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座談会 女性の人間力と技術力

写真:社長 中村満義

中村満義 社長

写真:土木管理本部土木技術部 技術開発促進4グループ長 天野玲子

天野玲子
土木管理本部土木技術部
技術開発促進4グループ長

1980年入社。技術研究所に配属の後,1992年土木設計本部第二設計部。1995年技術研究所第一研究部主任研究員。1998年技術研究所企画室企画課長代理。副主査,主査を経て,001年土木技術本部技術部技術開発課長。2003年次長,2005年担当部長。2007年より土木管理本部土木技術部技術開発促進グループ長。

写真:中央環状品川線統合事務所 五反田出入口工事事務所副所長 須田久美子

須田久美子
中央環状品川線統合事務所
五反田出入口工事事務所
副所長

1982年入社。技術研究所に配属。22年間技術開発に携わる。主任研究員,主管研究員,上席研究員を経て,2005年土木設計本部プロジェクト設計部橋梁グループ設計長。2007年裏高尾JV工事事務所副所長。2009年より中央環状品川線統合事務所五反田出入口工事事務所副所長。東京土木支店第三土木統括事務所の工事部を兼務し,裏高尾JV工事の技術支援も担当。

写真:JR東北縦貫線工事事務所 竹之内綾子

竹之内綾子
JR東北縦貫線工事事務所

2004年入社。土木設計本部プロジェクト設計部配属,橋梁設計を担当。2006年地盤基礎設計を担当。2008年よりJR東北縦貫線工事事務所。

写真:岩本 豊 広報室長

岩本 豊 広報室長

写真:(仮称)大宮下町3丁目マンション 新築工事事務所 岡村美那

岡村美那
(仮称)大宮下町3丁目
マンション新築工事事務所

2006年入社。(仮称)鹿島ウエストビル新築工事事務所配属。2007年三井記念病院建替計画建設工事事務所。2008年より(仮称)大宮下町3丁目マンション新築工事事務所。

写真:東京駅丸の内駅舎保存・復原工事事務所 杉下紗惠子

杉下紗惠子
東京駅丸の内駅舎
保存・復原工事事務所

2007年入社。三井記念病院建替計画建設工事事務所に配属。2010年より東京駅丸の内駅舎保存・復原工事事務所。

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生きた証拠を確認したくて

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社長 この座談会を楽しみにしていました。男女共同参画とかダイバーシティといった話よりも,なぜ皆さんが土木・建築を専攻して,なぜ鹿島を選んだのか。そういうメンタリティをお聞きしたかった。もう鹿島には既に,皆さんのように素晴らしい生きた証拠があるのですから。
天野 私は1980年の入社です。その頃は女性が土木に行くことすら珍しかった。大学でも初めてということで,先生方も就職を心配して,お役人になりなさいと勧める。でもゼネコンに入りたくて,唯一入社試験を受けさせてくれた鹿島に入れていただきました。
社長 1980年はそういう時代でしたか。
天野 ほかの大手では,実験員なら,という会社もありましたが。
社長 鹿島はなかなか先進的だった…。
天野 非常に。本当はダムをつくりたかったのですけれど,当時は現場に行きたいといっても,ちょっと難しかったですね。
岩本 土木を志向したのは?
天野 石原裕次郎の大ファンでしてね。きっかけは映画「黒部の太陽」…。
社長 あの時代,「黒部」の影響を受けた人は多かった。
天野 ええ。ダム屋の奥さんじゃなく,自分でつくりたいと思った。
須田 私は小さい頃砂場で遊ぶのが好きでして。山をつくって,その下にトンネルを掘って,泥だんごを通したり。仕事をするなら,そういうものをつくってみたいな,と。
社長 それもやはり土木だ。
須田 スケールの大きなものを自分でつくるならゼネコンということで,卒業論文担当の先生に希望を伝えました。先生は「うーん」と唸っていましたが,いろいろ動いてくださいました。
岩本 竹之内さんは,どうして土木を選んだのですか。
竹之内 父が土木関係の仕事をしていたので,馴染みがあった。世間では汚いイメージが先行していましたが,将来を考えた時に,私たちの生活の基礎を支える土木をと思いました。縁の下の力持ち的なところも格好いいかなって。施工を選んだのは,一番近くで現場に関われると思ったからです。
社長 お父さんは喜んだでしょう。
竹之内 心配もしていました。女性が土木でやっていくのはまだ難しいことがある,というのも分かっていましたから。うれしいけど,ちょっと複雑な気分だったみたいです。
社長 でも,親の姿を見て,土木って面白いなと思ってくれたら,親はそれに優るものはない。
岩本 岡村さんが建築を選んだのは?
岡村 高校生の時,憧れていた先生が建築学科出身で。理系志望ではあったのですが,将来の夢をなかなか定められなくて。それならあの先生がやっている建築はどうだろう,と。もともと絵を描くのは好きでしたから。
社長 土木・建築の人は大抵図画工作は好きだったのでは?
天野 そうですね,私も好きでしたね。
岡村 でも,いざ就職活動となって困ったのが,学卒の女子への敷居の高さで。望む会社に入れるほどの実力も無かったのですが,やっぱり施工が一番かっこいい,と思いまして。鹿島に入社出来たのは運です。
岩本 運というのは?
岡村 私の年代から,鹿島が施工でも女性の本格採用が始まったのです。
社長 社長に就任してすぐに「鹿島は施工,人が命だ」とリクルート活動に力を入れました。母校に行き,自分の魅力でナンバーワンの学生を連れてこいと。女性だけじゃなくてね。
岡村 それで私というのは,本当に申しわけない感じです。
社長 そのリクルーターは魅力的でしたか。
岡村 リクルーターの方の言葉を借りると,「愛を感じました」。
社長 それは良い話ですね。好きな先生で建築に行って,愛を感じて鹿島に…。
杉下 私も高校卒業の時は進路を決め切れなくて。生物系の学校は受かったのですが,将来の職業のビジョンが全く見えず,1年浪人をしました。その頃,姉が庭の設計や施工をする会社にいて,ものづくりの仕事に興味を持ったのです。姉が庭なら,私は家をつくろうと。
岩本 施工を選んだのは?
杉下 大学では大構造の研究をする研究室に入りました。学園祭などで実際にドームとか,簡単な構造物を実物大の何分の1とかでつくったりしているうちに,やはり施工だと思いました。
社長 力強いですね。みんな将来のビジョンを堂々と描いて,実現の道を果敢に求め,ひた走っている。頼もしいですね。

