下の不思議な地図(図1)を見てください。これは東京・JR上野駅公園口を中心にした地図ですが,少しいびつな形をしています。じつは右下の地図(図2)がよく見慣れた通常の地図で,比べてみると地名の位置関係が崩れているのがわかるでしょう。
これは「時間変形地図」と呼ばれる地図で,中心からそれぞれの場所に到達する「時間」をもとに描いた地図のことです。今回はこの不思議な地図について考えてみます。
到達時間を表した地図
図1は,上野駅公園口から目的地まで,徒歩で行った場合,電車(JR,私鉄,地下鉄),あるいはバスに乗った場合のすべての手段を考慮に入れ,目的地へ着くまでにどのくらい時間がかかるかを一枚の地図に表しています。
同心円がその時間を表す目盛になっています。鉄道の駅を例に見てみるとわかりやすいと思います。上(北)側に見える「新三河島」駅までと,下(南)側に見える「浅草橋」駅が同じ30分程度で行ける場所ということです。
また,駅ではない場所でも同じことが描かれています。これと同じ円の上にある道路上の点は,そこまで最短の経路で行った(例えば電車を乗り継ぎ,徒歩で向かった)場合,30分前後で到達できるというものです。
普段見慣れている図2の地図では,もちろんそうしたことは表現できません。距離からおおよその遠さ近さを把握することができても,新三河島駅までと浅草橋駅までがほぼ同じ時間で到達することは表せません。時間変形地図が表すのは,ふたつの場所が到達時間的に「等価」の場所になったということです。
この地図は上野駅公園口の例に過ぎませんが,すべての場所から変形地図を描いて,同様のことを調べることができます。もっとも,到達時間と最短経路を知りたいだけならば,いまどき「乗り換え案内」や「道案内」などのナビゲーションサービスで簡単に検索できますから,この変形地図が実用的なものになるわけではありません。それよりもむしろ,都市の利便性や感覚を目で見て直感的に掴める地図といえるのです。
利便度が地図を歪ませる
図1は,同心円による時間の表現だけでなく,地図自体の歪みも目をひきます。例えば上下(南北)方向にJR山手線と京浜東北線が効率よく走っているため,沿線の「田端」や「秋葉原」が上野に向かって引き寄せられ,地図を大きく変形させています。これは,到達時間による地図上の距離(正確には「見なし距離」。詳しい地図の描き方とあわせ,図3を参照)が縮まって,まるで出発基点に近づいたかのような形となっています。
図1はまた,単に交通手段の速度比のみではなく,乗車までの「待ち時間」にも影響を受けています。私たちが実際にバスを利用する場合,たいていはバス停でバスが来るのを何分か待ってから乗るわけで,すぐに乗れるほど時間は稼げ,見なし距離も短くすることができると考えられるからです。厳密にいうと通勤ラッシュ時など,時刻や交通状況によって時間変形地図は時々刻々と変化するのですが,ここではバスの運行本数から平均的な待ち時間を計算して地図を描いています。これが変形地図にどう表れてくるのでしょうか。
手段による変形地図の違い
移動手段別に描いた変形地図で見てみましょう。図4は図1を分解したもので,①通常の交通網を描いた地図,②徒歩のみ,③徒歩とバス,④徒歩と鉄道(地下鉄含む)による時間変形地図を示しています。
まず,②は徒歩の時間変形地図です。①に比べて地図が膨張しているのがわかります。これは都市の中を徒歩で移動する場合,目的地点まで一直線で到達できる場所は少なく,多少なりとも回り道になって,見なし距離が長くなるためです。例えば迂回せざるをえない池の対岸側や,上野から直線的に延びる通りが少なく曲がりながら進む他ない場所は,円の外側に向かって引き延ばされます。
次に,③は徒歩とバスによる時間変形地図です。バスを使って移動速度は速くなるはずなのに,②と形がほとんど変わっていません。ここに先ほどの「待ち時間」が関係してきます。バスは一定以上の運行本数がないと待ち時間が長くなり,結果として徒歩で行くのと時間的にはあまり変わらなくなる場合が多いことを示しているのです。
④は徒歩と鉄道による時間変形地図です。他に比べ地図が圧倒的に歪み,縮んでいます。このエリアは鉄道路線の種類,運行本数も多く,かなり入り組んで巡らされているため,鉄道路線が他の手段に比べて,時間変形地図においては都市空間を大きく変形させる(時間短縮に貢献する)ことがわかります。
こうした伸縮の様子を見ると,まるで交通機関は地理的制約を越えて,都市を引き寄せる(見なし距離を短くする)ことのできる機械装置のようです。
都市の伸縮から見えること
乗り換え案内で得られる検索結果は,必要とする情報のみを即座に与えてくれるものですが,時間変形地図は縮んだ地点,縮まなかった地点それぞれに情報が読み取れる奥深いものです。縮まなかった場所の鉄道やバスの運行計画を考えるきっかけになるかもしれませんし,反対にすべての場所を均等に縮めることだけが果たしてよい都市づくりなのかを話し合ってみてもおもしろいかもしれません。
ここでは交通手段の利便性に着目しましたが,変形地図自体は地理や数学など,さまざまな分野でも描かれ,考えられてきたテーマでした。日本では,グラフィックデザイナーの杉浦康平氏が発表した「日本列島時間軸変形地図」などのプロジェクトがよく知られています。時間変形地図というものの存在を知ると,私たちが利用する都市も,いつもと少し違った見え方がしてきませんか?
國廣純子,新井崇俊,市川創太を中心とする都市研究室。タウンマネジメント,都市解析,都市・建築設計などに携わりながら,デザインの下敷きになりえる都市・建築の構造や潜在価値を探るために,評価・設計支援ソフトウェアを独自開発している。都市工学を現実のデザインにアプライすべく,ユーティライズを行い,形の特性,空間情報と統計情報などとのブリッジを得意とする。「ICC都市ソラリス展」「杉浦康平・時間地図デジタイズ プロジェクト」など。
http://hclab.jp
本文中でも触れた杉浦康平氏の最新著作『時間のヒダ,空間のシワ…[時間地図]の試み』(鹿島出版会,2014)の中でhclab.が時間地図のデジタイズを行っている。