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瓦:鯱が喜ぶ名工の技

使えるものは再利用が原則

2011年春にはじまった屋根瓦の修理工事は,およそ8万枚の瓦の調査からはじまった。一枚ずつ種類や寸法,使用箇所,取付け位置,保存状態,屋根の形状まで現地で実測し,詳細に調査・記録していく。文化財工事では使えるものはできるだけ再利用するのが原則だ。解体した瓦は汚れを落とすために研磨・水洗いし,反りや歪み,割れなどの状態を確認・選別する。その結果,8割が再利用され約1万6,000枚を新たに製作することになった。

瓦の製作と葺きかえを行ったのが,様々な文化財の瓦を手がける山本瓦工業(奈良県生駒市)である。職長として瓦葺きの指揮を執ったのが串﨑彰さん。一般住宅建築に従事していた20代半ばの頃,伝統建築に関わりたいと山口県下関市に家族を残したまま山本瓦工業の門を叩いた。以来,国宝・正倉院正倉など数多くの文化財の瓦葺きに携わってきたが,城郭は初めてだという。「国宝・世界遺産の修理。世紀の大事業ですし,城は初めてでしたから正直なところ当初は怖さがありました。失敗したら大変なことになると。それでも,瓦一つひとつを解体して原寸図に落としこんでいくに従い,仕上がりが想像できるようになった。それでようやく“よしやったろう!”と気持ちを切り替えることができました」。

解体調査選別を約10ヵ月で終えた後,下地の傷んだ部分を補修して瓦桟を敷く。瓦桟を組むことで葺土を減らして屋根にかかる荷重を軽減できる。串﨑さんは,この作業が最も大切だという。「桟を打つということは仕上がりが決まるということです。姫路城は,まっすぐなところがどこにもない。多少反っていて一本一本線がちがう。そこをきっちり原寸で測って,図面に仕上がりを描くことが重要。これが決まれば,あとはそこに向かって手を動かしていくだけです」。

図版:山本清一会長(左)と串﨑彰さん

山本清一会長(左)と串﨑彰さん

図版:調査後に原寸図を作成

調査後に原寸図を作成

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図版:瓦の解体作業。瓦を支えた葺き土も降ろす

瓦の解体作業。瓦を支えた葺き土も降ろす

図版:旧来の瓦下地の上に桟を組む。この上に瓦を葺いていく

旧来の瓦下地の上に桟を組む。この上に瓦を葺いていく

図版:瓦葺きの様子。事前に瓦の寸法や反りなどを一枚一枚確認・選別し,瓦葺きの前に仮に並べて確認する

瓦葺きの様子。事前に瓦の寸法や反りなどを一枚一枚確認・選別し,瓦葺きの前に仮に並べて確認する

図版:大詰めの瓦葺き作業

大詰めの瓦葺き作業

図版:完成した五重屋根。新たに施された目地漆喰の白さが際立つ

完成した五重屋根。新たに施された目地漆喰の白さが際立つ

鯱が喜ぶ

新たに製作する瓦は,解体後に行った実測・型取りの詳細データを基に山本瓦工業の工場などで製作された。鬼瓦や鯱瓦のような特殊な形状の瓦も同様で,瓦専門の造型師である鬼師によって,複雑な形状の鬼瓦が形づくられる。造形された瓦は,適切な温度と湿度の下,徐々に乾燥させていく。昭和の大修理に携わったことでも知られる山本瓦工業の山本清一会長は「瓦づくりのなかで一番難しいのが乾燥」と話す。職人の最高栄誉「選定保存技術保持者」や「労働大臣卓越技術者」など数々の栄誉を受けている名工で日本伝統瓦技術保存会の会長も務めている。瓦の表面だけが乾くとひび割れの原因となるが,特に鯱瓦は大きさから乾燥に時間がかかる。山本会長は,日に何度も様子を確認しながら3ヵ月間面倒を見た。窯で瓦を焼く際には,内部の温度に細心の注意を払いながら昼夜にわたって焼き上げた。鯱瓦は,形状の変化や割れの発生も想定して二対製作。そのすべてが満足な出来となった。

図版:選定された二尾の鯱瓦

選定された二尾の鯱瓦

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2012年4月7日,鯱瓦の完成にあわせて,姫路駅から商店街などを通って姫路城三の丸広場までを500人が練り歩く“鯱の祝曳きパレード”も行われた。当時の様子を山本会長が振り返る。「関係者の笑顔もうれしいが,なにより鯱が喜んでおったな」。瓦葺きはその後順調に進み,予定通り2012年11月に完成した。

図版:五重屋根に据えられた鬼瓦。揚羽蝶は大天守を築いた池田家の家紋

五重屋根に据えられた鬼瓦。揚羽蝶は大天守を築いた池田家の家紋

図版:鯱の祝曳きパレード

鯱の祝曳きパレード

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