愛知県 川合孝司
父が台湾に行きたいというので、家族で訪ねることになった。
祖父は日月潭のダム建設に携わっていた。ダムを望む丘に社宅があり、吊橋を渡って現場に通った。父はそこで生まれ、明生と名付けられた。
行くのはいいが、詳細がわからない。祖父も祖母も他界した。父は生後半年で台湾を離れているし、家族が聞いていたのは思い出話だけ。考えてみれば自分も両親の若い頃について何も知らない。どこの家庭もそんなものだろう。
思い立って鹿島建設に問い合わせたところ、ありがたいことにたくさんの資料をいただいた。それを見ながら計画をたて、旅行は今年実現した。
ダムの完成から80年を経て、父は自分の名前の由来となった土地を訪ねた。社宅はみつからなかったが、目にしたダムは今もしっかりと濁水渓を受けとめていた。
静かな山奥に残る祖父の仕事。旗も印もないが、そこには鹿島の見える風景があった。