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東日本大震災・緊急座談会 未曾有の大震災と向き合う

復旧から復興へ——。
今後5年,10年と長期にわたって,この震災と向き合いながら復興させていくことになる。
東北支店で陣頭指揮をとった赤沼支店長と,最前線で現場を任された支店担当者,
そして,バックアップ体制を推進した本社担当者らが,震災対応のこれまでとこれからを語った。

出席者

赤沼聖吾
専務執行役員
東北支店長

宮本浩介
東北支店土木部
工事工務グループ
課長

森山富雄
東北支店建築部
建築工事管理グループ
課長代理

星野恒明
東北支店建築設計部
構造設計グループ
技術長

池谷 毅
技術研究所
主席研究員

林 宏延
土木管理本部
土木工務部鉄道グループ
課長

堀内大輔
建築管理本部建築工務部
工事グループ長

進行:本誌編集部

東北地方太平洋沖地震の特徴

——今回の地震に関して,まず特徴を教えてください。

池谷 3月11日,14時46分。震源は三陸沖の牡鹿半島の東南東約130km付近。深さは約24km。地震の規模は,気象庁のマグニチュード,つまり地震の揺れのエネルギーに相当する量で,M8.4です。

——一般的にはマグニチュード9.0といわれています。

池谷 モーメントマグニチュード(Mw)が9.0。これは地震の断層の大きさや滑りの量に関係する,歪みのエネルギーの大きさを表すもので,Mwは津波の大きさに密接に関係しています。Mw9.0は2004年のスマトラ沖地震に匹敵する大きさになります。

——それで津波の被害が非常に大きかった。

池谷 津波の浸水範囲は,恐らく約500km2以上あっただろうと言われています。津波が斜面を駆け登った遡上高は,三陸の一番高いところで40m弱。仙台湾以南の平野部では,海岸から最大8kmまで浸水しました。どこまで遡上したかは,避難を考える場合にきわめて重要です。
支店長 なるほど。
池谷 この地域の津波の履歴について,『日本被害津波総覧』を見ますと,過去に大きかった津波は貞観津波(869年)。次いで慶長三陸津波(1611年),明治三陸津波(1896年),昭和三陸津波(1933年)です。
支店長 土を調べて,過去の津波の状況調査で貞観津波クラスを予想していた先生方のグループがいたじゃないですか。
池谷 ええ。いろいろな沼や平野で土の断面を切ると,シルト質のものが徐々にたまっているところに,砂や貝殻など海から来たものが堆積している。そういう堆積物を調べて,津波の規模などを調査しています。

