当社OB 梅野哲男
1963(昭和38)年,オリンピックを1年後に控えた東京では,競技場建設やインフラ整備が急ピッチで進み,国中が活気に溢れていました。20代後半だった私は,羽田空港へのアクセスとなる首都高速1号羽田線と東京モノレール(当時は,日立アルウェーグモノレールと呼ばれていました)の関連工事に工事係として携わっていました。
空港入口の海老取川横断では,首都高速と並進するモノレール共に,当時としては画期的な沈埋工法によるトンネル構築が行われました。
現場事務所が空港に隣接した埋立地内にあったために,訪ねて来る人たちが,時折間違って空港の立ち入り禁止区域に入ってしまうので,この様なほぼ等身大の案内看板を作成し,一般道からの入口に立てたところ,良く目立って間違える人がなくなり好評でした。
今,振り返れば,総てが突貫工事でした。オリンピック開幕までに良く間に合ったものだと思います。そして,焼け野原から甦った東京で,世界中に日本人の底力を見せる時だと,皆が意気込んでいたことも忘れられません。
現役時代,「仕事は厳しいもの,されど楽しくやるべきもの」と常に言って来ました。仕事は綿密な計画の上に成り立ちます。悩んで,悩んで,歯を食いしばってやったとしても,誇りと自信を持って前向きにやっていれば,達成した時の満足感で総ての苦労は報われる筈です。2020年に向って,頑張って下さい。