世界遺産にふさわしい工事
1964(昭和39)年,「昭和の大修理」を終えて現れた白鷺城の姿は,まばゆいほどに白かったという。この年の入城者は173万人。いまだに破られていない記録であり,人々がいかに姫路城を待ち望んでいたかを物語る数字でもある。
「子どもだった私たちは素屋根の姿を“お城”だと思い込んでいました。姫路市民にとっては一時代の記憶なのです。平成の素屋根もそれをめざしています」。市の姫路城管理事務所の村田和宏所長は,大天守修理担当の参事としてプロジェクトを総括している。事業のシンボルマークは,城を覆う素屋根がデザインされている。
平成の保存修理工事における最大のコンセプトは「常時公開」。この機会でないと見られない城の姿を,素屋根を利用し広く公開しようとしている。エレベータによって足の不自由な観光客も登城でき,それは「世界遺産にふさわしい修理」をスローガンとした市の姿勢の表れでもある。
「作業現場がつねに公開されているわけですから,鹿島さんはじめ工事関係者には異例のご苦労をおかけします。もちろん安全は大前提ですが,こうした企画は私たち市の担当者が建設工事の素人だからこそ発案できたのでしょう。行政,産業,そして技術者と,みなさんの発想の融合が大切です」
見学施設の団体予約は,すでに6月上旬まで埋まったという。
文化財保護の次世代モデル
史跡修理の現場を公開することについて,文化財建造物保存技術協会の加藤修治工事主任は,時代の変化を感じ取っている。「お城やお寺を訪れる観光客は絶えませんが,その工事となると何か遠い存在のように思われてきたのでは」。文化財保護法では,保護とともに“活用”が並んでうたわれている。「これから文化財修理の現場は,一般社会との距離が縮まっていくように思われます」
市の城郭研究室の上田室長は,これをわが国の伝統を知らせるチャンスととらえている。「文化財を通じて在来工法の良さが広く伝わっていけば,技術への興味が高まり,文化の伝承につながっていくことでしょう」
関係者が口をそろえるのは,この工事が「今後の文化財保護のモデル」になること。保護と活用,つまりメンテナンスと観光を一体に考える時代が訪れようとしている。建設工事の進歩とは,新しい技術や材料だけでなく,こうした考えかたの展開によって,ひとつの将来像が見えてくるのかもしれない。
棟梁の勘から科学の検証へ
木造が多いわが国の文化財建造物と,鉄やコンクリートを大規模に扱うゼネコンは,馴染みが少ないと思われがち。しかし,実際は両者の接点となる事例が全国に展開している。「阪神・淡路大震災(1995年)がターニングポイント」と語るのは当社建築設計本部の小川浩マネージャー。木造建築の構造設計のエキスパートである。
「伝統的な木造建築は,棟梁たちの優れた技と“勘”によって築かれてきました。その耐震安全性に科学的な検証が求められるようになった。複雑な構造の解析や実験は私たちの得意分野です」
当社はこれまで神社仏閣などの保存・修復工事を多く手掛けてきた。昨夏には天妙国寺本堂の耐震補強をわずか3ヵ月で実施している。ポイントは耐震補強材の鉄骨柱だった。
本堂の両側に沿って屋外に12本の鉄骨の掘立て柱を設置。工事期間中に建物を使用できないのが耐震補強の最大のネックだったが,これなら使いながら施工できる。「斜め材による補強と違って外観も損なわず,建替え費用に比べてコストは6分の1。お客さまにとても喜ばれました」
個性に応じた解析方法
天妙国寺本堂における耐震補強の設計では,木造の既存部と補強材の鉄骨柱を一体で解析。木の柱・梁と土壁を耐震要素としてとらえ,それらの接合部はバネに置き換えた。もともと柱・梁が少なく,壁の配置のバランスも良くなかったが,地震水平力の9割を鉄骨柱が受け持つことで,保有耐力は約5倍も向上した。
鉄骨造や鉄筋コンクリート造は,均質な構造だから解析の指標がつくれる。伝統的な木造ではほぞなど接合部のつくりに時代や地域,職人ごとの個性があり,それに応じて最適な解析方法を導き出さなければならない。「まるで生き物を扱っているかのようです。新築一辺倒から,既存建築物の保存・活用に注目が集まるいま,私たちが学ぶべきことは多いはずです」
文化財建造物に関する工事をつうじて,当社はさらなる技術力の向上をめざしている。
伝統ある文化財建造物を守り,受け継ぐために,当社はその建築技術の開発にも積極的に取り組んでいる。
最近の主な解析および施工事例を紹介する。