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シリーズ 東日本大震災から5年 東北の春2016 復興への道を築く人たち まちづくり

田老が再建する姿、新しい田老を見せてくれて感謝しています

津波がきたよ,早く逃げて,早く逃げて――。「たろう観光ホテル」の6階で撮影された津波映像には,この叫び声とともに,黒い波が,防潮堤を一瞬で壊し,まちをのみ込んでいく様子が映っている。声の主は,同ホテルの松本勇毅社長。宮古市田老地区は,幾度も津波被害を経験し,高さ10mの長大な二重防潮堤を築き,津波防災のまちとして全国的に知られていた。「大地震が来れば避難する,田老の人は分かっていたはずです。しかし,200人近い死者・行方不明者を出してしまったのは,津波の本当の恐ろしさを認識していなかったからだと思うのです。生き残った者として,生きている限り津波の恐ろしさを伝える責任があります」。現在,松本社長は,高台に移転した「渚亭たろう庵」で,観光客に自ら撮影した津波の映像を見てもらい,かけがえのない命を守るために,避難が如何に大切かを伝え続けている。

写真:「たろう観光ホテル」は4階まで浸水し,1・2階は柱のみを残して流失した。2013年11月,国がはじめて震災遺構として保存することを決めた

「たろう観光ホテル」は4階まで浸水し,1・2階は柱のみを残して流失した。2013年11月,国がはじめて震災遺構として保存することを決めた

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写真:写真右側にも高さ10mの長大な防潮堤があったが津波により崩壊した

写真右側にも高さ10mの長大な防潮堤があったが津波により崩壊した

写真:津波の恐ろしさを伝える松本勇毅社長

津波の恐ろしさを伝える松本勇毅社長

同じように,宮古市田老総合事務所の齊藤清志主査は,全国から被災地のことを学びにくる児童や生徒に,震災時の状況や仮設住宅での生活などについて語っている。自宅は,たろう観光ホテルの目の前にあり,基礎を残して全て流されたが,妻と2人の子ども,母親は避難し,家族は全員無事。大きな地震が来たら,すぐに避難すると決めていたことが幸いした。自身は,職場である給食センターにいた。激しい揺れで機械が故障したが,翌日には修理を手配し,毎日5,000個のおにぎりを作り1ヵ月にわたり被災者に届け続けた。避難所で生活を送りながらのことである。現在もプレハブの仮設住宅での生活が続く。「ここで起きたことは,どこでも起こり得ることだと思って欲しい。大地震に遭遇したら,まずは命を守るために安全な場所に逃げること,1日分でも良いから食糧と水を持っておくこと,命さえあれば何とかなる」と,次世代を担う子どもたちに伝えている。

写真:宮古市田老総合事務所の齊藤清志主査

宮古市田老総合事務所の齊藤清志主査

震災から1年が経った頃,齊藤主査は地域振興担当として,復興まちづくり事業に関わることになる。地元地権者とのコミュニケーションを積極的に行い,事業の説明や用地買収の交渉などにあたった。「当初は,様々な思いが交錯して意見を集約するのに苦労しましたが,“早く再建しないと,田老が田老でなくなる”という気持ちで,交渉にあたりました。そして,田老の人たちには,幾度もの津波被害から復興を遂げてきているのだから,自分たちにもできる,という力強さが根底にあったと感じます」。他の自治体関係者が驚くほどのスピードで,住民の同意が進んだ。

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建設業を選んで良かったと思える瞬間に何度も出会えた

復興まちづくり事業は,宮古市が都市再生機構(UR)に委託するかたちで,中心部の土地区画整理事業および高台の防災集団移転促進事業が進められている。当社JVはCM方式による工事全般にかかる総合的なマネジメントを受注した。現場を指揮する斉藤広所長は,2013年7月の着工時に赴任。入社以来40年以上にわたり,東北各地で宅地造成やダム,トンネル現場を経験してきた。宮古市出身だが岩手県の工事は初となる。「この事業が遅れれば,田老で生活再建を考える人は少なくなってしまう。故郷を復興するという気持ちで工事にあたり,ゼネコンが培ってきたマネジメント技術をフル活用してきました」と語る。スピード感と確実な施工の両立を心掛け,調査,測量,設計,施工などを総合的に行い,通常4〜5年ほどかかる大規模事業を2年半に短縮。昨年11月には「田老まちびらき記念式」を迎えることができた。「地権者や地元業者など皆さん協力的で助けられました。齊藤主査はじめ宮古市の職員やURの方々が良好なコミュニケーションを築いてくれたおかげです」(斉藤所長)。

写真:斉藤広所長(右)と酒井健司課長

斉藤広所長(右)と酒井健司課長

高台の宅地“三王団地”の造成が進むにつれ,ある変化が生まれたと齊藤主査は話す。「最初は現地を見学しても,皆ここに住めるのかと心配そうでした。造成が始まったばかりの頃は,荒れた山のようでしたから。それが段々と宅地になっていくと,具体的なマイホームの話になる。疑心暗鬼な顔が笑顔になっていったのです。何度も見学会を開催して,田老が再建する姿,新しい田老を見せてくれて感謝しています。本当に早かったという印象です」。

現場見学会,視察は260回余りを数える。当社JVの酒井健司課長は,現場事務を担当しながら,対外的な調整役を務めてきた。「住民の方々の生活に直接つながる仕事にやりがいを感じます。そして,地元の子どもたちを案内すると,目を輝かせながら現場で働く人や重機を見つめてくれる。建設業を選んで良かったと思える瞬間に何度も出会いました」。子どもたちの感想文には,こんな言葉が綴られていた。〈全国各地から田老のために働きにきてくれていることに感謝しなきゃなと思いました〉〈仮設に住んでいる人たちも,もうすぐ高台に家を建てて暮らすことができます。ありがとうございます〉〈私たちも田老のまちが復興できるよう頑張りたいと思います〉

JV職員一同が,胸を熱くしたという。

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写真:高台の防災集団移転促進事業

高台の防災集団移転促進事業。宅地造成を終え,次々に住宅が着工している。大津波にも耐えた三王岩にちなみ「三王団地」と名付けられた

写真:上空からみた田老地区。写真手前が「三王団地」

上空からみた田老地区。写真手前が「三王団地」
写真:現場撮影

写真:昨年11月22日,宅地造成や災害公営住宅などの完成にあたり「田老まちびらき記念式」が行われた

昨年11月22日,宅地造成や災害公営住宅などの完成にあたり「田老まちびらき記念式」が行われた
写真:現場撮影

※写真:大村拓也

宮古市田老地区震災復興事業の工事施工等に関する一体的業務

場所:
岩手県宮古市
発注者:
都市再生機構
受注者:
鹿島・大日本コンサルタント宮古市田老地区震災復興事業共同企業体
業務内容:
調査,測量,設計及び施工の一体的マネジメント
規模:
田老地区の市街地 約19ha,乙部団地(仮称)約25ha
工期:
2013年6月~2016年8月

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