当社は,総合力を活かし,特定業務代行者として,組合事務局運営から計画,
設計,商品企画,工事施工などの業務をトータルに担ってきた。
そこには,営業,開発,設計,施工のプロフェッショナルの力がある。
草創期からプロジェクトを率い,市街地再開発を約9年という短期間で成し遂げたリーダーたちは,
何を思い,どう行動したのか。彼らの“まちづくり”に向けた視点に迫る。
和を育む “まちづくり”
建築設計本部建築設計統括グループ
赤対清吾郎 統括グループリーダー
1981年建築設計本部に配属。
1985年から8年間大阪支店(当時)にて業務・商業設計を担当。
1993年から「超高層フリープランハウジング」,「スーパーRCフレーム構法」の開発を主宰。
以降,全国で30数棟の超高層住宅の企画・設計に携わり「虎ノ門タワーズレジデンス」,「芝浦アイランドエアタワー」(共に東京都港区)など当社の代表的な作品を数多く残す。本プロジェクトには,2007年当初から関わり,特に思い入れが深い。近年,大規模・複合化が進み,難易度が高い開発が求められるが,果敢なチャレンジ精神でプロジェクトを力強く推進している。
「“まち”のビジョンを具体的に描き,関係者全員の価値観を共有するための道筋をつけることを常に心掛けてきました。特に市街地再開発では,合意形成が重要なポイントとなり,関係者のベクトルを合わせることで,着実にプロジェクトが推進するからです」と赤対清吾郎統括グループリーダーは語る。このプロジェクトでも,初期段階からウォークスルー動画や三次元CG,模型,各種エビデンス(検証)を用いて,将来の“まち”の姿を示すことにこだわり,早期の合意形成を促した。これは“良いものをつくるためには,妥協はしない”という信念に基づく行動だ。風車型トライスターも,この信念から生まれる。基本案は従来型のトライスターだったが,周辺への配慮と住宅の基本性能を高めるために新たに考案し,再開発の大きな山場である権利変換計画へとつなげた。
超高層住宅の企画・設計には,様々な要素への対応が求められるという。「事業が長期にわたるが故,社会情勢の変化に対応する“柔軟性”と,住まう人々の様々なニーズに応える“多様性”が求められます。新たな挑戦と培ってきた技術やノウハウを融合しながら,プロジェクトを進めてきました」。
環境負荷と維持・管理費の低減,安全・安心な住まいのため,建物の中に自然を取り込むことにチャレンジした。風車型トライスターの建物中央部に吹抜け空間“ライトチューブ”を配し,電力に頼らない自然換気を行い,非常時には昼光を利用して廊下の明るさを補う。また,随所に多様な自然を見ることができる。大地と水の流れをイメージした“グランドラウンジ”,そこからつながる水辺を感じさせるランドスケープ,緑に囲まれた癒し空間“フォレストカフェ”とその窓辺に広がる緑豊かな樹木など。潤いのある生活空間を創出するための工夫だ。
資材高騰が課題となった時には,海外調達を積極的に進め,イニシャルコストを下げると共に,ライフ・サイクル・コストを抑えるため,メンテナンスフリーの鋼製扉などの素材開発を行った。当然,開発を続けてきた“超高層フリープランハウジング”の知見も活かした。居住空間利用の自由度をさらに追求し,角住戸の開放感向上やバルコニー有効幅の拡大などを図っている。
「住民や周囲に愛される建物が,100年後も残るのです。住環境や周辺環境をより良くする道があるなら追求すべきだと考えています。それは周辺も含めて人々の和を育み“まち”全体の価値向上にもつながると思うからです」。
ここに和を育む“まちづくり”がある。
“まちづくり”は信頼づくり
東京建築支店住宅事業部
勝どき五丁目地区第一種市街地再開発事業施設建築物新築工事事務所
岡田広行 所長
1986年入社。建築本部(当時)に配属され,都内のオフィス,物流センター,研究所などの建築工事に携わる。工事課長として「石神井公園ピアレス」(東京都練馬区),「TOKYO TIMES TOWER」(東京都千代田区),「キャピタルマークタワー」(東京都港区)などの超高層タワーマンションの施工を担う。
2008年「アトラスタワー茗荷谷」(東京都文京区)で所長を務める。これまで4棟の超高層タワーマンションを経験し,2つが市街地再開発事業である。
