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ナント:ミュージカルに描かれた都市の通過者/定住者

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ナントに建つパサージュ・ポムレー

©AdobeStock

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港町の風情を宿すナント

©Minkimo/Alamy Stock Photo

大西洋に注ぐロワール川の河口域に位置し,歴史的にはブルターニュ地方に属するフランスの港町ナントは,17世紀末から19世紀初めまで三角貿易で栄え,ハイチ独立,1831年の奴隷貿易禁止法制定後は,造船を中心に工業を発展させた。しかし,1970年代半ばの「栄光の30年間」(戦後フランスの高度経済成長)の終焉とともにナントでも工業の衰退が始まり,87年に最後の造船所が閉鎖された。

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「ロシュフォールの恋人たち」にも描かれた
運搬橋

©LEROY Francis/hemis.fr/Alamy Stock Photo

ナント出身の映画監督に,音楽家ミシェル・ルグランと組んだ「シェルブールの雨傘」(64)や「ロシュフォールの恋人たち」(67)などのミュージカル作品で特に知られるジャック・ドゥミがいる。1931年生まれのドゥミは,映画学校入学でパリに上京するまでの18年間をナントで過ごした。ドイツ軍がナントに基地を置いた第二次大戦中には,連合軍による爆撃で中心街が破壊され,多数の死傷者が出るのも目の当たりにした。

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ナントのカフェで会話に興じる人々

©David Burton/Alamy Stock Photo

シェルブールはノルマンディーのコタンタン半島先端に築かれた軍港都市,ロシュフォールは大西洋に注ぐシャラント川下流域の河港都市だ。自分の作品はどれもナントで撮ってもよかったと監督自身が晩年に述懐しているように,ナントを舞台にした「ローラ」(61)と「都会のひと部屋」(82,日本未公開)以外にも,多くのドゥミ作品が,ニース(「天使の入り江」(63)),ロサンジェルス(「モデル・ショップ」(68)),マルセーユ(「想い出のマルセイユ」(88))など,港町で撮影された。

長編第一作「ローラ」は1960年,「都会のひと部屋」は1955年の設定で,どちらの物語も戦後高度経済成長期のものだ。しかし,ナントは,初恋の強度と儚さを主題とした「ローラ」では,人々が早かれ遅かれそこから出ていく通過地として描かれるのに対して,「都会のひと部屋」では,出ていくという選択肢のない人々がそこを自分の領土として防衛する定住地として示される。

「ローラ」の音楽は,当初,ナディア・ブーランジェの下で学ぶためにパリに滞在していたクインシー・ジョーンズが担当するはずだったが,ジョーンズが急遽米国に戻らなければならなくなったために,ブーランジェ門下で彼の兄弟子に当たるルグランが引き受けることになった。ドゥミは,別れの必然性と再会の蓋然性とを予め内含した通過者たちの出会いを描くために,クラシック音楽を徹底的に学んだビバップ系ジャズ編曲家の仕事を必要としたのだ(彼らの他にも,アストル・ピアソラ,レナード・バーンスタイン,フィリップ・グラスなど,20世紀後半のポピュラー音楽はブーランジェ一門によって開拓されたと言っていい)。

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映画「ローラ」の舞台にもなったレストラン「ラ・シガール」は1895年創業

©Martin Thomas Photography/
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ナント(及びサン=ナゼール)の造船所で働く冶金工たちが賃上げを求めて55年に実際に起こしたストライキとデモを,まさにそれらの造船所の閉鎖に抗う労働者の闘争が展開されていた80年代初頭に映画化した「都会のひと部屋」は,ルグランがドゥミからの仕事の依頼を断った唯一の作品である。「ローラ」終盤でナントを去ったロラン・カサール(マルク・ミシェル)がシェルブールに現れ,そこで出会ったジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)を連れて再び旅立つ「シェルブールの雨傘」をはじめとして,港町が舞台でルグランが音楽を担当したどのドゥミ作品も,通過者と彼らの周囲に生い立つ深いメランコリーとを描くものだった。

