九島橋整第1号の2 市道坂下津1号線 九島大橋(仮称)建設工事
愛媛県・宇和島湾に浮かぶ九島(くしま)と宇和島市陸上部を結ぶ「九島大橋」の建設が進んでいる。
当社JVは,2基の橋脚のうち九島側の橋脚工事を担当。
陸上で製作された高さ約33m,重量約3,600tもの巨大橋脚を,
日本最大のクレーン船で吊り上げ,一括で据え付けるユニークな工事を紹介する。
【工事概要】
九島橋整第1号の2 市道坂下津1号線
九島大橋(仮称)建設工事
- 場所:
- 愛媛県宇和島市坂下津~蛤
- 事業主体:
- 愛媛県宇和島市
- 発注者:
- 愛媛県
- 規模:
- 床掘工8,157m3
鋼管杭打設工32本
水中導枠製作据付1基
水中コンクリート工2,458m3
上柱橋脚工1基 - 工期:
- 2013年3月~2015年3月
(四国支店JV施工)
地域間格差を解消するために
宇和島市は,愛媛県の南部(南予地方)に位置し“伊達十万石の城下町”と呼ばれ,宇和島城を中心に江戸時代から四国西南地域の中心都市として発展してきた。リアス式海岸の段畑で色づくみかんが特産品のひとつ。穏やかで澄んだ宇和島湾では,鯛,ハマチ,シマアジ,フグなどの養殖が盛んに行われ,鯛は生産量日本一を誇る。水産加工品や真珠なども有名である。同湾には周囲約12km,面積約3.36km2の離島,九島があり,1,000名弱の人々が暮らしを営んでいる。現在,建設が進められている「九島大橋」は,宇和島市の坂下津(さかしづ)地区と九島の蛤地区を結ぶ橋長468m,有効幅員5.5m(全幅7.25m)の鋼3径間連続鋼床版箱桁橋。事業主体は宇和島市で,愛媛県が工事発注を代行し,当社JVは九島側の橋脚工事を担当している。
「この橋が完成すれば,九島は離島でなくなり,地域間格差を解消することができます」と話すのは,愛媛県南予地方局建設部道路課の清水康弘専門員。宇和島市から県に派遣され,2008年同市が調査設計を開始した頃から,架橋プロジェクトにかかわり,発注業務全般を担当する。「島民の方々は,常に医療や防災面での不安を抱えています。また,フェリーが内地への唯一の交通手段で,台風などで欠航となれば通勤・通学に大きな影響があります」。宇和島で生まれ育った清水専門員は,九島出身の友人や知人から離島で暮らす不安や不便さを耳にすることが多く,その度に今の状況を改善してあげたいという気持ちになると話す。
巨大橋脚を据え付ける
この橋の大きな特徴は,その施工方法にある。通常,水中に橋脚を構築するには,仮設の鋼管矢板などで,施工場所の周囲を締め切り,内側の水を排水をした後に工事を進める。しかし今回の水深は約30mもあり,大規模な海工事となることが予想されたため,陸上で製作した橋脚(他社工事)を大型クレーン船で運び,一括で据え付ける方法を採用した。「今の土木技術をもってすれば,様々な方法で施工は可能ですが,経済性,安全性,環境配慮などの要因を総合的に判断して,施工方法が決まりました」(清水専門員)。
当社JVによる橋脚の据付け工事は,5月20日に行われた。曇り空のなか,朝6時に朝礼開始,作業の確認,安全祈願を行い,橋脚の吊り上げ作業が始まる。「ここは潮流や風の影響は少ないので,その点での心配はありませんでしたが,“地切り”は工事関係者全員が手に汗握る瞬間でした」と振り返るのは,現場を統括する鎌田俊彦所長。“地切り”とは,荷重を地面から切り離し,吊上げ状態を保持することを指す。東京国際空港D滑走路の埋立工事など様々な臨海関連の工事に携わってきた鎌田所長にとっても,重さ約3,600t,鉄筋コンクリート製の6m角,高さ28mの柱部と,19m角,高さ5mの底版部からなる橋脚を吊り上げる作業は特別なものだった。合わせた高さは33mと10階程度の建物に相当する。「これだけ巨大なものを吊る作業は経験したことがありません。計算上は大丈夫とわかっていても,現場を任される身としては,実際に目で見ないと安心できないものです。巨大な橋脚が浮き上がるのを確認し,1つのハードルをクリアできたと感じました」(鎌田所長)。
橋脚を吊り上げた状態で,約1.8km離れた据付け地点まで曳航し,巨大橋脚を海中に沈める作業を行う。これらの作業の要となったのが,日本最大のクレーン船「海翔」だ。吊上げ荷重4,100t,高さ130m,長さ120m,幅55mの規模を持ち,巨大橋脚も小さく見える程の大きさである。
“橋脚”は1日にして成らず
最終的に作業開始から7時間弱で橋脚を沈設したが,決して当日の作業だけで橋脚が完成する訳ではない。「この日のために,1年かけて準備をしてきました」と話すのは,入社8年目の十河(そご)浩工事係である。工事に本格着工した昨年5月から,海底面の浚渫や砂の投入,橋脚底版部の鋼製型枠製作,杭の打設などの作業を進めてきた。なかでも,直径1.5m,長さ45m~48mある杭を高い精度で施工することがポイントとなった。ズレが生じれば橋脚の据付けに支障がでるからだ。
昨年11月に計32本の杭を打設している。基準杭2本,橋脚を沈める際にレールのように定着場所まで導く導杭2本,最終的に橋脚を支える基礎杭28本を,海底面から地中約15mの支持層まで打設する必要があった。特に,全ての杭の基準座標となる基準杭の精度確保が重要で,当社JVの提案により様々な測量技術が用いられた。「普段使われる光波による計測システムに加え,打設している杭を自動的に追尾してリアルタイム表示するシステムや望遠カメラ搭載型の計測システムを導入しました。さらにGPSによる杭座標確認も並行して行いました。精度確保のための“フルコース”です」と十河工事係は胸をはる。その結果,基準杭の出来形精度は,平面方向ずれは規格値100mmに対して31mm,傾斜は規格値1%に対して0.1%を実現した。