仮囲いの中の世界

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岩本 現場での仕事はいかがですか。
竹之内 入社は土木設計本部で,5年目にいまのJR東北縦貫線工事にきました。現場を渇望していましたからすごく楽しい。毎日新しいことが始まるので,常に刺激的です。自分が判断しないと進まないという状況に直面するのですから,責任も強く感じています。
社長 それはよかった。
竹之内 また設計に戻っても,現場を知っているということで,考え方も変わると思います。
社長 その通りですね。現場を実際に見て,設計にフィードバックする。設計・施工というのは,そういうやりとりが生きてくる。すごく大事なことですね。土木だけでなく,建築でも積極的にやろうと思っています。
岡村 今は大宮下町3丁目マンションという現場にいます。新入社員で初めて配属された現場は今の本社ビル,ウエストビルでした。独特の建設現場の世界というか,成り立ちや仕組み,言葉に慣れるのにしばらくかかりました。でも入社してすぐに現場に出たので,ただ毎日を楽しみながら必死に乗り切る,みたいな感じでした。
社長 乗り切るという気持ち,わかるな。
岡村 でも年次を重ねて,色々と考えるようになりました。楽しいだけじゃなくて,いかに自分が現場で色を出せるか,そして役に立てるかを考えないといけないのだ,と。
岩本 杉下さんはどうですか。
杉下 現場に入る前に周りから,仮囲いの中にはおまえの知らない世界があるぞって脅されて…。
社長 それで実際は…。
杉下 最初は大きな音にびっくりしました。でもいろいろな人と一つのものをつくるのは楽しい。これからは求められるものも違ってくるということは自覚しています。もう4年生ですから。末っ子的な状態だった前の現場とは立場も違うので,ちょっとプレッシャーも感じています。
社長 現場は,東京駅丸の内駅舎の保存・復原工事ですね。歴史的建造物だから,やり甲斐もあるでしょう。
杉下 入社が決まった頃,この工事の話を聞いて,ぜひやりたいと思っていました。希望が叶ってラッキーでした。こうした著名な文化財的な建物の再生現場がもっと増えればいいなと思います。女性の視点からも魅力的だし,会社のPRにもなる。
岩本 須田さんは女性初の現場副所長を務めましたが,作業員も男性がほとんどですよね。
須田 そうですね。でも皆さん礼儀正しくて,きちんと挨拶もしてくれる。現場に出て実感できたのは,仕事を速く効率よくやるのに,男性も女性もないということ。意欲のある作業員さんと議論をしているうちに,技術者としての気持ちが共有できる。その繰り返しの中で,あの人は品質の話になるとうるさいなという感じで見てもらえたりもする。
社長 なるほど。
須田 現場でもう一つ感じたのは,技術研究所にいる間は品質を中心に考えていたのですが,安全と工程をすごく意識できるようになりました。
岩本 須田さんは技研に22年ほど在籍されましたね。
須田 ええ。研究も面白くやらせていただきましたが,入社当時から現場を希望していました。裏高尾橋工事は充実した3年間でした。
天野 現場というキーワードでいうと,設計部の3年間に研修ということで,秩父公園橋の現場に半年弱行っていました。ものづくりは楽しいのですが,いまの本社機能でゼネコンの最前線を支援する仕事も面白い。

