2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けての都市再編が進むなかで交通インフラのかたちへの関心が高まっている。トラム,ケーブルカー,BRT,カーシェアリング,水上交通……。
外国人観光客や高齢者など,だれもが移動しやすい環境に満ちたモビリティ社会は,利便性や経済性を超えて,まちの活気と個性を高めていく。
今月からはじまる新連載では,モビリティがつくる風景をめぐって世界のまちを読み解いていく。第1回は南仏ニースの顔となったトラム。華やかなリゾート地に暮らす市民たちのまちなみへの思いが込められている。
クルマ社会から脱却するフランス
ヨーロッパ有数の観光地として知られる南仏の玄関口ニース。1年を通じて気候が安定していることもあり,夏は海水浴,冬は避寒に,世界各地から多くの人が訪れる。
しかしこの地は,周辺を含めれば100万人近い人口を擁する,フランスでは5本の指に入る大都市でもある。もちろん観光はこの都市における重要な産業であるが,海沿いのプロムナードから一歩足を踏み入れれば,仕事や買い物へと市内を忙しそうに移動する住民の姿も目にすることができる。
ニースには地下鉄がなく,彼らの足となる公共交通は,従来は主としてバスだった。そこに2007年,トラム(路面電車)が開業した。その後2009年にサイクルシェアリング,2011年に電気自動車を用いたカーシェアリングが配備されている。
日本同様,フランスも昔は大小さまざまな都市にトラムが走っていたが,第2次世界大戦後のモータリゼーションの勢いに押され,1970年代にはわずか3都市に残るだけとなっていた。ニースも例外ではなく,1900年に開業したトラムが1953年に一度姿を消している。
しかしモータリゼーションは排気ガスなどの公害を引き起こしたほか,交通弱者を生むなど,負の側面もある。この点を問題視したフランスは1982年,LOTI(国内交通基本法)を打ち出した。
LOTIは「誰もが,いつでも,どこでも,環境負荷をかけず,安全快適に移動できること」を定めた,世界で初めて「交通権」を認めた法律として高く評価されている。環境対策,交通事故低減,騒音防止,高齢化対応などを目的に,行き過ぎた自動車優先社会からの脱却を図った。この法律の制定をターニングポイントとして,フランス各都市でトラムの建設ラッシュが始まった。その流れに,遅ればせながらニースも乗ったのである。
ニースの街は地中海とフレンチアルプスに挟まれた平野部に広がっており,日本で言えば神戸を思わせる。リゾートホテルやシーフードレストランが並ぶ海沿いのプロムナードから,やや奥まった場所にフランス版新幹線TGVも乗り入れる国鉄が走り,山沿いを高速道路が貫いている。
まちなみに溶け込む公共交通
トラム1号線は高速道路の南に広がる平地を,V字を描くように走っている。沿線400m以内に街の人口の37%が住み,事業所の3分の1が位置している。当初は6万人と想定していた1日の乗客数は,現在平均10万人を記録している。バス路線は主要停留場4ヵ所をターミナルとしており,4つの停留場に用意されたパークアンドライド駐車場ともども,自動車移動からの転換をねらっている。
1号線と書いたのは,現在2号線の建設が進んでいるからだ。こちらは海岸線と国鉄の間を東西に走る予定となっており,市の西端に位置する空港と中心市街地が直結されることになる。開業は2018年と言われている。
鉄道にくわしい人ならこのニースで,ちょっと不思議な光景に出会うことだろう。多くのトラムは空中に張られた架線から電気を取って走るのに対し,ここには一部,架線がない区間があるからだ。
なぜ架線がない区間があるのかといえば,景観のためである。歴史的建造物の多いフランスでは,かつてのボルドーのように架線によって景観が損なわれるのを危惧し,軌道系交通機関の導入を躊躇したケースもある。ニースのトラムで架線がないのは,海岸に近いマッセナ広場と,旧市街近くのガルバルディ広場の2ヵ所で,どちらも軌道が広場を横断している。
都市交通は都市の景観の一部をなす。公共交通と呼ばれているとおり,公共物の一部だから建造物と同じように,景観に溶け込む造形であることが大切だ。特に広場は,物理的にも精神的にも開放的な空間であることが望まれる。
利便性を考えればトラムを走らせたい。でも景観を考えれば架線はないほうが良い。その結果,架線のないトラムという結果に行き着いたようだ。電線の地中化に近い思考であり,景観を大切にするフランスらしい考え方である。
ニースのトラムは車両の屋根にハイブリッドカーにも使われるニッケル水素電池を積んで走りながら充電を行い,架線がない区間ではその電力で走る。ゆえに乗車感覚は通常のトラムと変わらない。車体は造形こそモダンだが,色は落ち着いたベージュで,石造りの重厚な建物に違和感なく溶け込んでいる。
観光インフラであり生活路線
さらにマッセナ広場から国鉄駅までの約1kmにわたるショッピングストリートは,以前は車道だったが,現在は歩行者とトラムだけが通行できるトランジットモールに作り替えられた。この区間は架線が張ってあるものの,可能な限り細いワイヤを使用することで,存在を目立たなくしている。やはり景観への配慮が窺える。
一方国鉄駅から約500m北のジェネラル・ド・ゴール広場までは,軌道の両側に市場が開かれており,地元の買い物客で賑わっている。生活に密着した路線であることを印象づけるシーンだ。
ジェネラル・ド・ゴール広場の脇に,立派な石造の建物がある。これはプロヴァンス鉄道という私鉄の駅舎として1892年に建てられたもので,現在は図書館として使われている。現在の駅は1991年に200mほどの西側に移設された。
移設の理由は再開発だ。かつてホームがあった場所に,映画館,スポーツセンター,商店,レストラン,住宅などの建設が進んでいるのだ。完成は2018年という。しかし元駅舎は,複合施設の顔として残される。昔ながらのまちなみを保ちつつ,最新施設を用意して若返りを図ろうというプロジェクトだ。
ニースのトラムとその沿線には,世界的な観光地にふさわしい環境・景観対策がある。日本の各都市にもこうした考え方が根付いていくことを期待したい。