本プロジェクトには2011年の設計・施工フロントローディングから参画している。モットーは「真面目に,誠実に」。
「このプロジェクトは,何事も早め早めに動いていた」と振り返るのは,施工部隊を率いる岡田広行所長だ。施工も早期立ち上げの代表格で,所長に抜擢されたのは着工の2年以上前。当社が特定業務代行者に決まり,実施設計が進んでいる頃である。他現場の所長を務めながら,設計と連携して施工準備に取り掛かった。念入りに施工図を作成し,協力会社の手配を開始している。規模の大きさから,3つのウイング毎に躯体や内装,設備などの専門工事会社に声をかけた。工事が始まった頃は東京五輪が決まり,業界全体で労務不足が課題となっていたが,先手を打っていたことにより,大きな影響は受けなかった。
現場へ乗り込んだのは2012年10月,既存建物の解体工事へ向けた準備を始めるが,現地の状況は想像していた以上に厳しかった。敷地周辺には多くのマンションが立ち並び,数千人の近隣住民の理解を得なければ工事が進められない状況だった。一人ひとりに,真面目に誠実に対応する日々が続く。「仮囲いの中では何をしているのか。それを,ご理解いただくのが一番良いと考え,協力会社の社員や家族を対象にした現場見学会に近隣の皆様を招待する決断をしました」。協力会社との絆を大切にしてきた岡田所長が,これまでの現場でも開催してきたイベントだ。当日は重機に乗った子どもたちの笑顔が溢れた。この日から,近隣との信頼関係が一歩ずつ良い方向へと進み始めた。その後も、年末の餅つき大会に毎回近隣住民を招待するなど,地域の人々が多く集まるイベントとして定着していった。
本体の施工では用意周到な準備により,柱,梁,床版などを徹底的にプレキャスト化。現場と工場の両方の品質管理体制を整えていった。しかし,この建物ならではの苦労もあった。トライスターという特殊な構造は,直角以外の角度で納める部材が多くあるからだ。職人が作業を習熟し,作業工程を確立するまでに時間を要した。「どうすれば効率を上げられるか。若手社員と職長たちが試行錯誤して,工程上必須であった1フロア5日のサイクルを構築しました。皆の協力があって達成できたのです」。
岡田所長が何より大切にしてきたのは,工事に係わる全ての人々との“信頼づくり”。こうした信頼が,約5,000人が暮らす“まち”の土台となっていく。
今ある魅力と調和する“まちづくり”
開発事業本部
山本俊行 本部次長
不動産デベロッパーを経て,1992年に入社。
一貫して不動産開発に携わる。市街地再開発や大型開発を得意とし,「ディアマークス キャピタルタワー」,「石神井公園ピアレス」(共に東京都練馬区)など,数多くの超高層タワーマンションの開発事業を担当。秋葉原クロスフィールド(東京都千代田区)では,オフィスビル開発の他,街づくりにも関わる。現在も,秋葉原地区のエリアマネジメントをサポートしている。2007年当初から本プロジェクトに参画。 “まち”が持つ魅力に着目し,その価値を高める開発事業を
主義とする。
デベロッパーとしての役割を担ってきたのが,開発事業本部の山本俊行本部次長だ。これまで30棟を超えるマンションの商品企画,販売計画などに携わり,快適な住環境を提供してきた。豊富な経験を持つ山本本部次長が,このプロジェクトのポイントとして挙げたのが,約5年で準備組合設立から権利変換まできたこと。「これだけ短期間で権利変換ができたのは,全国的にも珍しいのではないでしょうか。地権者の住居が決まってから保留床の販売ステップへ移行しますから,参加組合員の代表としてマンション販売事業を展開するためには,大きな節目となります」。このスピードを実現できたのは,特定業務代行者が当社1社だったことだと指摘する。事務局や設計・施工部隊との議論は,駆け引きがなく,地権者や近隣住民のために何をすべきかに徹したという。「毎日,何かが決まりプロジェクトが前へ前へと進みました」。
