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KAJIMAダイジェスト

SAFE+SAVE 支援と復興の土木・建築

CASE4 地産レンガでつくる学校(ブルキナファソ)

写真:小学校の教室。風が抜け,天井に熱気がこもらないデザインのおかげで,夏でも涼しく学ぶことができる。

小学校の教室。風が抜け,天井に熱気がこもらないデザインのおかげで,夏でも涼しく学ぶことができる。
photo by Siméon Douchoud

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西アフリカの国,ブルキナファソ。首都ワガドゥグーから南へ200km離れた場所に,人口3,000人のガンド村がある。この村の小学校の外観で特徴的なのは大きな屋根である。地元の職人が鉄筋をのこぎりで切断して溶接し,トラスを組み立てて鋼板の屋根を載せた。トラスの下には泥レンガを積んでつくった3つの教室が並び,その間には半屋内の空間がある。鋼板の屋根は教室内や廊下に影をつくり涼しく保つ。トラスは下部の教室と上部の屋根との間に空隙を生み,熱気を逃がす役割を果たしている。このトラス部分をジャングルジムにして遊ぶ子どもたちもいる。

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建築家のディエベド・フランシス・ケレは1965年にこの村で生まれた。村には小学校がなく,両親は7歳のケレを13km離れた街の小学校に留学させた。村で初めての留学生である。13歳で小学校を卒業したケレは大工の見習いとして働き,20歳のときに奨学生としてドイツの木工技術学校へ留学。25歳からは夜間高校に通い,30歳でベルリン工科大学に入学した。

1998年,建築学科の大学生だったケレは,故郷の子どもたちが学ぶ小学校を建てたいと考えた。そこで,学生仲間を集めて非営利団体「ガンド小学校のレンガ」を設立した。多くの人の寄付によって300万円の資金を得たケレは,村に戻って人々と小学校建設について話し合った。

村人たちは当初,ケレが持ち込んだ図面にがっかりしたという。ドイツで学んだケレが村に建てる小学校はかなりモダンなものだろうと誰もが期待したにもかかわらず,そのプランは泥レンガをみんなでつくって積み上げるというものだったからだ。ケレは,地元で調達できる材料を使うことの大切さ,村人が自分たちの手でつくることができる工法の重要さを伝え続けた。自分たちで補修できるような材料と工法でなければ持続可能な学校にならない,と。

熱心な説得の甲斐あって,ほとんどすべての村人が学校づくりに協力した。ヨーロッパから持ち込まれたソーラーパネル以外は,すべて地元で入手可能な材料を使って村人たちがつくりあげた。女性はプロジェクトに必要な水を運び,両手にバケツを下げて7km以上歩くこともあった。男性は土を掘り,ふるいにかけてセメントと水を混ぜて泥レンガをつくった。子どもたちは石を運び,時には自分の体重よりも重い石を運んだ。役場は強度の高い泥レンガの作り方を開発して村人たちに伝えた。こうしてできあがった小学校は昼間も涼しく,雨や風にも強かった。村人たちはこのとき初めてケレのデザインに納得したという。

写真:鋼板の屋根とレンガづくりの教室との間に,トラス構造の空隙が見える。これによって熱気を外に逃がしている。大きな屋根は教室の周囲にも日陰をつくり出す

鋼板の屋根とレンガづくりの教室との間に,トラス構造の空隙が見える。これによって熱気を外に逃がしている。大きな屋根は教室の周囲にも日陰をつくり出す

写真:校内には農場があり,家畜も飼っている。生徒たちが栄養を補給するためだけでなく,野菜の栽培や家畜の世話を通じて子どもたちの責任感を醸成する効果がある。ほかの農家や市場との交流にも一役買っている

校内には農場があり,家畜も飼っている。生徒たちが栄養を補給するためだけでなく,野菜の栽培や家畜の世話を通じて子どもたちの責任感を醸成する効果がある。ほかの農家や市場との交流にも一役買っている