写真:東北支店長 赤沼聖吾

東北支店長
赤沼聖吾

——今回の震災では,建物の被災状況はどのようなものだったのでしょうか。

星野 被災直後から建築物の安全確認で,お客様の建物を見て回りました。外観で壊れていなくても被害を受けていることもあります。余震がずっと続いている状況で,安全に使えるかどうかは,お客様も非常に心配なところです。安心してもらうために,安全と思われる建物も含めて一通り調査を行いました。
支店長 本当に大きな余震が続いたからね。
星野 そうですね。地震については,構造躯体,いわゆる主要構造部に対する被害は,全般を通して意外と少なかったのが実状です。
宮本 土木構造物もそうでした。
星野 これは阪神・淡路大震災のときとは随分違います。大きな被害を受けたものもいくつかあったのですが,それらは旧耐震設計のもので,新耐震設計の妥当性はある程度確認できました。
支店長 耐震構造は健全だった。
星野 構造躯体そのものは建築基準法上の人命を守るという目的に沿った形で守られた。ところが,仕上げ材あるいは構造二次部材の被害はかなり多い。天井が全部落ちたとか,内装仕上げの壁が落ちて施設内に入ることができないといった状況の建物ですね。
支店長 天井のデザインと設備との取合いの問題だね。
星野 お客様からすれば,事業を継続するために,内装も含めて建物全体を安全に使えることが重要です。仕上げ材とか二次部材の耐震性について今後考えていく必要があります。そういう意味で免震構造は,非常に有効に機能していて,地震に対する安全性が確認できたと思います。
森山 私も地震直後から調査を担当しました。最初は近くの現場でただ状況を見てくるだけ。次第に構造の方と一緒に動いて安全性を評価して,写真を撮って報告書をつくってお客様に提出しました。やがては見積りまで出して,その中で回ってきた復旧工事を今担当しています。
支店長 そういうものです。ところで津波の被害はどうだった。
星野 何ヵ所か津波のエリアを調査に行きました。そもそも建築物というのは基本的には津波を想定して設計されていません。木造はもちろん,鉄筋コンクリートとか鉄骨の建物でもなぎ倒されているものもあります。今後沿岸地区で建物を設計する上では,津波の荷重をどう考えるかが求められていくだろうと思います。
支店長 結局,建築物の調査は何件ぐらいでしたか。
星野 支店建築設計部の構造グループで200件弱。私個人で20件ぐらいでしょうか。大体1ヵ月かけて調査を行いました。支店全体で約1,100件の調査依頼に対応しましたが,建築管理本部と建築設計本部,関連会社のアルテスなどから週替りで支援に入っていただき,非常に助かりました。
支店長 初期の調査の人たちが大変だった。北陸支店から1,000個のおにぎりが毎日,夕方に届き,翌朝そのおにぎりと水を持って,1日の調査に出かける。
 土木の現場もそうでした。始めはおにぎりだけ持って入って,1日現場から出てこない。でもだんだんグレードが上がって,私が行った頃にはお弁当に変わっていた。
支店長 最初は備蓄の乾パンですからね。皆さんが支援して下さったおかげです。
星野 私は,被災後1週目ぐらいの調査のときに,お客様が炊出しの温かいご飯をごちそうしてくれました。涙が出るほどうれしかった。

——土木の被災状況はいかがでしたか。

宮本 土木の構造物については,地震で何かが壊滅的に壊れているというのはほとんどなかったと思います。一方津波では,沿岸部にある構造物が相当やられています。特に仙台湾や福島にある火力発電所などが,津波の被害で運転が止まった。仙台港を中心とした工業地帯にある石油プラント関係も,復旧に全力を傾けて来ました。
支店長 調査はだいぶ落ち着いてきた。
宮本 あと,岩手県の石油備蓄基地では,石油自体はトンネルを掘って岩盤の中で備蓄し,大丈夫だったのですが,それを制御している陸上の施設が被害を受けてしまった。
支店長 陸上の被害は大変でしたが,岩盤は地震時も安定していたわけですね。

