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回想 開発当時を振り返る

東京イースト21の始まり

敷地は江東区東陽町六丁目にあり,昭和30年代から当社の資材置き場として使用されていた。もともと深川エリアは深川鹿島邸があった場所でもあり,地元とのつながりは深いものがあった。

昭和42年に地下鉄東西線が開通し,それまでは資材置き場や倉庫などの多かった街並みが次々とマンションに変わっていく。開発計画当時はまさにマンション建設全盛期のため,分譲マンションを中心に事業の検討が行われていた。江東区は深川区と城東区が合併してできた区で,両者の中間にある東陽町に区役所が置かれた経緯がある。この土地は江東区役所と近接した同区のシビックゾーンともいえる一画に位置することもあり,区の中長期計画として,東陽町に都市的な施設を重点的に配置するシビックゾーン構想にマッチした施設を,という区の希望もあった。約1万坪の敷地では単一用途は事業として成り立たせにくいため,都心へのアクセスの良さなどを考慮の上,オフィスの配置も検討し,地元との対話も通じながら,オフィス,ホテル,商業の三要素を組み入れたミクスドユースプロジェクト,イースト21計画がスタートした。

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図版:開業当時の全景。週末は周辺が渋滞するほど盛況だった

開業当時の全景。週末は周辺が渋滞するほど盛況だった

©川澄・小林研二写真事務所

図版:地図
図版:全体配置図

全体配置図

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地域に愛されるホテルへ

当時の大規模複合施設の開発は,一民間事業として行うものは数が少なく,画期的な企画であった。

開発当時,江東区にはビジネスホテルが数件しかなかったこともあり,ビジネスホテルの建設も検討されていた。一方で,地元からは「地域の核になる素晴らしいものがない」との声があり,だんだんとホテルに対する期待,ニーズに対する生の声が聞こえてきた。一般的にビジネスホテルには文化の匂いがあまり感じられない。文化と文化の融合性,人と人との交歓の場が,いわゆるホテルの持つ本来の姿であると考え,文化の香りがあり江戸下町の面影を残す深川・木場に融合し,なおかつ地元の人に愛される四つ星クラスのホテルを目指すことになった。

鹿島東京開発による運営・管理

施設全体の運営・管理を行うためのグループ会社として鹿島東京開発が1989年2月に設立され,東京イースト21全体に関わる開発・テナントリーシングやイベントの企画・運営,各テナント間の連絡・調整などを行う態勢が整えられた。同年5月にはホテルの事業主体として鹿島ホテルエンタプライズを設立。しかし,バブル崩壊などによる日本経済の深刻な停滞の影響を受け,両社一体となったプロジェクト推進が効率的であるとの判断から,2002年鹿島東京開発が,鹿島ホテルエンタプライズを吸収合併したため,現在のホテル事業の主体は鹿島東京開発が行っている。さらにこの間,市場の急激な変化に対応するため国内外に多くの運営実績をもつホテルオークラと運営業務委託契約を締結し,オークラ ホテルズ&リゾーツに加盟した。

図版:月1回(不定期)のペースでクラシック演奏会を行い,アーバンホテルとしての文化的要素,華やかさを演出する

月1回(不定期)のペースでクラシック演奏会を行い,アーバンホテルとしての文化的要素,華やかさを演出する

受け継がれる約束

2012年の開業20周年を迎えるにあたり,当時の総支配人によって「プレッジ」が作成され,ホテルイースト21東京の全従業員に配布された。

プレッジには,東東京一の施設を誇るホテルに相応しい客室,料理・飲料,サービスの提供に努めること,時代の変化に伴って多様化するお客様のウォンツに応じ,スピード感を持って対応することなど,ホテルイースト21東京が目指すホテルとなるために,日頃から心掛けておくべき項目が明示されている。スタッフは朝礼時に毎朝復唱することで,一人ひとりが内容を理解し,自分のものとして身につけ,おもてなしの心を受け継いでいる。

図版:ホテルのスタッフが携行する「プレッジ」

ホテルのスタッフが携行する「プレッジ」

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深川鹿島邸

現在,ドーミー木場(社員寮),テラハウス木場(社宅)が建つ江東区木場2丁目(旧深川区島田町9番地)には,もともと深川鹿島邸があった。明治初期に二代目の鹿島岩蔵が,父岩吉名義で内藤駿河守下屋敷跡を購入。1885年に岩蔵一家が移り住み,庭を整え,屋敷を整備増築した。個人の屋敷というよりも,園遊会や新年会などさまざまな行事に使う,会社の迎賓館のような場所となった。庭の大きな汐入りの池には,ウナギ,スズキ,ボラなどがいて,来訪者が釣りを楽しんでいた。

1923年の関東大震災で全焼し,その後は資材置き場などとして使われる。1970年代に社宅(アパート)が建てられ,1990年にドーミー木場,テラハウス木場ができ,現在に至る。

図版:深川鹿島邸での新年会(1914年)

深川鹿島邸での新年会(1914年)

図版:深川鹿島邸全景。現在はドーミー木場,テラハウス木場が建つ

深川鹿島邸全景。現在はドーミー木場,テラハウス木場が建つ

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省エネ・BCP技術に取り組む大規模複合施設の先駆け

東京イースト21では東日本大震災を契機として,BCP対応への関心が高まるのを背景に,竣工後20年となる2013年に施設全体でのエネルギーの面的有効活用と電源の自立性を目指した「スマートエネルギーネットワーク」を構築し,施設の資産価値向上を図った。

スマートエネルギーネットワークは,コージェネレーションシステム(以下,コージェネ)が核となっている。ガスエンジンによる発電に加えて太陽光発電など電力を多重化し,コージェネ発電の際に生じる廃熱を空調・給湯などのエネルギーとして有効活用する。IT技術により,これら複数の電力・熱を複合施設の建物間で最も効率よく活用させていく面的エネルギー供給システム。このコージェネを非常時(停電時)にも稼働させることで,オフィス棟へ電源を供給しBCP対応を強化する。

実用レベルでは日本最大級であったため,大規模複合施設におけるスマートネットワーク構築の先駆けとして注目を浴びた。ここで確立したコージェネを活用したBCP対応技術は,その後さまざまな複合施設に展開されることになった。

図版:スマートエネルギーネットワーク概念図

スマートエネルギーネットワーク概念図

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