1960年に製油所を建設して以来,当社は,ドック・工場・オフィス・集合住宅など,
シンガポールで施設整備の一翼を担ってきた。
この国で長く様々なプロジェクトを担当してきた関係者のコメントから,
日本の建設技術を活かして地域とともに歩んできた当社の半世紀をたどる。
海外建設と建国のあけぼの
第二次世界大戦後しばらく続いた植民地支配が終了し,1965年にマレーシアから独立したシンガポールは,リー・クアンユー(李光耀)首相のもとで近代化・工業化に向けて,外国企業誘致のため積極的に投資環境の整備を進めてきた。
当社は,まだイギリス自治領だった1960年に,当時シンガポール唯一の製油所となる丸善東洋オイル・シンガポール製油所のプラント建設【1】で設計監理と技術指導を担当。日本からの戦後初めての技術導入で,1962年に無事竣工した。その後,海上貿易の中継地という好立地条件から,大型船の修理需要が拡大し,修理ドックの建設が相次いだ。1964年,日系企業とシンガポール政府が共同出資したジュロン造船所の第1ドック【2】に始まり,同第2ドック【3】,1975年の現地資本ケッペル造船所トアスドック【13】に至るまで,当社は大規模ドックを次々に受注していった。
互いにリスペクトされる技術者
1970年代中盤からは工業プラントなどの立地に加え,次第に都市部の基盤整備も加速する。当時シンガポールで土木プロジェクトを担当した田嶋弘志執行役員(アルジェリア東西高速道路建設JV総合事務所所長)は,「初めての海外工事は自分が設計したシンガポールのドック建設で,ドック完成後に上司からほかの案件担当を打診され,意気に感じて残ったのが始まり」と振り返る。都市部の発展を支えるウルパンダン汚水処理場増設【18】や,シンガポールで最初の地下鉄となるMRT107工区【52】などの難しい工事を相次ぎ担当した。
日本人の施工管理者1人に対し,工種ごとに何人ものシンガポール人エンジニアがついた。彼らは,発注者とのコーディネイト補助をする傍ら,英語もままならない現地作業員との橋渡し役となってくれた。「英語が片言でも彼らは日本の技術者としてリスペクトしてくれ,私も仕事熱心な彼らを大切にし,お互いに認め合った」と田嶋執行役員は語る。「海外工事はその国ごとに文化・風習が違い,マニュアル通りにはいかない。それだけに担当する人々の能力を引き出して,一緒になって物事を解決に導き,プロジェクトをまとめていくのが醍醐味である」。
基盤整備から超高層ビル建設へ
近代化・工業化の整備が一巡する1980年,シンガポール政府は更なる発展に向けて“日本に学べ”キャンペーンを開始。日本の職業倫理,すなわち会社を愛し,仕事を愛する精神が強調され,東南アジアの金融・貿易センターを目指して積極的な設備投資が進められた。
当社は,土木工事でドック,地下鉄などを数多く施工していた一方,建築工事でも,当社が初めて現地資本と共同出資して開発したポンティアック・ホテル(現リージェント・ホテル)【20,21】,海外の当社特命受注第1号のパークウェイ・パレードビル【28】を次々と着工した。1986年にはアジアで最も高いOUBセンタービル【36】を担当するなど,大規模工事は増加の一途をたどった。
地域に根付く建設業のかたち
1980年代に日本の製造業が積極的に海外進出すると,生産施設の建設需要が高まった。そこで1988年に設立されたのが現地法人カジマ・オーバーシーズ・アジア(KOA)である。設計・施工の工事に対応する体制づくりは,現在まで受け継がれている。1981年からシンガポールで建築工事を担当している篠田正信KOA副社長は,まさにこの国の都市づくりとともに歩んできた。「当時,土木・建築合わせて鹿島社員が約100名いたが,並行して300名以上を現地採用していた」と,シンガポールでの当社実績の裏付けを語る。「1980年代後半の建設不況時も,現地法人化することで地域に根差したゼネコンとして地元からの理解を深めるとともに,相次ぎ出件する建設工事の入札にも迅速に対応できた」という。
裏付けのもう一つは,リスクヘッジ対応としての契約業務の重視である。建築部門ローカル社員のトップ,ホー・ソン・ファット統括部長は,ローカル社員として長く契約文書を担当してきた。契約文書マネジメントのエキスパートとして「発注者との請負契約からサブコンへの発注に至るまで,きめ細かく見ている。IT系のシーゲート工場【79】のように設計・施工のデザインビルドでは特に重要となる」。鹿島の技術とノウハウをシンガポールでどう活かすのか。「ローカル社員の採用と教育を続けることで,現地に精通し高度な技術を持つ人材が確保されて,結果的にセントーサのような大規模工事を受注することができた」と振り返る。
「建設工事の発注形態が,入札から設計・施工の技術提案にシフトしており,これをチャンスと受け止めたい。そのためにも今後は,ローカル社員を日本に派遣・研修するなど,さらなる人材育成とモチベーション強化が求められる」と篠田KOA副社長はこれからの可能性を強調する。「シンガポールでは,国務大臣クラスが40代ということもある。建設現場の所長が40代でできないわけがない。現場管理のみならずマーケティングその他幅広い視野で若い優秀な人材を育成して,さらに力強いKOAを築いていきたい」。