定礎式で披露された井上靖の「定礎の辞」。解体にあたり、53年ぶりに取り出されました。
開業後の1975年に京都伏見稲荷大社から「みなと稲荷神社」に勧請されたご分霊は解体工事を期に芝大神宮に遷座され、新たなビル完成後に再び鎮座されます。
そして、かつて本体躯体完成時に行った上棟式用の鉄骨梁も取り外し、「本館の記憶の象徴」として、後世へと受け継がれてゆきます。

解体の際、姿を現した上棟梁

上棟式の様子

井上靖の「定礎の辞」

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