引けない時は引かない

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岩本 建設現場では,多様な職種の方とつき合うことになります。現場では女性監督はまだまだ珍しい。協力業者の方に意識されることはありますか。
岡村 最盛期は1,000人に届く作業員さんが来ていました。新規で入ってきた作業員さんには,女性の監督はちょっと驚きだったかもしれません。
竹之内 意識されることはありますが,ただそれがいい方向に働くことの方が多い。すぐ顔も名前も覚えてもらえるし,いるだけで頑張っているように見えるのですね。
杉下 1,2年生の時は随分可愛がってもらいました。アメ貰ったりして。
岩本 作業員の方に注意することもあるのですか。
岡村 私は現場では怖いと有名ですので…。鬼の形相でしかも粘着質,みたいな。いつもそうではないですけれど。言い争ってでも伝えないといけないこともある。引けない時は引かない。
須田 技術屋として働くという点では,現場で女性を意識するということはありませんが,女性で得だったと思うことはあります。現場の雰囲気が和やかになるとか,作業員さんの身だしなみがよくなったとか,そんな話は聞きます。近隣の主婦の方が気軽に声をかけてくださることも多い。女性には話しかけ易いのかもしれませんね。
天野 私の半年ほどの現場経験でも,さりげない優しさというか,気を使っていただいたと思う。子供もいて通いだったのですが。職長さんクラスがみんな同い年だったこともあり,いろいろ教えてくれました。
岩本 女性からの指示を嫌がる作業員の方もいるのでは。
竹之内 いるかもしれませんが,逆に「おれの言うことは聞かないのに,女性に言われると素直にやってるね」と,からかわれたりしています。ちょっと面倒くさいことを頼む時は,女性の方が素直に聞いてくれることもあるみたいですね。
岡村 厳しいことをいう時でも,男性社員が言うより女性社員からのほうが物事を柔和に上手いこと伝えられる,ということは確かにあると思います。
杉下 女性だから現場で損したとか困ったとかいうことは,あまり感じないですね。普通に男性社員と同じように扱ってくれるし,作業員さんも普通に接してくれますから。ただ物を運んだりする時は,非力さを感じますね。
天野 やはり基本的には,きちんとした立ち位置というか,契約関係というか,そうした裏打ちがされているからだと思います。
岡村 ただ監督として現場に出ても,何も知らないままではただの女の子。自分の知識や経験を重ねて,早く作業員さんと同じ目線で話せるようにならないといけないんだと強く感じました。
社長 現場でやっていて,自分がエンジニアとして認められたと実感するのはどんな時ですか。
天野 研究員は,年数にもよるのですが,技術士という資格を取ると,それなりの立場として認識してもらえることがある。
岡村 建築でいうと一級建築士,施工管理技士もありますが,資格がやはりひとつの肩書としては必要だと思います。でも作業員さんにはあまり関係ない。資格よりも,その人ができるかどうかを見ている。レスポンスの速さや,会話の中での受け答え,きちんとした着眼点があるかなどで判断する感じですね。
須田 うまく人間関係が形成できるかどうかは大事です。
岡村 最終的に監督というのは人を扱う仕事ですから,いかに周りの人と良い信頼関係を築いていけるかがとても大切です。そういう人間力に技術力を重ねて人を束ねる。なかなか難しいです。

