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鹿島ディアーズに想いを寄せて

写真:鹿島ディアーズオーナー 鹿島昭一 最高相談役

鹿島ディアーズオーナー
鹿島昭一 最高相談役

鹿島ディアーズは,1989年に我が社の創業150年記念事業の一環として創部しました。初代ヘッドコーチに金氏眞氏を迎え,1990年には当時の関東社会人リーグに加盟。3部リーグからのスタートでした。創部3年目で1部リーグへ昇格を果たし,1992年からは1部リーグでの挑戦でした。本場米国のNFLチーム「タンパベイ・バッカニアーズ」の元ジェネラル・マネージャー,フィリップ・クルーガー氏をコーチに招聘するなどチームを強化し,1995年にはパールボウルで初優勝をおさめました。その後,1997年に社会人決勝戦・東京スーパーボウルで勝利し初の社会人王座に就き,続くライスボウルでも完勝,創部から9年目にして日本一という栄冠に輝いたのです。

2001年に森ヘッドコーチを迎えてからは通算5回のパールボウル優勝を果たし,2009年にはライスボウルに勝利して2度目の日本一のタイトルを獲得しました。また,チアリーダー部は創部以来,ディアーズの試合を観客と一体となって応援し続け,1994年にチームワーク賞を初受賞し,最優秀チームに贈られるチアリーダーズ・オブ・ザ・イヤーを通算4回も受賞しています。

これまでの実績は選手・コーチの日頃の練習や研究の成果,そしてチームを支えてきたチアリーダー部・応援部をはじめ所属部署の理解と協力,並びに社員と家族の熱心な応援の賜物です。私も優勝の場面を何度か目の当たりにしましたが,まさに鹿島グループが一体となった瞬間であり,企業スポーツ本来の趣旨を達成できたと感じています。また,鹿島ディアーズの特徴として,仕事との両立が挙げられます。選手である以前に,まず社員として業務を遂行することが求められてきました。これを理解した選手の姿勢が社内の共感を生み,ディアーズの存在価値を築き上げてきたと思います。

しかしながら25年の歳月のなかで,当社を取り巻く環境は大きく変化してきました。本年をもって活動を停止するという決断をしなければならなかったことは誠に残念に思います。今後は新たなスポンサーを迎えてクラブチーム化されますが,幸いにもディアーズという名称は引き継がれますので,よき伝統を継承し,さらに優れたチームに成長することを期待しています。最後に,これまで鹿島ディアーズに関わってきた皆さんの労をねぎらうと共に新たなチームでの活躍を祈念いたします。

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写真:鹿島ディアーズ顧問 中村満義 社長

鹿島ディアーズ顧問
中村満義 社長

部長やゼネラルマネージャーとしてもチームに関わってきた私にとって,鹿島ディアーズとしてのラストゲームで,スタンドからの声援をうけ,最後の一瞬まで勝利を諦めず,チームが一丸となって戦い抜く姿は,万感胸に迫るものでした。

仕事とアメリカンフットボールを両立させることは,容易ではありません。そのなかで,2度の日本一という輝かしい実績は,選手をはじめとするチーム関係者の不断の努力,そして何より,応援・支援をいただいた方々の支えがあったからこそです。心から敬意を表します。

昨年,活動停止を伝えなくてはならなかったことは苦渋の決断であり,断腸の思いでしたが,今後,鹿島ディアーズに関わった全ての人が,チームとしての誇りを礎として,大きく羽ばたいてくれることを願っています。

写真:鹿島ディアーズ部長 竹田 優 専務 総務・人事本部長

鹿島ディアーズ部長
竹田 優 専務
総務・人事本部長

ディアーズの部長を6シーズン,総務・人事本部長の職責として入社前から選手たちと関わってきました。彼らが“文武両道の企業戦士”たるべきことは大前提。採用経緯では森ヘッドコーチと一喜一憂したことが,昨日のことのようです。こうして,選手たちが職場でも試合でも立派に活躍している姿を間近で見続けられたことは,“役得”でした。

試合を終えての夜勤,資格試験会場からの駆けつけ出場。怪我での欠場は何よりも悔しかったはず。それでもチームのために淡々とスタッフ業務をこなす姿に,真の強さを感じたものです。大震災の時には物資の調達・搬送に走り回ってくれました。彼らは企業スポーツが目指す会社結束の役割を全うし,どこに出しても恥ずかしくないチームへと成長してくれました。ありがとう,ディアーズ。引き続き応援していきます。

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