3つの世界一と3つの日本一
大阪湾は「長大橋の宝庫」といえるだろう。これほどさまざまな形式の長大橋が並んでいる地域は世界でも珍しい。
大阪府咲洲(さきしま)庁舎の展望台からは,3つの世界一と3つの日本一の橋を見ることができる。天気がよければ西のかなたに世界一の吊橋,明石海峡大橋が望める。北に目を転じると,世界最大の浮体式旋回橋の夢舞(ゆめまい)大橋,その少し右に世界でも珍しい本格的な1本ケーブルの吊橋の此花(このはな)大橋が見える。これが3つの世界一である。
東方向には大阪港の中心部が広がり,眼下に,日本一,世界第3位の径間長をもつトラス橋の港大橋がある。少し向こうに日本最長径間の桁橋,なみはや大橋があり,その右方向,港の奥まったところに日本最長のアーチ橋,新木津川大橋が横たわっている。これら3つが日本一の橋である。
阪神高速湾岸線
大阪湾の沿岸部では戦後の埋立て造成によって新しいベイエリアが生まれた。湾岸地域の発展のためには道路網の整備は欠かせない。その中心軸を形成するのが阪神高速湾岸線である。湾岸線と直接,間接に連携を持ち,新しい造成地や既成市街地を有機的に結ぶ多くの長大橋が架けられている。
これらの長大橋は1960年代後半から建設が進められ,およそ30年間に次々と完成した。
多彩な形式の長大橋
神戸,大阪港沖の土地造成は戦後1950年代後半から再開され,1960年代に入ると神戸では摩耶埠頭,大阪では南港南地区の土地利用が始まった。それにともなって架けられた斜張橋の摩耶大橋(1966年),鋼床版桁の南港大橋(1969年)の完成が,長大橋時代の幕を開けたといってもよい。
1970年代に入ると,大阪南港や神戸ポートアイランドなどの造成工事が本格化し,人工島へ渡る橋として,神戸大橋(1970年)や六甲大橋(1976年)などが架けられた。
1974年には大阪港の中心部に港大橋が完成した。これは湾岸線の建設の始まりを意味するものでもあった。大阪港のメイン航路を跨ぐため中央部で水面上約50m,幅約300mの空間を確保することが求められ,中央径間が510mのトラス橋が採用された。
港大橋から南へ延びる湾岸線が堺市域まで延長されたが,その一環となる大和川橋梁(1981年)は,中央径間355mの当時日本最長の斜張橋であった。
湾岸線の延伸と明石海峡大橋
1980年代末から1990年代初めにかけて湾岸線を中心に新しい長大橋が次々と完成した。
大阪港域では天保山大橋(1988年)が中央径間350mの斜張橋として完成したのをはじめ,淀川の河口部にも次々と長大橋が架けられていった。神戸方面への西伸部では中央径間が485mに達する斜張橋,東神戸大橋(1992年)が完成,斜張橋の適用スパンが大幅に拡大された。また六甲アイランド橋(1992年)や西宮港大橋(1994年)では径間200mを超える長大アーチが採用されている。
一方,南伸部では1994年の関西国際空港の開港に向けて,連絡橋に接続する湾岸線の建設が加速された。そのなかでいずれも中央径間が250mを超えるアーチ橋である新浜寺大橋(1991年)と岸和田大橋(1993年)が架けられた。そして空港連絡橋は全長が3,750m,上段が道路,下段が鉄道になっており,1991年に一部の供用が開始されている。
1998年には20世紀最後のビッグプロジェクトといえる明石海峡大橋が開通した。中央径間1,991mの世界最長の吊橋である。
新人工島への架橋
大阪では廃棄物の処分場を海上に求めざるをえない。大阪港の舞洲(まいしま),夢洲(ゆめしま)ではその一部がゴミ焼却灰,建設残土,浚渫(しゅんせつ)土などの処分地として利用されている。
それらの人工島を結ぶ橋として此花大橋(1990年)と夢舞大橋(2002年)が架けられた。此花大橋の主橋梁部は吊橋だが,通常の吊橋のように2本のケーブルを地盤に碇着させる形式ではなく,1本ケーブルが桁に碇着された自碇式になっている。夢舞大橋では巨大なアーチ橋が水に浮いていて,非常時には回転させて航路を開けることができるようになっている。
阪神淡路大震災以降,ポートアイランド沖の人工島の造成が進められ,2006年に神戸空港が開港した。その空港島は長さ1,000m強の橋で連絡されている。
大阪湾にはあらゆる形式の近代橋が建ち並び,世界トップレベルの橋梁技術の展示場になっている。