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関東大震災の被災の実態

1923(大正12)年9月1日,午前11時58分32秒発生。関東大震災をもたらしたマグニチュード7.9の関東地震は,約10万5,000人もの命を奪った。 

明治以降の自然災害を死者・行方不明者の概数でたどると,三陸地震(1896年)約2万2,000人,東北地方太平洋沖地震(東日本大震災,2011年)約1万8,000人※1,濃尾地震(1891年)約7,000人,兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災,1995年)約6,000人※2とつづき,関東大震災の死者は群を抜く。「史上ワースト1」の自然災害といわれる理由である。家屋の倒壊だけでも1万人以上が犠牲となった。

最多の死因となった焼死は,神奈川県約2万5,000人,東京府約6万6,000人。右の地図は東京中心部の火災被害を示す。グレーの領域は,地震発生から5時間後の延焼エリア,ピンクの領域は,3日後に東京全域が鎮火した時点での焼失エリア。赤い丸は死者が発生した場所で,大きなは死者100人以上,小さなはそれ以下を表している。

「前代未聞の大惨事」と武村さんが語る被服廠跡(ひふくしょうあと)は,いまの江戸東京博物館を含む2万坪の空き地。ここに避難した4万人の95%が命を落としている。火災旋風による一瞬の出来事だった。周辺を合わせたこのエリアの犠牲者は4万4,000人あまり。関東大震災の全死者の4割に達する。

この悲劇に象徴されるように,グレーの延焼エリアに死者が集中した。つまり,地震直後に大火災が起こった地域で混乱が増幅し,適切な避難行動をとれずに亡くなった人々が多いことが分かる。

こうした被害実態は,当社小堀研究室(当時)で武村さんらが中心となって研究し,死者・行方不明者や建物の全潰・半潰・焼失の実数を解析。2005年,定説の数を大きく改め,理科年表(国立天文台編)の記述を80年ぶりに書き換えた。

※1警察庁2013年7月10日統計,
※2消防庁2006年5月19日確定に基づく概数。そのほかの概数は,武村雅之『地震と防災』(中公新書,2008年)による

図版:火災の延焼エリアと死者数の分布

火災の延焼エリアと死者数の分布。大きなは死者100人以上の発生場所で,その数を示した。小さなは死者100人以下。
西田幸夫「火災による動的・人的被害」(『関東大震災報告書』第1編,内閣府中央防災会議,2006年)を元に,武村雅之『関東大震災を歩く』(吉川弘文館,2012年)から一部加筆

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