年度末に襲った大震災。
大きな余震が続く中で,
一日も早い復旧・復興を願わずにはいられない。
新しいシーズンのスタートに,
市民の切実な思いが託された “大切な場所”がある。
当社が手がけた復旧工事の現場を追った。
150日の大改修
今から6年前の2005年4月。東北楽天ゴールデンイーグルスと現日本製紙クリネックススタジアム宮城(仙台市宮城野区)が誕生した。
ロッテオリオンズのフランチャイズ時代から,すでに30年近い年月が経っていた。新球団・楽天をフランチャイズとして県営宮城球場に誘致することは,宮城県民,仙台市民の熱い思いでもあった。当社は,傷みの激しい球場を「東北の夢」ボールパークに変身させる工事の設計・施工を担当。当時39歳の河原木忍所長が工事を任され,厳冬期にもかかわらず,わずか150日で大規模改修をやり遂げた。
赤い糸で結ばれた所長
3月11日,河原木所長は,単身赴任先の青森県の工事現場から,「たまたま代休を取り,仙台の自宅に戻ってきて被災した」。
週明けの14日,青森の現場に戻ることができずに支店へ出社したところ,支店長からすぐに被災したスタジアムの復旧方法について意見を求められ,翌日には担当者になっていた。6年ぶりのスタジアム工事に,当時の工事担当者を呼び寄せた。
久しぶりに見たスタジアムは,照明や外壁,観客席などの47ヵ所が破損していた。3月22日,工事着手。施工に当たっては,被災状況を写真に記録し,安全確保のため緊急を要するものから直すというスタンスで,楽天野球団の判断を仰いだ。4月29日にホーム開幕戦が予定されており,40日足らずで復旧を完了することが命題となった。
被災直後。3塁側スタンドの段床にずれが発生
復旧後
河原木忍所長
余震が続く中での復旧工事
工事を進めていく中で,新たな破損箇所が次々と見つかり,結局は82ヵ所に上った。
工事では予想以上に段取りに手間取った。「資機材を調達しようにも,業者や協力会社も被災している。新潟や山形,秋田まで手を伸ばした」と河原木所長。呼び寄せた作業員には,宿泊,燃料の世話も。作業員の中には家を流されたものもいた。「みんなが被災者。仕事が終われば自らの生活の修復作業が待っているので,厳しい工期とはいえ, むやみに残業はさせられなかった」と振り返る。
工事の最中にも余震が相次ぐ。修復した後に再度破損した箇所もあり,工事は一時停滞した。しかし,その後も地道に作業を続けることで,何とか工期内に復旧を完了した。 4月29日, 2万人を超える観衆で埋めつくされた球場で,楽天ゴールデンイーグルスは,地元仙台の開幕戦を白星で飾った。
クレーン車で照明塔用足場を組み立てる
スタジアム観戦風景
6年前には,「新たなボールパーク」という夢に向かって進めていましたが,今回は早くスタートラインに戻そうという思いでした。
地震の直後に,開幕戦のチケットを握り締め,球場が大丈夫かどうか,わざわざ片道10数kmを自転車で駆けつけたファンがいました。そんな野球への熱い思いが,我われの開幕準備への大きな励みになったのです。
地震のあと速やかに,鹿島や協力会社の皆さんに駆けつけていただいた。とくに6年前の改修を知っている人たちに集まってもらい,復旧工事で頑張ってもらったのは,大変心強くありがたく思っています。
楽天野球団・堀江隆治スタジアム部長
サッカーJ1復帰2シーズン目となるベガルタ仙台の本拠地,ユアテックスタジアム仙台(仙台市泉区)。被災直後から仙台市復興の象徴とされた。
そのスタジアム自体も,地震による被害は大きかった。スタジアム入口となる北口エントランス広場,観客席階段の踏み石,構造体の継ぎ目部分の観客席シートなど, 度重なる余震で被害箇所は次々と増えていく。スタジアム内部の割れたコンクリート片は,すべて落下させてから修復作業を開始した。
工事を担当した高橋直裕所長は,「被害箇所は広いスタジアムの各所に点在し,限られた時間と作業員の中で効率よく作業を進めるのに苦労した」と,応急復旧の難しさを語った。
無事に復旧工事を終えたスタジアムでは,4月29日,ベガルタ仙台対浦和レッズ戦が行われ,ホームゲームを白星でスタートした。
被災直後。北口エントランス広場周辺の舗装部分が破損
修復作業。被害箇所は広いスタジアムの各所に点在
高橋直裕所長
「崩れた石垣,道塞ぐ」と報道された仙台城跡(仙台市青葉区)。3月11日の本震と4月7日の余震で,城跡西側の石垣が崩れ,脇を通る市道が通行止めとなった。しかし, 城跡北側の石垣は,全く崩れずに雄姿を保っている。
北側の仙台城本丸跡石垣は,仙台市の青葉山公園整備事業の一環として,かつて当社が修復している。300年以上の時を経て老朽化し,崩壊の恐れがあった石垣について,築城当時の姿を再現するための3次元CADを開発して設計図を作成。耐震用補強ネットなど現代の工法を補助的に用いながら,専門の石工職人が江戸時代からの工具を使い,伝統的な工法による手作業で丁寧に積み直した。1998年から2004年にかけての大規模な修復工事により,杜の都・仙台の歴史遺産は護られた。
健全だった本丸跡北側石垣
崩落した石垣