写真:東北支店土木部工事工務グループ 課長 宮本浩介

東北支店土木部工事工務グループ
課長
宮本浩介

応急復旧,懸命の対応

——こうした被害状況の中で,
応急復旧に対応した本社側の体制はどうでしたか。

堀内 本社でもすぐに震災対策本部を設置する一方,土木管理本部と建築管理本部には支援本部を立ち上げました。当初はすべての主管が総務部だったので大変苦労されたようです。指揮命令ラインが混乱していたので,総務部と役割分担を明確にし,特に発注関係に関しては建築管理本部に一本化しました。調達した救援物資のトラックをすべて本社前に集めて,方面別に積み直す。その作業は東京建築支店が担当してくれました。
支店長 なるほど。すばやい対応だった。
堀内 食糧の調達も苦労しました。インスタントやレトルト食品が欲しいという要望が入りますが,東京ではもう売切れです。全支店にお願いしましたが,どこも大量には買えず,少しずつ集めて送ってくれました。営業本部にも「得意先に調達をお願いしてください」という話をして,お客様からスパゲティー3万食を提供していただいたりもしました。
支店長 本当にありがとうございます。そこまで苦労して集めているとは知りませんでした。物資の搬送といえば,北陸支店建築部設備工事管理部長の進藤さん。中越地震でいろいろと経験していた彼が,自ら運転して最初に物資を運んできました。
堀内 燃料輸送や山形を通る迂回ルートを使うなどの搬送ノウハウを展開しました。進藤さんが道を開いてくれたのです。
支店長 ロジスティクスも建築管理本部のアイデアでした。
堀内 そうですね。建築資機材のひっ迫が予想される中,どこかに置き場所をつくり,建築管理本部の人を派遣し,受入れ・仮置きして,被災地の現場に必要な物資をすぐ持っていける体制を作ろうということになりました。
支店長 それで富谷に物流拠点を作った。宮本君には,毎日夕方の支店震災対策会議でいろいろまとめていた話を。
宮本 震災対応で社員を被災地に送り込むわけです。送り出された人は,ともするとそこで孤立してしまう。情報も入ってこないし,いま周りがどういう状況になっているのかもわからなくなるおそれがあった。ですから彼らと常に連絡をとり合い,情報共有を心がけました。
支店長 そういうことは非常に大事だよね。
宮本 いつどういう要請があって,だれが対応して,終わったかどうかをずっと記録しました。対策会議で支店長が指示したこともメールに記入して。それを震災対応に当たっている社員と管内の現場の所長など,全員に出し続けました。1日1回は,「どんなあんばいですか」と,現場に聞き取りもしました。
支店長 双方向のコミュニケーションができれば,結果としてうまくいくよね。
宮本 そうですね。

写真:東北支店建築部建築工事管理グループ 課長代理 森山富雄

東北支店建築部建築工事管理グループ
課長代理
森山富雄

——そして個別の復旧となるわけですが,
林さんは本社から応援要員で携わった。

 はい。JR東日本の東北新幹線の復旧工事を担当しました。本社ではすぐに土木営業本部の山口芳昭技師長を中心に土木管理本部などからなる鉄道連絡会議という協議体をつくりました。支店とのやりとりはもちろん,JR東北工事事務所からだけでなく, JR本社からの情報も取り入れて,調整を図りました。
支店長 情報の入り口が重要ですね。
 そうですね。被害状況の把握と応急復旧の方法で手間取りました。一番問題になったのは,施工の方法です。高架橋の外から補修するのか,線路の中に入るのか。これにより使用重機も大きく変わるからです。1週間ぐらいたって,中からやることになり,本格的に工事が始まったわけです。
支店長 あれは正解でした。
 郡山駅南側から蔵王トンネルまでの約70kmの範囲。かなりの距離ですので工区分けしました。高架橋の上り口が決まっているので,施工箇所まで約2km,3kmと歩きながらの作業になります。1日の移動量は,私の万歩計でも2万歩以上になったので,皆さん苦労されたと思います。
支店長 それは本当に大変だった。
 施工法について毎晩遅くまで打合せし,施工は時間がなく昼夜兼行で行いました。頑張ってようやく復旧したところに, 4月7日の余震でまたいくつかの電柱が倒れたのです。
支店長 やりきれなかったと思う。せっかく終わったところがまた倒れたからね。
 ゴール目前でまた戻された形ですが,それでも何とか期限内に復旧できました。JRさんからは「対応が大変早くて助かりました」と言われ,ホッとしています。
支店長 お疲れさまでした。

