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対談 開業を迎えて──万感胸に迫る

遂に,北陸新幹線の長野–金沢延伸開業がかなった。数多の関係者が願ってやまなかった瞬間である。
北陸新幹線整備に尽力した中沖豊前富山県知事と鉄道運輸機構の副理事長を務めた当社の岡﨑準常任顧問に,
現在に至るまでの長い道のりについて語ってもらった。

写真:中沖 豊 前富山県知事

中沖 豊 前富山県知事
1927年生まれ。1950年東京大学法学部卒業。
地方自治庁(現総務省)に入り,石川県経済部長,自治省消防庁防災救急課長,
富山県総務部長,同教育長,自治省消防大学校長を歴任。
1980年富山県知事に就任。6期24年間知事を務め,富山県の発展に多大な功績を残した。
北陸新幹線整備に尽力し,「ミスター新幹線」とも。
現在,(公財)富山県ひとづくり財団名誉会長。87歳

写真:岡﨑 準 当社常任顧問

岡﨑 準 当社常任顧問
1945年生まれ。1968年京都大学工学部土木工学科卒業。
同年日本鉄道建設公団入社。以後,整備新幹線建設に奔走する。
新幹線第一課長,新幹線部長を経て1999年新幹線担当理事。
2004年鉄道建設・運輸施設整備支援機構副理事長。
2007年技術顧問として当社入社。
2009年常務執行役員技師長。
2011年専務執行役員技師長。
2015年4月より現職。69歳

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【北陸新幹線開業に至るまで】

1967

「北回り新幹線建設促進同盟会」結成

1970

全国新幹線鉄道整備法公布

1972

基本計画決定

1973

整備計画決定。建設指示

1973

オイルショックで着工凍結

1980

中沖豊富山県知事が就任

1982

第二次オイルショックや国鉄の経営再建問題で
着工凍結

1986

政府・自民党が凍結解除と逐次建設で合意

1987

国鉄が分割・民営化

1988

運輸省がミニ新幹線,スーパー特急を発表

1989

高崎–軽井沢着工

1990

政府与党合意で並行在来線は経営分離

1991

軽井沢–長野着工

1992

石動–金沢着工(スーパー特急方式)

1993

糸魚川–魚津着工(スーパー特急方式)

1997

高崎–長野開業(フル規格)

1998

長野–上越着工

2000

長野–富山をフル規格に格上げ。
12年後の完成をめざす

2001

上越–富山着工

2005

富山–金沢着工

2015

長野–金沢開業

人生の大半を捧げて

岡﨑 このたびは北陸新幹線の開業おめでとうございます。長い間,お疲れ様でした。

中沖 東海道新幹線の開通から半世紀,1973年の整備計画決定から42年。本当に長かったですね,待たされたという思いが強いですが,開業できてよかった。

岡﨑 中沖さんは1980年に富山県知事に就任されてから6期24年の間,県政の旗振り役としてご活躍されてきました。特に新幹線誘致は人生を捧げたといっても過言ではないほどご尽力された。私が日本鉄道建設公団で北陸新幹線の担当になったのが,1986年3月。長野着工準備作業所長でした。あれから29年経ちますが,私も人生の大半を新幹線に賭したという思いがあります。僭越ながら,中沖さんとは戦友のようなものだと思っています。

写真:対談の様子

中沖 私が知事になった当時,富山県の知名度は低かった。東京の若い人のなかには知らないという方もいて,富山の魅力を高めるためにも新幹線が必要だと自分なりに懸命にやってきました。岡﨑さんは公団で新幹線第一課長,新幹線部長,新幹線担当理事,副理事長と一貫して新幹線整備に携わってこられた。その後も,鹿島建設で新幹線関連の事業などで活躍されていらっしゃる。色々と助けて頂きました。お互い苦労も多かったですね。

写真:中沖 豊 前富山県知事

岡﨑 とにかく,決定しては凍結の繰り返しでした。オイルショックによる着工凍結,第二次オイルショック,国鉄の経営再建問題による凍結。その逆風のなか,中沖さんが富山県知事になられてからは,北陸新幹線建設促進同盟会の会長として沿線各県の先頭に立って政府などに繰り返し陳情をされてきました。その甲斐もあって,1986年に凍結が解除される見通しになったところで,翌年に大蔵省主計官の「昭和の三大バカ査定発言」が飛び出す。