商品企画では,きめ細かなマーケティングを行い,ターゲット層が求める内容を調査していく。「間取りは,暮らし方を強要しない明るく広いリビングがある2LDKを中心とし,特にキッチン周りは,これまでの経験を活かし,使い勝手の良いものを丹念に精査しながら,絞りこみました。共用施設は奇をてらったものではなく,居住者が真に求めるものは何か,という視点で選んでいます。ゲストルームが6室あるのは充実していると思いますよ」。その他,セキュリティは4カ所のセキュリティライン設定。販売用のモデルルームでは,ホログラムによりトライスターの特徴を伝えるなど,立体的な映像で視覚的に分かりやすく表現することを重視した。
商品企画で常に意識しているのは既存の“まち”が持つ魅力だという。「今,住んでいる人々も気付いていないようなポテンシャルが“まち”にはあるのです。銀座が目と鼻の先,江戸っ子気質が残る下町,水都,ますます便利になる交通など,勝どきには沢山の魅力があります。それを求める方々をターゲットに,あるべき姿を探っていくのです。新たな建物や住民が“まち”と調和していくのを想像しながら…」。
皆が笑顔になる“まちづくり”
東京建築支店営業部営業第一グループ
荒巻秀式 営業部長(勝どき五丁目地区市街地再開発組合事務局長)
1991年入社。設計・エンジニアリング総事業本部(当時)や大阪支店(当時)で設計業務を担当。同支店プロジェクト推進部では「東映太秦映画村リニューアル」(京都市右京区)などに携わる。東京支店(当時)営業企画部で各種レポート作成業務を担った後,関西支店にて都市再生と企画業務を兼務。
2005年,本社新事業開発部(当時)で江戸東京博物館(東京都墨田区)の指定管理業務受託などに関わる。
2007年,東京建築支店営業部に異動し,同年10月から本再開発の事務局常駐となる。現在も鹿島建物総合管理と兼務し,同博物館の管理業務を支援する。
市街地再開発には,権利者の合意形成という高いハードルがあるといわれる。それを取りまとめていくのが,再開発組合事務局の大切な業務となる。「再開発事業は初めての経験で,不安もありました」と,当社から事務局長として再開発組合へ派遣されている荒巻秀式営業部長。周囲も驚くスピードで,都市計画決定・組合設立・権利変換認可などの重要な場面で,合意形成へと結び付けてきたコーディネート役は,そう打ち明ける。行政機関への申請が複雑なことに加え,事業への参加可否,施設内容,権利変換など事業が進むにつれ,地権者は難しい判断を求められるからだ。
「事務局の運営を主導する立場として,まず“日本一早い市街地再開発事業の実現”という明確な目標を掲げ,地権者と一緒に新しい“まち”“住まい”“生活”の夢を共有していきました」。開発,設計,施工の担当者と密にコミュニケーションをとり,ハイグレードな外観や住宅,共用施設などを動画やCGでイメージしてもらうと共に,現場見学会を積極的に行い“夢の見える化”にも心掛けた。当社のプロ集団が連携して創りだした住環境は,ワクワク感を生み出したという。「周辺で大規模開発や環状2号線の工事が始まり,再開発への機運も高まっていました。また,当社は70年代から勝どきエリアでマンションやオフィス,倉庫などを数多く手掛けてきたので,近隣の方々と良好な関係がありました。諸先輩が残した遺産が追い風となり,プロジェクトは進んでいったのです。今も地元のお祭りに参加するなど,様々な活動を共に行っています」。
“チーム勝5(かちご)”,荒巻営業部長が良く使う言葉である。これは社内チームだけを指すのではない。地権者,近隣住民,コンサルタントを含め,行政と共に再開発事業の成功を一義に思ってきた人々のことだ。「本当に素晴らしい人が集まり,協力体制が組めた。全ての人に感謝しています」。自らのキャリアを雑多な仕事ばかりで社内でも稀な経歴と話すが,その経験があったからこそ,コーディネータとして必要とされる繊細な心遣い,臨機応変な行動を可能としたのだろう。チーム内に築いてきた何本もの架け橋が,皆が笑顔になる“まちづくり”の礎である。
もう一人,決して忘れてはいけない人がいる。地元勉強会が立ち上がったことを新聞の片隅に見つけ,自らが暮らす勝どきでの工事受注を目標に動き出した初代事務局長の東京建築支店営業部 小牧透営業部長(当時)だ。小牧営業部長がいなければ“チーム勝5”は存在していない。誰よりもプロジェクト成功を願い,日々尽力してきた。しかし4年前,志半ばで病に倒れる。享年58。今,空にそびえる「KACHIDOKI THE TOWER」の姿を,天国から“笑顔”で見守っている。