母と子の接点をサポートする

社長 入社4,5年というのは,一番悩む頃でしょうか。
須田 そうですね,いろいろと。
天野 須田さんも私も結婚をした頃でした。だから結婚問題でも悩んでいた…。
岩本 結婚か仕事かという狭間で?
須田 いえ。仕事は続けたい,それはもう大前提でした。仕事に結婚と子供がついてこられるかなというところが,悩みといえば悩みでした。
社長 ご主人が「続けたらいい」という,その一言ですね。
須田 反対されなかったのは,大きな力になりますね。
社長 女性にとって大変なのは,結婚して子供を育てるということ。子供にはお母さんが一番大事ですから,会社は母と子との接点をどれだけサポートできるかを考える。あとはそれぞれがスマートに適応してもらえればいいと思っています。
天野 その通りだと思います。
岩本 天野さん,須田さんは,成人されたお子さんが2人。
須田 うちは年子ですが,1人だけのときは,周りが見えなくなったところもあるのですが,2人いることで子供同士仲よく育ってくれました。
社長 私だって経験がある。最初の子は大変だけど,2人目,3人目は慣れもあった。いえ,これは男の育児ですよ。女性の視点はまた違うと思うけれど。
須田 子供が親を助けてくれることもたくさん出てきますから。
天野 私は多分,建設業界で産休をとって復帰した第一号だと思います。どうしたらいいものかと,人事部をはじめ随分悩んでいただいたようでした。
社長 人事部や所属した部署も含めて,会社としてあなたが積極的にやってくれて学ぶことは多かったはずです。
天野 ありがとうございます。ただ,あまり気にする性質じゃなかったので,まあいいかという感じで…。
社長 しっかり会社もサポートするので,ぜひ企業人生を全うしてもらいたいと思う。もちろん,結婚して亭主についていくというのもいい。それはそれでハッピーリタイアだと思っている。
天野 そういう人生もあると思います。
社長 ご主人を助けて一旦退職し,復帰する選択肢も今後は出てくるかもしれない。
竹之内 会社を辞めることを一瞬考えたことがあります。結婚した後に,2年間の期間限定で夫が海外転勤する話が出て。一緒に行くか,会社を辞めるか。転勤の話はその後なくなったのですが,そういう選択肢があれば女性にとってはありがたいですね。
岩本 竹之内さんは結婚して何年ですか。
竹之内 5年です。夫も建設関係です。土木で働いている女性は,そういう人が多いのでは。
社長 だからご主人の理解がある。
天野 私も主人は,狙ったわけじゃないのですが,ダム屋でした。単身赴任が長くて逆に楽でしたね。
須田 うちはシステムエンジニア。お姑さんがずっと仕事をしていて,理解がありました。
社長 そういえば,須田さんのご主人がよく裏高尾橋の現場近くを散歩していたとか,そんな話を聞いた気がする。
須田 自宅が近かったので。休日にこんな現場をやっていると見せたとき,珍しい蝶を見つけたのですね。主人は蝶が大好きで,ここへは毎週来ようと…。
社長 勤務の平日は現場へ行って,休日はご主人とまた現場。理解があるわけです。

設計・施工に必要な女性の感性

天野 鹿島に入ってよかったと思うのは,鹿島は技術を大事にする会社だと実感できることです。学生さんもそれを意識して入ってきている。現場を離れて別の部署に行っても,エンジニアとして勉強したことを生かせる場所は,この会社にはたくさんある。
社長 鹿島は技術立社です。技術で社会やお客さまに貢献する。その上でみんなが責任感を持ち,やりがいのある職場にしてくれればいいなと思っています。
須田 今後も技術者に限らず,女性の割合をふやしていけるよう戦略的に進めていただければ嬉しい。多様な仕事をより広い視点から見ることができると思うのです。
社長 リクルーターに愛を感じて入ってもらえればいいのだけど,皆さんにも女性のスカウティングの先頭に立ってほしいですね。あの人が行くなら,あの人がいる会社なら,と思って貰う。女性の感性は,うちの設計・施工にはぜひ必要な目だと思っています。
岩本 岡村さんは建築系施工の一番バッターでしたが,この数年でかなりの女性技術者がスカウトされました。
天野 機電にも女性が入ってきていますね。
須田 名古屋の佐奈川橋の現場とかに出ています。
社長 湯西川ダムの現場へ行ってきましたが,そこでも若い女性エンジニアがいて,激励してきました。2年生かな?
須田 2年生です。
社長 蓬田トンネルにもいますね。未知の部分はあるでしょうが,皆さんが鹿島に入って後悔していないようなので,安心しました。
天野 きちんと女性を育てているという意味では,鹿島は業界トップではないかと思っています。
社長 一番オーソドックスにやっているのかな。この流れを絶たないよう,もっと大きくしていきたいですね。
岡村 仕事の拘束時間の長さが,女性が現場で働く妨げになる,とよく言われますが,建築の場合,全てが決まらない段階で着工することが多い。事前に細部まで計画を進めて,仕事に余裕を持たせられればいいなと思います。それが品質を高めることにもなる。
社長 その通りですね。現場の負担を軽くすることが品質と安全,女性の働き方にもつながるということですね。
岡村 そんなことを,よく同期と話しています。
社長 現場の第一線を熟知した人が,然るべきポジションに就いて会社を運営する。それが一番健康的な組織の姿なのです。現場を経験した女性社員にも,ぜひ会社の戦力の真ん中に座ってもらいたいと思う。皆さんの話を聞いて,とても勉強になった。同時に私たちは,皆さんがこれからも「鹿島に入ってよかったな」と実感してもらえるような経営を実践していかなくてはいけないと強く思いました。

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