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土木が創った文化【番外編】「開通」~「命の道」をありがとう~

写真:「命の道 感謝」。住民は横断幕や小旗を手にパレードの車列を迎えた

「命の道 感謝」。住民は横断幕や小旗を手にパレードの車列を迎えた

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紅葉に彩られた真新しい道路に,晴れやかな顔が並んだ。「開通ありがとう」「命の道に感謝」。横断幕や日の丸の小旗を手にした住民が,パレードの車列を迎える。

2010年11月13日,愛媛県久万高原町と高知県梼原町を結ぶ国道440号のうち,地芳トンネル(2,984m)を含む県境の「地芳道路」(全長8.9km,幅員10m)が開通。久万高原町西谷で,住民や工事関係者約400人が完成を祝った。

セレモニーの人の輪の後ろに,駆けつけた当社田代民治副社長。そして10年に及ぶ難工事を完成させた松川久俊・地芳トンネル第1工事JV事務所長の笑顔があった。「地域の皆さんがこんなに喜んでくれる。技術者冥利に尽きます」。安堵の表情を見せた。

地芳トンネル地図

写真:完成した地芳トンネル

完成した地芳トンネル

国道440号は四国西南部の幹線道路だが,県境付近は急傾斜や急カーブが多く,冬には積雪や凍結で通行止めになることが多かった。このため,1992年に難所をトンネル化するなどの整備に着手したが,2009年3月に費用対効果の低さを理由に一時凍結。地元の懸命の訴えが受け入れられてようやく完成した。

トンネルの完成で,地芳道路の所要時間は45分から11分に短縮された。救急医療体制強化や,雪などによる通行止めが解消できた。

だが,四国カルストの真下を貫く地芳トンネルの工事は,脆弱な地盤と大湧水帯が立ちはだかった。「青函トンネル級の湧水圧力による突発異常湧水や大規模崩壊に遭遇するなど,カルスト台地特有の地質と闘い続けた工事でした」と,松川所長は振り返る。

愛媛側工区(1,387m)を担当した当社JVは,この屈指の難工事を,新しい掘削工法(中央導坑先進分割式全断面工法)の開発や,止水性・耐久性に優れたセメント系注入材の導入など,最新の技術や工法をフル稼働させて克服した。

最難所の地芳トンネルは,地域住民が「私たちも鍬を持って掘りに行きたい」というほど完成を待ち望む山岳トンネルだった。「救急車は来るまでに1時間,病院に搬送するのにまた1時間かかる。助かる命も助からないのです」。そんな切実な住民の声が,難工事に挑む土木技術者たちの背を押した。

写真:旧国道は狭い幅員と急カーブの連続だった

旧国道は狭い幅員と急カーブの連続だった

写真:青函トンネル級の湧水圧力の大湧水帯を最新の技術や工法で克服した

青函トンネル級の湧水圧力の大湧水帯を最新の技術や工法で克服した

昨年1年間連載した『土木が創った文化』の第5回で「中山隧道」を紹介した。全長922m。日本最長の手掘りトンネルである。1933(昭和8)年から,新潟県山古志村(現長岡市) 小松倉地区の住民が掘り進め,16年をかけて貫通させた。

豪雪地帯の山古志村の中でも最奥のこの地区は,生活・福祉・医療・経済の全てを,中山峠を越えた小出地区に依存していた。片道2時間の道のりである。住民は急病人が出ると,吹雪の夜を徹して小出の病院に運んだ。その間に亡くなる人も多かった。そこで住民たちは,自らの手で隧道を掘ることを決意したのだった。

彼らは隧道入口にこう記した。「本隧道は,子々孫々の暮らしに安からんことを願い,我らのツルハシで掘り抜いたものである」。隧道は,新中山トンネルが完成するまでの49年間,住民の暮らしを支える「命の道」となった。

公共事業を「個人では実現できない国レベルや地域レベルの,安全で効率的で快適な生活・生産環境を整える事業」と位置づけるなら,中山隧道の開鑿は公共事業の必要性を訴える強烈なエネルギーでもあった。「命の道を,鍬を持って掘りに行きたい」。そんな四国山地住民の熱い思いと重なってくる。

日本土木工業協会発行の月刊誌『CE建設業界』2010年10月号の座談会「女性の視点から見た建設の世界」で,梼原町のヘアデザイナー,西川陽子さんが地方での生活の場の実情を切々と語っていた。

「地元でトンネルのこと,道路のこと,いろいろな形で行政の方々と一緒に勉強をさせていただいている」「道路がなかったら病院にも行けない。高知県にはそういうところがいっぱいあります」「命の道といっても,その意味が全く分からない人もいるのです」——。

久万高原町での開通セレモニーで,住民を代表して謝辞を述べたという西川さんに電話をかけた。「帰り道,早速トンネルを走り抜けました。四国カルストを貫く命の道路のありがたさを実感しました」「他県との交流をより活発化させ,良い町づくりをしていきます」。弾んだ声が返ってきた。

写真:謝辞を述べる西川陽子さん

謝辞を述べる西川陽子さん

写真:2009年11月7日,貫通式に臨んだ田代副社長(左から4人目)と松川所長(その右)

2009年11月7日,貫通式に臨んだ田代副社長(左から4人目)と松川所長(その右)

写真:開通式のセレモニーには,開通を待ちわびた人たちの笑顔がならんだ

開通式のセレモニーには,開通を待ちわびた人たちの笑顔がならんだ

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