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幸せの建築術 人類の叡智を再考する 第5回 イエメン 砂漠のなかの高層住宅群

写真:2本の塔はモスクのミナレット

2本の塔はモスクのミナレット。1日5回,街に点在するモスクから祈りの時間を知らせる声が輪唱のように聞こえてくる。なかでも夕暮れどきの雰囲気は格別である

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生きた博物館

1970年代後半からの10年ほど,当時在籍していた丹下健三・都市・建築設計研究所の仕事の多くは海外のものであり,私も中東,アフリカ,東南アジア,ヨーロッパなど,多くの国を訪れた。今でも海外との付き合いは続き,気がついてみたら訪問・滞在した国は100ヵ国を超えていた。「いちばん良かった国はどこ?」とよく聞かれ,答えに窮している。しかしベスト3ならば,迷わずイエメンを挙げる。

イエメンはアラブ文明の発祥地で,その歴史は古くユダヤのソロモンの時代まで遡る。旧約聖書に出てくるシバの女王の伝説もこの地が舞台である。砂漠が大部分を占めるアラビア半島にあって,イエメンの国土は7割が山岳地帯。インド洋からの湿気を伴った風がこの山々にぶつかって雨をもたらし,さまざまな農作物や緑を育む豊かな大地をつくった。紀元前の旅人がこの国を「幸福なアラビア」と呼んだことで知られている。高級香料とされた乳香を多く産出して利益を上げ,インドからアフリカへと続く海のシルクロードの富を独占した。

図版:地図

時代は下って20世紀,アラビア半島では争うように石油が発掘されはじめ,産出国は莫大な収入を得るようになった。しかし,イエメンでは石油は発見されず,周辺国の発展から取り残される。経済的には不運であったが,そのことがかえって貴重な歴史遺産を急激な開発と破壊から守ることになったのである。

1998年,この国を初めて訪れたときの驚きと感動は忘れられない。それまでサウジアラビアをはじめ中近東の国々には何度も通っていたが,イエメンの風景は違っていた。全く近代化されることなく,豊かな歴史と恐らく数百年前の伝統的建築や都市,集落がそのまま残っていて,まるで映画のセットのようであった。さらに驚いたのは人々の生活様式も数百年間そのままに保たれていたことである。首都サヌアが「生きた博物館」と呼ばれるゆえんである。

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畑のある世界最古の都市――サヌア

サヌアの城壁に囲まれた旧市街地は,現存する世界最古の都市といわれ,現在でも5km2ほどの城壁内に約5万人が住んでいる。街へは南側にあるバーバル・イエメン(イエメン門)から入る。

城壁内には4~8階建ての高層住宅がびっしりと,一定の建築スタイルによって建てられており,その平面はすべて矩形で,上階にいくほど小さくなっていく。床は木造のため,建設可能なスパンは最大で3~4mほど。床面積を確保するためには建物を細く高くしていくしかない。それゆえに大きな面積の建築はモスクだけしか存在しない。街中どこを歩いても同じスケール感が保たれていて気持ちが良い。

写真:サヌアのバーバル・イエメン

サヌアのバーバル・イエメン(イエメン門)

壁は2階まで石を積み上げ基礎を十分に固めて,日干し煉瓦を積み上げていく。窓は四角と半円の組み合わせによるリズミカルなもので,その回りを白い漆喰で縁取りしているが,それ以外の壁面は日干し煉瓦の地肌のままである。コントラストの強さゆえにリズムが強調されて美しさが増す。扉のデザインだけが各戸で違い,なかにはアラベスクの凝った美しいものもある。人々が富を競えるのはこの部分だけというから,ほほえましい個性の主張だ。

狭い通りに密集したこれらの高層住宅群とは対照的に,市場(スーク)は開放的である。特にイエメン門を入るとそこは大きな広場になっていて,多くの市が営まれている。また,圧迫されるような狭い暗い路地を歩いていると突然,大きな畑の空間(ブスターン)に出くわす。畑が城内につくられた目的は,戦時の籠城に備えた食料確保だった。

そこは路上のレベルより2mほど掘り下げられている。雨の少ないサヌアの人たちは,雨水をすべてここに流し込み,地下水として蓄え土地に湿気を保たせ,農業に適するよう工夫している。モスクの公衆トイレなどの排泄物も流れ込むように下水道が計画され,肥料にしたそうである。