写真:ケレは、地元の職人と住人が協力することでつくりあげることのできる学校を設計した。

写真:ケレは、地元の職人と住人が協力することでつくりあげることのできる学校を設計した。

写真:ケレは、地元の職人と住人が協力することでつくりあげることのできる学校を設計した。

ケレは、地元の職人と住人が協力することでつくりあげることのできる学校を設計した。屋根下のトラスは地元の職人が鉄筋をのこぎりで切断して溶接しながらつくった

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写真:新校舎での授業風景。ガンド小学校が国際的な知名度を上げた結果,寄付金が集まって建設することができた。新しい校舎はボールト天井で,ハイサイドライトによって室内に光を採り込んでいる

新校舎での授業風景。ガンド小学校が国際的な知名度を上げた結果,寄付金が集まって建設することができた。新しい校舎はボールト天井で,ハイサイドライトによって室内に光を採り込んでいる

300万円という限られた予算で小学校をつくるため,多くの村人に手伝ってもらうことになった。しかし,ケレは単に予算の問題だけで手伝いをお願いしたわけではない。自分の出身村に一つの学校ができればいいと考えていたわけではなかったのである。学校づくりを通じて村人たちが建設の技術を習得し,他の学校建設に携われるようにすることが目的であり,それによって持続可能な教育を西アフリカへと広げていくことができると考えていたのである。「お腹を空かせた人に魚を与えるのではなく,魚の獲り方を教えるべきだ」ということわざどおり,ケレは学校づくりを学ぶために学校をつくったともいえよう。

写真:手前が新校舎で奥が最初の校舎。より多くの子どもが学校へ通えるようになった。ほかに教員住宅なども建てられている

手前が新校舎で奥が最初の校舎。より多くの子どもが学校へ通えるようになった。ほかに教員住宅なども建てられている

「伝統的なアフリカの集落では,各個人がコミュニティ全体の生活のために大切な役割を担っている。もしコミュニティを出て別の社会で生活しようとするなら,その人がいなくなった分だけコミュニティに何かを補填しなければならない。僕はベルリンに出て学んだことを活かしてコミュニティに学校をつくり,学校づくりを通じて僕が学んだことをコミュニティに伝えたんだ」

こう語るケレは,学校建設に関わるすべての図面を村に残すとともに,CADデータをウェブにアップし,誰でも閲覧できるようにしている。材料も工法も地元で入手可能なものだけで設計された図面である。当然,周辺のいくつかの村でも同様の学校が建てられるようになった。役場は新たな小学校を建設する際,ガンド小学校の建設に携わった人たちを雇用して指導者とした。こうして学校建設に携わった人たちは,その技術を転用して自宅を補修したり,他の公共施設を建設したりしている。

2004年,39歳になったケレはベルリン工科大学を卒業し,そのまま建築学科の教員になった。この年,ガンド小学校のプロジェクトがイスラム世界の優れた建築物に贈られるアガ・カーン建築賞を受賞している。翌年,ケレはベルリンに自身の設計事務所を設立した。現在は所員9人とともに,アフリカ,中東,中国などで建築の実務に携わっている。

山崎 亮 やまざき・りょう
ランドスケープ・デザイナー。studio-L代表。京都造形芸術大学教授。1973年生まれ。Architecture for Humanity Tokyo / Kyoto設立準備会に参画し,復興のデザインの研究を行う。著書に『震災のためにデザインは何が可能か』(NTT出版)など。Architecture for Humanityはサンフランシスコを拠点に世界各地で復興や自立支援の建設活動を主導する非営利団体。

参考資料

  • Design Like You Give a Damn: Architectural Responses to Humanitarian Crises, Edited by Architecture for Humanity, Thames & Hudson.,Ltd. 2006
  • Small Scale, Big Change: New Architectures of Social Engagement, Edited by Libby Hruska, The Museun of Modern Art, New York. 2010
  • ガンド村建設プロジェクトウェブサイト : http://www.fuergando.de

(写真提供:特記なきかぎり ©Diébédo Francis Kéré Architect Photo by Erik-Jan Ouwerkerk)

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