中沖 戦艦大和と武蔵の建造,青函トンネル,伊勢湾干拓事業の三つを引き合いに,投資採算性が十分でないという発言が新聞記事に掲載されるなど逆風が吹く。どうしてこんなことになるのだろうと頭を抱えました。なかなか進みませんでしたね。

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千載一遇のチャンス

岡﨑 ところで,私も本日新幹線に乗車してきました。北陸新幹線には,最新鋭のE-7,W-7車両を27編成導入し,「かがやき」「はくたか」では,グランクラスも営業しています。日本の伝統と最新技術が融合し,洗練さとゆとりを兼ね備えた設えになっていますが,東京–富山を最速で2時間8分,東京–金沢でも最速2時間28分で到着します。金沢–長野が1時間5分で,長野から富山まで実に45分。1時間かからない。

写真:岡﨑 準 当社常任顧問

中沖 私も試乗会で富山から乗車しましたが,本当にあっという間でした。山を眺めてきれいだなと思っているうちに着いてしまった。もう長野かと驚きましたね。

岡﨑 この時間短縮効果によって旅客流動が飛躍的に拡大します。首都圏と北陸エリアの流動が500万人から1,000万人に。当然,観光振興に目が向けられています。

中沖 北陸は,美しく豊かな自然環境に恵まれており,観光のポテンシャルが高いのは衆目一致するところでしょう。立山連峰に黒部峡谷,国定公園の越前,能登に飛騨高山。また,宇奈月温泉のような温泉郷も有名で,北陸の利用源泉数は全国でもトップクラスです。

岡﨑 歴史背景にも魅力があります。富山の五箇山合掌造り集落や瑞龍寺,桜町遺跡。金沢兼六園に武家屋敷,沿線の長野ですと今年は7年に一度の善光寺御開帳。福井の恐竜も非常に有名になりました。食文化でも,“きときと・富山湾”。ホタルイカとシロエビ,氷見の寒ブリ。海の幸・山の幸が揃い,清らかな名水と良い米をつかった地酒もうまい。

※きときと…富山の方言で新鮮の意味

中沖 私はこれまで,観光の施策を展開するにあたって重要なのは“人づくり”“インフラづくり”“イメージづくり”だと説いてきました。“人づくり”では観光業界の担い手を育成するのはもちろん,住民自らが地域のよさをPRできるようになることが肝要です。富山県民にとって立山も豊富な海の幸も日常の風景になってしまい,そのよさがわからなくなっている。これを再認識することが重要です。

岡﨑 “インフラづくり”の意味では,やはり北陸新幹線の開業は注目されています。

中沖 北陸は,もともと地理的条件に恵まれています。日本のほぼ中央に位置しており,三大都市圏のいずれからも距離が近い上に,日本海の対岸諸国からも遠くない。これまではどちらかといえば,交通網の関係などで関西圏と中部圏に近い部分がありましたが,新幹線の開業で首都圏との距離が格段に縮みました。やはり開業の影響は非常に大きい。“イメージづくり”の面でも,この開業でさかんに北陸の魅力について報道がされましたし,まさに現在は千載一遇のチャンスといえます。

岡﨑 企業誘致の点でも期待されている部分は大きいですね。

中沖 本社機能移転や工場建設などにとっても,もちろんプラス材料です。私は道路や鉄道の交通インフラを「骨格」とすれば,産業や文化は「筋肉」にあたると思っています。これだけ骨格がしっかりすれば,これまで以上に筋力がつけられるし,つける必要も出てくる。

岡﨑 北陸に本社を置いている企業も多く,ここを発祥の地とする大企業もたくさんある。そうした素地があるなかで,既に一部機能移転を表明したメーカーもあります。

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中沖 今後そういう動きは拡大していくでしょう。北陸地方は,住みよい生活環境のモデル地域で,住みやすさでは常に全国上位に挙げられます。産業が振興されることで定住人口にも影響してくるかもしれません。その意味では,早く福井そして大阪へ延伸開業を果たしてほしい。首都圏とのつながりが強くなる一方で,関西圏と中京圏との関係性も保っていかなければならない。もともと,北陸新幹線には,災害時などの東海道新幹線の代替機能も求められています。その意味でも延伸は国全体にとって重要なことです。

