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地震の想定

当社グループの小堀鐸二研究所で,地震を専門分野として防災問題を研究する
武村雅之副所長に,巨大地震と大津波への取組みの方向性について考察してもらった。

写真:小堀鐸二研究所 副所長 静岡大学防災総合センター 客員教授 武村雅之

小堀鐸二研究所 副所長
静岡大学防災総合センター 客員教授
武村雅之(たけむら まさゆき)

研究分野は,地震学および地震工学。おもな著書に,『未曾有の大災害と地震学:関東大震災』(古今書院),『地震と防災』(中公新書),『天災日記:鹿島龍蔵と関東大震災』(鹿島出版会)などがある。

※地震本部
正式名称は,地震調査研究推進本部。地震防災対策特別措置法に基づき設置された文部科学省の特別の機関。

今回の東北地方太平洋沖地震は,文部科学省の地震本部が, 869(貞観11)年の貞観地震の津波堆積物の研究などを通じて,宮城県,福島県に同様の地震の想定を発表しようとしていた矢先に発生したということである。私も地震学者として残念でならない。ところがよくよく考えてみれば,地震本部からこの想定が発表されていたからといって,自治体や市民の立場から見て,今回の地震を想定内の地震だったと言えただろうか。

80年前の出来事

1896(明治29)年6月15日岩手県沖において,今回と同様,いわゆる太平洋プレートが潜り込む境界で地震が起こり,大津波によって三陸地方を中心に2万人以上の犠牲者が出た。

さらにその37年後の1933(昭和8)年3月3日には,今度は日本海溝の東側で同じ太平洋プレートが割れて地震が起こり,再度の大津波で,やっとのことで復興した村々が再び壊滅的な被害を被った。当時文部省にあった震災予防評議会の地震学者や地震工学者は,将来の地震に対して二度とこのような被害を出さないために,同年3月31日には,政府に対して被災地で住宅の高地移転の準備をするよう上申した。その後具体案を「津浪災害予防に関する注意書」としてまとめて1月後の4月30日に再び建議した。さらに,評議会の幹事を務めた地震学者の今村明恒らは,地元の岩手県庁や現地の村々を訪れて高地移転の必要性を説いてまわった。その結果,三陸地方では数千戸が高地へ移転し,その際に高地移転を果たした集落の多くが今回の津波の被害を免れた。

想定内とするために

地震学者であれば,今誰しも心配なのは,宮城,福島両県沖の海溝の向こうでプレートが割れて,80年前のように再び今回の被災地に大津波が襲来しないかということである。今すぐかもしれないし,40年後かもしれないし,起こらないかもしれない。

一方では,そろそろ被災地では復興の青写真の作成がはじまろうとしている。その際,住宅の高地移転や津波避難ビルの配置計画などが話題となるはずである。

この際地震本部には学術会議などと協力して,市民が納得して安全な町にできるよう,様々な分野の学者や技術者の意見集約を図り,この将来の地震に備えた復興に役立てて欲しい。

一つの枠組みの中で実行的に「知」の融合が図られなければ,今回のような難問は解決できない。地震の想定は,自治体や市民が納得して対策に取り組んでこそはじめて想定内となるのだと思う。そこまで働きかけていくことが,「想定」に携わる地震学者の責任であると肝に銘じたい。

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