鹿島岩蔵。鹿島組を創立して,鉄道請負業に進出,当社繁栄の基礎を築いた実業家である。
その岩蔵が亡くなって,今年が百回忌に当たる。2月8日にはホテルイースト21東京で,
鹿島岩蔵組長没後百年記念パーティーが催された。
創業家二代目として,父岩吉とともに横浜や東京で西洋館建築などを手がけた岩蔵の活動は,明治初年に始まった。
その後,全国各地の鉄道工事に従事し,「鉄道の鹿島」の名を確立。鹿島繁栄の礎を築くとともに,
わが国経済の発展と近代化に寄与した。岩蔵の活動範囲は鹿島組の経営に止まらない。軽井沢の開発をはじめ,
多くの事業を企画,経営し,政財界の一流人らと幅広く親交を重ねる教養人でもあった。
1912(明治45)年2月22日,岩蔵は69歳で死去した。
維新から近代国家に成長してゆく激動の時代を全力で生き抜き,「明治」とともに幕を閉じた生涯だった。
あとを継いだ鹿島精一は1930(昭和5)年,株式会社に組織変更した際,岩蔵の遺徳を偲んで,
命日に創立総会を開き,社の創立記念日とした。
鹿島岩蔵百回忌を機に,その活躍の跡を「鉄道」「建築」「開発」「交友」をキーワードに辿った。
鹿島岩蔵年譜
年(和暦) | 年齢 | 事歴 |
---|---|---|
1844年 (天保15) |
1 | 鹿島岩蔵生まれる |
1867年 (慶応3) |
24 | たけ(通称やす)と結婚 横浜に移住,貿易商を開く |
1872年 (明治5) |
29 | 高輪毛利公爵邸洋館を請け負い, 井上勝と出会う。蓬莱社など建設 |
1874年 (明治7) |
31 | 飛鳥山の抄紙会社工場建設 |
1876年 (明治9) |
33 | 娘糸子生まれる |
1878年 (明治11) |
35 | 岡山県庁舎施工 |
1880年 (明治13) |
37 | 鉄道請負に転向。初代組長となる。 鉄道局敦賀線中ノ郷・柳ヶ瀬間施工 のマーク制定。以後各地の鉄道工事を 請け負って発展する |
1882年 (明治15) |
39 | 日本鉄道第一工区東京~前橋間施工 |
1884年 (明治17) |
41 | 日本鉄道山手線,鉄道局中山道線施工 この頃から正式に鹿島組の商号を用いる |
1885年 (明治18) |
42 | 父岩吉死去(70歳) |
1886年 (明治19) |
43 | 鉄道局東海道線施工 |
年(和暦) | 年齢 | 事歴 |
---|---|---|
1888年 (明治21) |
45 | 日本鉄道仙台~青森間諸工区施工 |
1891年 (明治24) |
48 | 鉄道局碓氷峠アプト式鉄道工事に着手 |
1893年 (明治26) |
50 | 軽井沢の開発に着手 |
1898年 (明治31) |
55 | 京仁鉄道京城~仁川間全線の施工 日本人請負業者初の海外工事 |
1899年 (明治32) |
56 | 長女糸子,葛西精一と結婚 鹿島精一副組長に就任 台湾に出張所を設置し,鉄道工事に着手 日本土木組合設立,頭取に推さる |
1903年 (明治36) |
60 | 精一長女卯女生まれる 朝鮮において京釜線,京義線施工 |
1904年 (明治37) |
61 | 台湾縦貫鉄道中部線施工 |
1905年 (明治38) |
62 | 満州旅順口に出張所を設置 |
1907年 (明治40) |
64 | 台湾阿里山鉄道施工 |
1912年 (明治45) |
69 | 岩蔵死去 鹿島精一,鹿島組組長に就任 |
鹿島岩蔵のこと ~用なき人に用あり~
鹿島岩蔵は,私の曽祖父に当たります。鉄道請負への進出で,当社発展の基礎を築いた人物として知られますが,岩蔵の大きな財産の一つは,事業を通じて数多くの知己を得たことでしょう。
知識欲旺盛な,生来の交際家だったようです。私は子供のころ,祖父の精一に可愛がられ,いろいろ教えてもらいましたが,その中で『用なき人に用あり』という言葉をよく聞かされました。従業員らにも折りに触れ,説いていたそうです。
《いまは直接関係の薄い人でも,身内や知人に重要な人がいないとも限らない。いつか巡りめぐって自分や仕事に関わる人になるかもしれない。丁寧に接していれば,それが思わぬ方向に広がることもある》
という意味なのですが,実は岩蔵から受け継いだ言葉であることを,後に知りました。岩蔵の幅広い事業活動や交友範囲からも,なるほどと納得できます。
岩蔵の百回忌に当たり,ふとそんなことを思い出しています。
鹿島岩蔵組長没後百年記念パーティー
命日を前にした2月8日,ホテルイースト21東京(東京都江東区)で開かれた鹿島岩蔵組長没後百年記念パーティーには,鹿島家関係者,当社役員,顧問ら120人が出席した。竹田優常務の開会の辞に続き,鹿島昭一最高相談役,中村満義社長が挨拶,梅田貞夫会長が乾杯の音頭をとった。このあと,記念誌『鹿島岩蔵 小傳』を執筆した当社顧問の小野一成氏が講演し,激動の明治を生き抜いた実業家・鹿島岩蔵の人物像を語った。会場では岩蔵の活躍の跡を示すパネル展示も行われた。
刊行された記念誌は,B5サイズ68ページ。小野顧問による岩蔵小傳,今に生きる明治期の鉄道工事,関わりのあった人物などが記されている。