「今年が山場だ」といわれ続けて20年間辛抱

中沖 実際に開業してみるとなかなか理にかなったルートかと思いますが,ルートの変更も何度もありました。

岡﨑 様々なルートが候補になりましたね。北陸新幹線は少し迂回しているようにみえますが,3,000m級の北アルプスは様々な要因でなかなか掘れない。それで迂回するような格好になっています。高熱隧道という言葉が有名ですが,例えば立山ルートは,掘り進めていくと源泉の影響から岩盤が100度以上の高熱を発するようになって掘れなくなる。松本と糸魚川を結ぶ大糸線で曲がりくねっている箇所がありますが,これも地質の悪いところを避けているのです。

中沖 なるほど,そういうこともありましたか。ルート選定が進みつつ,1988年くらいから全国の整備新幹線で部分着工がはじまりました。

岡﨑 建設財源がないなかでやむを得ず,フル規格ではなく既存在来線の路盤を使った「ミニ新幹線」,在来線と同じレール幅の「スーパー特急」方式が打ち出されました。いずれも費用は低減されるが,新幹線の速達効果は少ない。

中沖 「鰻を頼んだのにアナゴやドジョウが出てきた」。沿線の関係者で抗議の声を挙げましたが,なかなかうまくいかない。新幹線は大飯食らいだということで,何をするにもとにかく費用の話がついてまわりましたね。

岡﨑 採算性について行政や報道各紙が厳しい見方をするなかで,地方負担という話が出てきた。中沖さんは「東海道新幹線は地方負担ゼロなのにどうして北陸は地方負担しなくてはならないのか。不公平だけは許せない」と方々で訴えていた。

中沖 費用負担についても様々な方と話しましたが,本当につらかったですね。国も負担するのだからと泣く泣く納得させるしかなかった。情けなくて仕方がなくて,涙が出ました。受入れは苦渋の決断でした。

岡﨑 長野オリンピック開催の切り札に新幹線整備を掲げていましたが,開催が決まったことで1997年の高崎–長野間先行開業に弾みがつきました。紆余曲折ありましたが,スーパー特急方式から格上げした長野–富山フル規格整備が決まり,2001年に上越–富山が着工。そして2005年に富山–金沢が着工しました。

中沖 2001年の上越–富山フル規格着工は感慨深かったですね。「今年が山場だ」といわれ続けて,20年間辛抱しましたから。この式典に出席して少し肩の荷が下りた気がしました。

岡﨑 険しい道のりでしたが,私にとって印象深いのは,中沖さんは公団の一般職員にもよく声をかけて下さっていたことです。県知事の方が公団の役員クラスに陳情に来た際,通常陳情が終われば直ちに帰るものですが,中沖さんは大部屋にも顔を出して一般職員を激励してくれまして。そのことを非常によく覚えています。

中沖 関係者が一丸となって取り組まないといけないという思いはありました。ここまで漕ぎつけられたのは,皆さんをはじめとする関係者の方々の努力の賜物です。本当に長く険しい道のりでした。

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籠に乗る人 担ぐ人 そのまた草鞋を作る人

岡﨑 駅のコンコースに「北陸新幹線(長野・金沢間)は,国,県,地域の皆様,JR東日本,JR西日本のご支援,ご協力を得て,鉄道・運輸機構が総力を結集して建設したもの」と銘板が掲げてあります。当社も様々な工事を担当し,富山の顔である富山駅の建設にも携わりましたが,施工を担った建設会社でも職員から作業員一人ひとりに至るまで努力を重ねました。関係者の一人として開業を迎えることができ,感慨無量です。男子の本懐を果たし,我が人生に悔い無しと。

中沖 まさに同じ思いでいます。この開業は,関係者の血と汗と涙の結晶。万感胸に迫ります。

岡﨑 乗車する方々はどうか思い出して頂きたいと思います。「飲水思源」「籠に乗る人・担ぐ人・そのまた草鞋を作る人」。様々な人々の思いを乗せてこの新幹線は走っている。たくさんの関係者の不屈の精神で開業が成し遂げられました。

中沖 このよき日に,岡﨑さんにお会いできてよかった。繰り返しになりますが,開業に至り,本当によかったと思います。本日はありがとうございました。

写真:対談の様子

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