基準杭の打設後,鋼材を格子状に組んだ水中導枠を基準杭に沿って海底まで沈める。これは導杭や基礎杭の打設位置を示すための“定規”のような役割を果たす重要なもの。水中導枠のたわみ・ねじれを防止しながら正確に沈設するための方法や,格子と基礎杭とのクリアランス調整などを技術提案し,その後の導杭や基礎杭をトラブルなく高精度で施工することに成功した。さらに,基礎杭は海底面から約3mの高さで海中で切断して,橋脚を待つことになる。これらの土台となる作業があって,今回の巨大橋脚の据付けを可能にしたのだ。
着底まで1mのこだわり
5月20日に行われた工事のなかでも,橋脚を沈めていく作業は,慎重を極めた。着底まであと1mのところからは,1分間に1cmの非常にゆっくりとした速度で沈めていった。それまでは1分あたり1m程度で進めていたため,作業を見守っていた見学者は工事が止まったと感じたという。この慎重な作業には,当社JV関係者のこだわりがあった。「橋脚の頂部が1cm傾けば,海底30mでは10cmのズレとなります。据付け精度を決める大切な作業なのです。また,橋脚の底版部には鉄筋が配筋されていますから,基礎杭と接触すれば鉄筋を曲げてしまう可能性もあります。水中の見えない部分だからこそ,手は抜けません」(鎌田所長)。橋脚を吊っている16本の各ワイヤーの直径は約12cm。数センチ単位の調整をしながら,橋脚の四隅を水平に保ち水深30mに着底させることは容易ではない。また沈設作業に入ると強い霧雨となり,測量用の光波が途切れ橋脚位置の確認に時間を要した。この難しい作業を担当したのが「海翔」を保有する協力会社の寄神建設。同社中国支店九島作業所の大園博起所長は「陸上の測量担当と海上の船やクレーン担当が密に連絡を取りながら慎重に,そして丁寧に作業を進めました。様々な海洋土木での経験で得た“技”と“阿吽の呼吸”が活きました」と話す。磨きあげられた優れた技能が施工には欠かせない。
関係者に工事内容を理解してもらう
この現場付近の海域は,航路幅が約400mと狭いことも特徴となる。他社JVが担当する坂下津側の橋脚工事と工事海域を移動しながら交互に施工することが決められていたことから,航路幅が200m以下となる。そこに小型漁船が1日200~300隻のほか,公共船舶(フェリーが1日9往復,高速艇6往復)が通過するため,工事用船舶との衝突などが懸念された。「事故が無いようにすることが絶対条件です。そのためには紙の資料を配布するだけでなく,漁協やフェリー会社などに何度も足を運び,工事内容を理解してもらうことが大切です。地域の皆さんには,工事関係者の一員と思ってもらえるよう,説明をしてきました」と話すのは,宇和島出身の中村満治専任部長。地域との良好なコミュニケーションを築いてきた中心人物だ。愛媛県の清水専門員は「船舶との衝突リスク以外にも,付近には鯛などの養殖場が多くあります。水質汚濁防止に神経を使いながら工事を進める必要がありますが,漁協をはじめ関係者との調整を自主的に図りながら,慎重に工事を進めてくれています」と評する。
今年5月で開通15周年を迎えた来島海峡大橋(しまなみ海道)など,数多くの現場を経験してきた中村専任部長は「施工条件が同一の現場はありません。それぞれの条件に合わせて柔軟な対応が必要です。いま必要と思うことを実行しているだけですよ」と謙虚だが,果たしている役割は大きい。
今後は,杭と据え付けた橋脚を一体化させるため水中不分離性コンクリートを打設,さらに上部にRCの橋脚を構築して,2015年3月までに下部工の工事を終える予定。その後,上部工の工事(他社工事)が行われ,「九島大橋」の全体完成は2016年3月となる。
島民の悲願の橋完成に向け,発注者・施工者が一丸となり,ラストスパートに入る。
現在,九島には約400世帯,1,000名弱の人々が暮らしている。明治の終わりには,約800世帯,5,000名弱だったが,離島の不便さから住民は減っていった。1987年に九島連合自治会が,宇和島市に架橋を陳情しているが,50年以上前から橋を望む声があり,悲願の橋だという。
長年にわたり橋の建設を推進してきた九島架橋推進協議会の平井利彦会長(前列中央)ほか,島民の皆さんに集まってもらい,離島であることの不便さや不安,そして橋への期待を聞いた。
- もし火事になったら,全員無事に避難できるか不安です。
- 市街地にある病院が近くに見えるのに,すぐに行けないもどかしさがあります。
- 島には中学校がなく,小学校を卒業するとフェリー通学となります。欠航になれば学校に行けないんです。
- 娘が妊娠中に破水した時,沖に出ている船を呼び戻して,病院へ連れていったことは今でも忘れられません。
- フェリーに自動車を乗せると,軽自動車でも往復4,000円以上かかります。宇和島港の近くに駐車場を借りていますが不便ですし,負担にもなります。
- 橋ができれば,バス,自転車での通勤・通学ができ,市街地に住む人と同じ生活ができます。また急病の時,救急車が家の前まで来てくれるのは安心です。
- いつでも,どんな時でも,自由に行き来ができる陸続きの安心感を早く味わいたい。