日本の都市公園制度制定から150年を迎える2023年。
12回にわたり,「公園の可能性」と題した連載をスタートします。
「公園」といっても,法律で定められた公的施設としての公園に限らず,
公園のような場所や出来事や仕組みもゆるく含めた
「公園的な風景」を眺めていきます。


南池袋公園(東京都豊島区)
photo by Daiki Morita
公園の「三種の神器」
最近,大学の授業の一環で東京の都心の公園を見て回る機会がある。渋谷や池袋の新しい公園は平日の昼間でも訪れる人々で賑わっている。いくつもの公園を巡りながら思うことは,見た目にうるわしい公園が増えたということだ。最近の公園はじつに明るく乾いていて清潔で,施設は都会的に洗練されている。特に目を引くのは公園に付設されたカフェの佇まいである。
かつて,ブランコとすべり台と砂場が「公園の三種の神器」と呼ばれていたことがあった。神器と言ってももちろんたとえ話であって,これらの遊具がなにか神聖な力をもっていたわけではない。団地や住宅地に点在する児童公園が公園の代名詞であった時代に,公園として機能するにはこうした遊具がそろっている必要があり,その場所が公園であることを象徴するものであった。
そして今日,公園の三種の神器と呼べるものがあるとするなら,それは「芝生とデッキとカフェ」なのではないかと思う。これらがそろってさえいれば公園となるというわけではないが,公園の構成要素として説得力があり,この組み合わせが公園を新たに象徴する力をもちつつあるという点で,新しい神器と呼んでもいいのではないだろうか。
盛り場への回帰
公園へのカフェなどの飲食店の設置が増えたのは,2017年の都市公園法の改正*が象徴する,民間の投資を公園整備に活かす近年の公園の「管理」から「経営」への動きのあらわれであると言える。長い間,公園には一定規模以上の施設の建築が禁じられ,公園自体は直接的にはお金を生む施設だとは考えられていなかった。むしろ,建物に隙間なく覆われた都市のなかで,建物が存在しない場所として公園は法律で守られてきた。それによって,都市では引き受けられないものを公園は担ってきたのである。
*2017年,都市公園法改正によりPark-PFI(Park-Private Finance Initiative)制度が新設された。
もっとも,始まりまで遡って考えると,日本の公園は必ずしも店舗を排する場所ではなかった。その始まりは1873(明治6)年のことである。この年に公布された「太政官布達第16号」という法令に「公園」という言葉が登場した。この法令は,全国の府県にむけて「これから公園という制度を発足させるので,それに相応しい場所を申し出よ」という趣旨のお達しである。これに応えて東京府からは上野の寛永寺や芝の増上寺,飛鳥山や浅草寺といった場所が伺い出され,これらが日本初の公園となった。

浅草公園(『日本之勝観』1903年,国会図書館所蔵)
明治維新後,ヨーロッパに倣った都市の近代化の一環として設けられた「公園」が,じつは伝統的な寺社の境内地などの転用で誕生した,というのはなかなか興味深い。公園の始まりはすでにあった賑わいの場所を「公園」と呼ぶことだったのである。そのため,たとえばそのような公園のひとつである浅草公園は,公園内に以前から存在した遊技場や屋台などの「盛り場」も含まれ,そこから支払われる「場所代」が行政の収入として公園の維持管理に充てられていたという。盛り場の風景は今日私たちが思い浮かべる公園のイメージとはずいぶん違うが,公園に場所を借りた民間のお店の売り上げで広場や園路を整備するPark-PFIの仕組みと,その構造は似たようなものである。今日の公園のありようは,明治の初期の公園への回帰とも言えなくもない。
カフェの庭としての公園

新宿中央公園(東京都新宿区)の夜景
photo by Nacasa & Partners

同公園,芝生を望むカフェ
photo by Nacasa & Partners
「芝生とデッキとカフェ」が浅草公園の盛り場と異なるところは,盛り場はアクティビティであって,公園という制度よりも先にあったのに対して,カフェはその空間デザインによって公園の外部の賑わいを公園にもち込むことが目論まれているという点だろう。公園のカフェにはカウンターやテーブル席があり,たいていガラス越しに公園への眺望が確保されている。カフェの床はそのままテーブルやベンチやパラソルが並べられた屋外のデッキテラスに続いている。その先に隅々まで綺麗に刈り込まれ手入れされた明るい芝生が広がっている。背景に濃い緑の樹林が,そしてその向こうに高層ビル群が並んで見えていることもある。奥行きのある,写真映えする風景である。芝生は人が踏み歩くことができる点で舗装に似ているが,生きた植物であり,こまめな手入れが必要な植栽地でもある。カフェの屋内の床と植栽地である芝生との間にウッドデッキが置かれることで,屋内と屋外,やや大げさに言えば都市の人工的空間と緑地の自然的空間がゆるやかにつなげられる。私たちは公園を取り巻く都市からやってきて,カフェでお金を払い,デッキを介して芝生に下りていって自然に触れ,またカフェを経由して都市に戻ってくる。デッキを伴ったカフェから見れば,芝生の公園はカフェの庭である。つまり,巧妙で穏やかな都市化に他ならない。

新宿中央公園でピクニックをする。左手前が筆者
もちろん,カフェの美しい庭を楽しむことは悪いことではないが,庭のなかに「都市ではない場所」としての公園をもう一度見出すことは可能だろうか。ひとつのやりかたは,都市の側からではなく自然の側から公園の芝生に入っていくことかもしれない。食料や飲料をバッグに入れて持参し,雨に降られてもいいように合羽を着て,海から陸地を見るように芝生からカフェを眺めるのである。
参考文献:
飯沼二郎・白幡洋三郎『日本文化としての公園』八坂書房,1993年
小野良平『公園の誕生』吉川弘文館,2003年
小野良平「公園・広場」 (中村陽一ほか『ビルディングタイプ学入門』誠文堂新光社,2020年)