写真:東北支店建築設計部構造設計グループ 技術長 星野恒明

東北支店建築設計部構造設計グループ
技術長
星野恒明

——建築の復旧工事はいかがでしたか。

森山 仙台市北部の工業団地にある物流倉庫の応急復旧を担当しています。3月16日,営業担当者と最初の調査に行くと,「鹿島がつくったからこうなったのだろう」といきなり一喝されました。見ると下地にモルタルを塗った耐火間仕切りが今回の地震でかなり崩れていました。図面通りにはつくっているのですが。
支店長 施工上の問題ではなさそう。
森山 数年前に鹿島で耐震補強していました。そのときはブレースの接合面の補強は,すべて行ったようです。ただ,モルタル壁は構造壁ではないので,何も手をつけていなかった。お客様には細かいところはよくわからないので,「耐震補強したのになぜ」と。説明を重ねて何とかご理解いただき,ボード壁に変える提案をして,今その工事を行っています。
支店長 これはいい経験になるよ。
森山 お客様としてはとにかくすぐ使いたい。3月16日の調査の後,協力会社の作業員を10人出せる日があるという情報が入り,すぐ19日にがれきの撤去をしました。とにかく応急で危ないところを除去した後,その状態でお客様に使ってもらっています。
堀内 一人でやっているの。
森山 一人です。現在は研修センターと物流倉庫の2つ同時並行で工事を進めています。朝8時と8時半に,それぞれ順番に朝礼をするのが結構大変です。
支店長 休んでいるのか。
森山 お客様から「これは日曜日に工事してほしい」といわれると,なかなか休めません。今は,田中正良所長グループで動いているので,今後は交代しながら休めるようになりそうです。
支店長 それを初期段階から言ってきたのです。現場一人制にすると,ずっと一人に負担がかかるから,人も材料も含めてグループ制の中で調整して復旧工事をしなさいと。
森山 はい。
支店長 絶対にいい経験になる。私も宮城県沖地震のときに経験しているから。
森山 新築工事とか大規模現場ばかりでしたので,一人でお客様とやりとりしたり,資金管理もやり,大変勉強になりますね。
支店長 トータルで物事を考えていかなきゃだめだという経験は,とても大事です。

写真:技術研究所 主席研究員 池谷 毅

技術研究所
主席研究員
池谷 毅

改ページ

東日本大震災から学ぶもの

——皆さんいろいろ経験されていますが,
一連の対応を通じて学んだことは。

宮本 震災の被災度調査で本社から大勢の技術者に応援していただきました。お客様に対しても安心感を与えられて,非常に助かったと思っています。また,建築部の調査で,例えば敷地が損壊している案件では,土木部にも報告が回ってきました。震災の現場では土木と建築が連携して復旧工事を実施していけたらと思います。
星野 連携という点で今回よかったのは,営業と施工と設計が必ずセットで動くというルールをまずつくったことです。それぞれが何度も足を運ぶことなく,スピーディーに行動できました。
森山 おかげで数多く調査をこなせました。今回内装の被害が多かったのですが,納まりなどでゆとりをきちんととっている部分とそうでない部分では,被害状況が結構違うのが分かりました。
支店長 これをもう一度しっかりフィードバックし,設計から施工まで,こうすべきだというのを残すべきです。
 支店と本社の連携もありました。大切なのはアドバイザーの役割。現場は躍起になって頑張っているのですけども,一歩引いた第三者的な目で助言していくコーディネーター的な人が本社からも必要です。
支店長 これもいい視点ですね。
 東北,関東,東京,横浜,北陸,5支店でJR現場を中心に災害防止協議会を年4回ほど開き,管轄の工事区の人を迎えて話をしてもらっています。情報共有は安全面だけでなく技術面でもありました。今回も,東京土木支店からアドバイスが出てきましたが,そういう工事担当者間の連携も深めていきたいと思います。
堀内 個人と組織の関係も重要でした。本社での活動は,発災後混乱した当初は個人がよく動き,徐々に組織的になっていきました。みんなよく連携を取って動いたと思います。支店では赤沼支店長がリーダーシップをとられていたので,本社からはとにかく人を必要なだけ送り,あとは現地できちんとやるというのがベースで,今回はよかったと思います。
支店長 折々に本社からいろいろアドバイスをもらい,ありがたかったですね。
堀内 一方で,建築管理本部として別途人を出して支援したのは,とても本社に報告を上げていられないという支店の繁忙状況を勘案し,派遣された社員が情報を吸い上げて本社に流す,というやり方でした。
支店長 本当に助かりました。
池谷 ベテランと若手の連携も。技術研究所土木構造グループには阪神・淡路大震災の経験者がいましたので,直ちに禁足をかけて,過去の経験をいかした対応ができました。さらに少し先のことも考えて,若い人も送っています。
支店長 いい経験になるでしょうね。
池谷 次の津波は, 500年後なのか,100年後なのか,もちろん明日かもしれません。今回の情報や考え方を次世代まで伝えていく手段を講じないといけない。土木管理本部が中心となり土木設計本部と技術研究所で担当者を決めて,すべての情報を集約する体制をとって,さらに対応を進めていきます。