「都会のひと部屋」の音楽はミシェル・コロンビエが引き受けた。セルジュ・ゲンズブールとブリジット・バルドーのデュエット「ボニーとクライド」(68)の編曲などで知られるコロンビエもクインシー・ジョーンズに近い人物で,編曲家として彼のデビュー作は,ジョーンズが制作したシャルル・アズナヴールの英語版アルバムだった。「シェルブールの雨傘」と同様に,「都会のひと部屋」でもすべてのセリフが歌われるが,そのことによって,領土防衛のために定住者たちが発する言葉は一語一語がくっきりと際立つものになった。彼らの非妥協性を語の屹立のうちに示すことが試みられたのだ。

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「シェルブールの雨傘」より
ジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)と
母親エムリ夫人(アンヌ・ヴェルノン)

©Moviestore Collection/
Alamy Stock Photo

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「ロシュフォールの恋人たち」より
ダンスシーン

©Moviestore Collection/
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「ローラ」と「都会のひと部屋」に共通する撮影場所のひとつに,1840年代に建造された3階建てのアーケードで,観光名所としても名高いパサージュ・ポムレーがある。少年時代のドゥミが最初のムーヴィー・カメラを入手したのも,彼の通ったシネクラブがあったのもそのパサージュだった。

ヴァルター・ベンヤミンは「パリ,19世紀の首都」(1935年版,『パサージュ論』第1巻所収,岩波書店,1993年)で,レールに使われる「鉄」と,事物をイメージに転じる「ガラス」とで構成された近代装置としてパサージュを論じている。人々はレールに導かれるように歩廊を進み,ショウウィンドウ上でのイメージの展開に身を晒す。この意味でこそ,ベンヤミンにとって,パサージュと映画は同時代の産物だった。しかし,パサージュ・ポムレーがそのような「近代性」の場として扱われるのは,ナントを通過者の町として描き出した「ローラ」と,その記憶が想起される「シェルブールの雨傘」においてであり,同じ都市を定住者の観点から捉え直した「都会のひと部屋」では,歩廊でのイメージ体験ではなく,ショウウィンドウの奥で蠢く事物それ自体に触れることがドラマの中核に据えられた。

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パサージュ・ポムレーのエントランス

©lionel derimais/Alamy Stock Photo

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今日のナントは,ドゥミ映画にはその片鱗も見出せないグローバル化時代特有の領土闘争の舞台になっている。「都会のひと部屋」で,黒ずくめの機動隊に対峙したのは,大革命に由来する三色旗を先頭に大きく一枚掲げた労働者大衆だった。しかし,2014年9月にナント街頭を埋めた3万人が各自手にしていたのも,20年12月にナント市庁舎に初めて翻ったのも,ブレイス(ブルターニュ)の旗だった。

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「都会のひと部屋」で機動隊と対峙するシーン

©Collection Christophel/Alamy Stock Photo

Listening

Elis Regina/Récit de Cassard

「シェルブールの雨傘」でカサールは,すでに「ローラ」で使用されていた楽曲に合わせて,ローラとの過去を語る。その際,パサージュ・ポムレーの無人の回廊を示す旋回ショットが挿入される。エリス・レジーナによる美しいカヴァー。アルバム「Como & Porque」(1969)に収録。

※視聴する際は、音量にご注意ください。

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廣瀬 純|Jun Hirose

龍谷大学経営学部教授。映画批評家・哲学者。高等教育は日本とフランスで受けたが,近年はスペイン語での執筆や講演が活動の中心となりつつある。著書に『シネマの大義』(フィルムアート社,2017年),¿Cómo imponer un límite absoluto al capitalismo?,Tinta Limón,Buenos Aires,2021など多数。

石橋 純|Jun Ishibashi

東京大学大学院総合文化研究科教授。東京外国語大学スペイン語学科卒業後,家電メーカー勤務中にベネズエラに駐在。のちに大学教員に転身。文化人類学・ラテンアメリカ文化研究を専攻。著書に『熱帯の祭りと宴』(柘植書房新社,2002年),『太鼓歌に耳をかせ』(松籟社,2006年)ほか。

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