写真:サヌアの高層住宅

サヌアの高層住宅。右頁のシバームの高層住宅に比べると,細かい装飾が施されている

写真:イエメン門を抜けた先の広場

イエメン門を抜けた先の広場。さまざまなスークがあり,多くの人々で賑わう

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写真:各住居への入口

各住居への入口はアーチ状に小さく切られ,厚い木でつくられた扉の表面には木彫が施されている

写真:ブスターン

ブスターン。夕方には人々が集まり野菜を収穫。お互いの畑の野菜を売り買いしたりもする

写真:地面より1段低いブスターンに水を引く

地面より1段低いブスターンに水を引く

砂漠のマンハッタン――シバーム

イエメンのほぼ中央の高原地帯にはシバームという街がある。飛行機の窓からこのシバームを見下ろすと,広大な砂漠のなかに,なぜあのように高層の建物が肩を寄せ合うようにひしめき合っているのか,誰もが素朴な疑問を抱くに違いない。その理由は外敵の侵略から防御するための軍事的な機能に加えて,互いに影をつくり合い,灼熱の砂漠の日射から守る利点も考えられる。

建物の壁面は土壁がむき出しのままが多いが,上部が漆喰で真っ白に塗られているものもある。住人に話を聞くと,経済的に恵まれた者が壁を白く塗ることが多いらしく,つまり白い壁はステータスなのだそうだ。その結果,白塗りの壁と土壁が混じり合い,絶妙なコントラストを生み,独特な美しい外観をつくり上げている。はるか遠くから砂漠の蜃気楼に浮かび上がる超高層都市を眺めると,その姿はハドソン川の対岸から見るマンハッタンのようでもある。

私がこの国を訪れた20世紀末は,社会情勢が平穏であり人々も親切で優しかった。しかし,現在はイエメンへ入ることさえ非常に難しい。アルカイダの拠点であり,外国人は攻撃の的になっている。けれども紛争は永遠に続くものではない。少しでも早くイエメンに平和が訪れ,誰でもこの美しい国に行ける日が来ることを祈りたい。

写真:砂漠に屹立するシバームの高層住宅

砂漠に屹立するシバームの高層住宅。手前には川があるのだが,水をたたえるのは雨季の一時的な豪雨のときのみで,普段は地下水となっている

写真:上階にいくほど面積が小さくなる

上階にいくほど面積が小さくなる。白い漆喰で塗られた壁は,ステータスの象徴となっている

写真:写真を撮って!と,人懐こい笑顔を見せるイエメンの子どもたち

写真を撮って!と,人懐こい笑顔を見せるイエメンの子どもたち

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古市流 地球の歩きかた

イエメン共和国
(Republic of Yemen)

面積:55.5万km2(日本の約1.5倍弱)
人口:2,618万人
首都:サヌア
アラビア半島の南西に位置し,東はオマーン,北はサウジアラビアと国境を接する。

男たちの社交空間

高層住宅の最上階にマフラージと呼ばれる応接間があり,そこはかつての日本で「座敷」と呼ばれていた部屋に相当する。どの家もここは立派につくられていて,披露宴やパーティーなどにも使われる。女人禁制で男たちが集い,カート(噛むと軽い興奮作用を起こす葉)などの嗜好品を楽しむ。この部屋がいかに立派であるかがその家の誇りと格式にかかわるのだ。部屋では乳香が焚かれ,得も言われぬ甘い香りに陶酔の境地になる。イスラム風ステンドグラスの窓からは美しい色とりどりの自然光が入ってくる。男たちは1日中お喋りに興じ,そこでさまざまな情報交換が行われ団結心が築かれ,夕刻,闇が訪れるころに帰りはじめる。いつ仕事をしているのだろうか……。うらやましいほど贅沢な時間の過ごし方だ。

写真:マフラージ

マフラージ

永遠に終わらないコーヒー

アラビアコーヒーも大事なたしなみである。沸騰した湯の中に,挽いた豆と一緒にサフランとクローブを入れ,弱火で10分ほど沸かす。小さなカップに注いでもらうが,返すときにはカップを横に振らなければならない。さもないとそのカップにいつまでもコーヒーが注がれることになってしまう。

写真:永遠に終わらないコーヒー

古市徹雄(ふるいち・てつお)
建築家,都市計画家,元千葉工業大学教授。1948年生まれ。早稲田大学大学院修了後,丹下健三・都市・建築設計研究所に11年勤務。ナイジェリア新首都計画をはじめ,多くの海外作品や東京都庁舎を担当。1988年古市徹雄都市建築研究所設立後,公共建築を中心に設計活動を展開。2001~13年千葉工業大学教授を務め,ブータン,シリア調査などを行う。著書に『風・光・水・地・神のデザイン―世界の風土に叡知を求めて』(彰国社,2004年)『世界遺産の建築を見よう』(岩波ジュニア新書,2007年)ほか。

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