写真:土木管理本部土木工務部鉄道グループ 課長 林 宏延

土木管理本部土木工務部鉄道グループ
課長
林 宏延

復旧・復興に向けたまなざし

——これからの復旧・復興に向けた方向性はどうでしょうか。

池谷 実は,1994年に津波がどういうふうに力を及ぼすかという研究を,技術研究所でスタートさせました。1993年に北海道南西沖地震で奥尻島の津波が起こり,当時技術研究所長だった故野尻陽一副社長の指示で,北海道へ調査に行きました。陸上の構造物にかかる津波の波力の研究を始めたのです。
支店長 建築では,風じゃなくて津波の力だったら設計できないでしょう。
星野 いや,それは力が決まりさえすれば,設計することは可能です。
池谷 防波堤や護岸をつくって津波が陸上にあがってこないようにするのが土木の領分ですから,陸上の建物に津波が作用するのでは土木的には負けを意味します。技術研究所では2000年頃に,津波の力について論文をまとめて,それが「津波避難ビル等に係るガイドライン」の中に,ある程度盛り込まれました。研究成果がどれほど正しかったかを真摯に見つめてみたいと思っています。
星野 今後恐らく何らかの設計上の指針が出てくるのではないかと思います。
池谷 建築基準法の中に含めるという動きが出てきているとは聞いていますよ。
星野 そうでしたか。少なくとも沿岸部の防災拠点といわれるようなものでは,新たな基準が必要になると思います。
支店長 今回の津波で松島町は被害が少なかった。なぜかというと島々があったから。だから極端なことを言うと,陸上に島をつくる。仙台平野の沿岸部で,砂浜の陸側に高さ30mぐらいの島をアトランダムに配置する。仙台東部道路が津波にとても有効だったので,もちろん実験での検証が必要ですが,沿岸から1kmか2kmぐらいのところに堤防状の道路もつくり,そこで津波を止める。
 本社でも同じ話をしていまして,やはり松島。ああいうものが防災上当然必要になります。それをどうやってつくっていくか,土木と建築が一緒になってやるべきだと。
堀内 復興についてひとこと。石巻で工場や壊滅的な集落を調査後,車がパンクして近くの民家のおばあちゃんに大変世話になりました。そのおばあちゃんに話を聞くと,「工場をなるべく早く復旧させて,ぜひ若者の仕事場をつくってあげてほしい」と言われました。その時,我われがやらなきゃいけないのは,まさに生活も含めた復旧・復興だと強く感じました。
支店長 被災地では復興させたいとの思いで,地元を離れたくないという人が多い。やっぱりそういう心意気も大事だ。
堀内 職を失ったり,内定取消しが多いと聞きます。例えば復旧工事に従事してもらい,やがて自分で復興させた事業の仕事に就くとかできないものでしょうか。
支店長 建設業の団体でも,まず地元の人たちが最大限働く中で,できない部分を我われ中央業者がサポートしていくべきと言っています。被災者の働く場をいかに確保していくかというのが非常に大事なことです。復興というのは,建築物や構造物の復旧を越えて新しい社会全体をどうつくるかということ。地元が「よし,やるんだ!」という心意気を持ち続けると,本当にいいものができてくると思います。
堀内 そうですね。
支店長 そのためにはまず,東日本の将来像をどう描くか,だれがやるのかということが重要。がれきを処理した後,どう復興していくのか。コンサルだけ,設計者だけではできない。地元の人たちだけでも,具体的な復興プランはできないでしょう。それを下支えし,トータルでコーディネートできるのは,我われゼネコンだと認識しています。そのような要請に対して総合建設業はきちんと応えていかなければならないと考えております。

写真:建築管理本部建築工務部工事グループ長 堀内大輔

建築管理本部建築工務部
工事グループ長
堀内大輔

写真

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