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KAJIMAダイジェスト

SAFE+SAVE 支援と復興の土木・建築

CASE13 コミュニティのつながりによって甦った公園(アメリカ)

写真:ピクニックエリアのパビリオン。再整備のシンボルとして最初につくられた。休憩所や近隣の小中学校の野外授業にも利用される

ピクニックエリアのパビリオン。再整備のシンボルとして最初につくられた。休憩所や近隣の小中学校の野外授業にも利用される

ペリー・レイクス・パークは, 2001年から2005年に渡って段階的にリニューアルされたアラバマ州の公園である。設計を担当したのはルーラルスタジオ。アメリカにおけるソーシャルデザインのパイオニア的な存在だ。スタジオに所属する大学院生が, 162haの園内にパビリオン, トイレ, 歩道橋, 鳥類観察塔などを毎年ひとつずつつくることで, ゆっくりとリニューアルされていった。4つの池と多様な広葉樹, そして鳥類観察塔からなり, いまやアメリカ有数の自然研究施設となっている。

この公園は1935年にアラバマ州でも特に貧しいペリー地区に創設された。発端はフランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策。巨大なダム建設が有名だが, 一方では「市民保全部隊(Civilian Conservation Corps)」という若年失業者からなる部隊を結成し, 森林の伐採や国立公園の維持管理作業を通じた職業訓練を行っていた。この部隊がつくったのがペリー・レイクス・パークであり, 地区で唯一の公園だった。

ところが1970年に園内の池で利用者が溺れる事故が発生。管理責任が問われ, 1974年には公園が閉鎖されてしまう。以来25年近く公園は放置されたままだったが, 2000年ごろから公園の再整備を望む声が高まった。地元自治体, 環境保護団体, 鳥類愛護団体, 地元政治家などが再整備に向けたプロジェクトを立ち上げ, 地元の大学に所属するルーラルスタジオに園内の拠点施設の設計を依頼した。

写真:園内の利用範囲を広げた歩道橋。近くで廃墟となっていた小屋の壁を,この橋の屋根材に利用した

園内の利用範囲を広げた歩道橋。近くで廃墟となっていた小屋の壁を,この橋の屋根材に利用した

ルーラルスタジオはアラバマ州のオーバーン大学に籍を置くサミュエル・モクビー教授とデニス・ルース教授によって1993年に設立された。建築学科の大学院生が所属し, 基本設計のみならず, 実施設計や施工にも携わっている。その特徴は, 建築を設計するにあたって徹底的に地域コミュニティに入り込み, 話合いのなかで設計の方針を決めるということだ。実際に地域に住み込む学生もいる。住民と学生が長い時間をかけて話し合うことによって, 地域が抱えている本質的な課題を見つけ出したり, コミュニティ内の人間関係を理解したりする。

モクビーは, コミュニティを理解することが設計を進めるうえでとても大切だと考えている。したがって, スタジオ自体も大学構内ではなく, 貧困層が多く住むヘイル地区にある。彼らの建築を構成する要素は, 再利用されたもの, 寄付されたもの, リサイクル素材などが多く, これがルーラルスタジオの建築を特徴づけているといえよう。これまでに80以上のプロジェクトを手がけてきた。

2001年にペリー・レイクス・パークの再整備プロジェクトについて相談されたモクビーは, すぐに公園計画を策定し, 2002年には園内のピクニックエリアにパビリオンを設計した。このプロジェクトには大学院生4人が参加し, 修了制作として建設に取り組んだ。工費は25,000ドルあまり。材料となったスギ材は地元住民による寄付であり, 学生自らチェーンソーを持ってスギ林まで伐採しに行った。そのとき発生した木屑は, 蚊の発生を抑えるためにパビリオン周辺に敷き詰めてある。屋根はアルミ材で仕上げてあり, 暗くなりがちな林のパビリオンに光を取り入れるよう工夫した。車椅子でもアクセスできるようになっており, 公園の休憩所としてだけでなく近隣の小中学校による野外授業のための教室としても使われている。

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写真:ピクニックエリアのパビリオンの建設プロセス。無加工で長持ちし,風化する過程が楽しめるスギ材を使いたかった学生たちは,地元からの山の一部の寄付が決まると,チェーンソーを手にトラックで山へ向かったという

ピクニックエリアのパビリオンの建設プロセス。無加工で長持ちし,風化する過程が楽しめるスギ材を使いたかった学生たちは,地元からの山の一部の寄付が決まると,チェーンソーを手にトラックで山へ向かったという

2003年には, 学生が園内に3つのトイレをデザインした。たんに既製品を持ち込むのではなく, 地元の企業が寄付してくれたスギ材を使った特徴的なトイレをつくり, それらをデッキでパビリオンとつなげることで, 車椅子でもアクセスできるようになっている。

翌年には利用されていなかった公園東部へのアクセスを確保するために歩道橋が設けられた。形の異なる三角形を組み合わせたトラス構造の橋で, 屋根材には園内で廃墟化していた小屋の壁が使われている。

写真:特徴的なトイレ。空が見える筒状の屋根,樹木を見つめるための横長の壁,地平線を眺める半地下タイプの3種類。トイレは,「利用者が誇りに思えるような設備を持つ施設にしたい」という想いを象徴する,この公園の「顔」となった

特徴的なトイレ。空が見える筒状の屋根,樹木を見つめるための横長の壁,地平線を眺める半地下タイプの3種類。トイレは,「利用者が誇りに思えるような設備を持つ施設にしたい」という想いを象徴する,この公園の「顔」となった

つづいて2005年には, 歩道橋の先に鳥類観察塔がつくられた。近くの森林に防火目的として設置されていた塔を約10ドルで購入し, 学生がそれを解体し, 汚れを落とし, 亜鉛メッキ加工を施した上で公園に移設した。さらに木製階段, 手すり, 展望台を設置し, 深い森を上から観察できるタワーが完成した。このプロジェクトに参加した大学院生4人は高所作業に関する訓練を受けたという。

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写真:鳥類観察塔としてはアメリカで一番の高さとなった30mのタワー

写真:鳥類観察塔としてはアメリカで一番の高さとなった30mのタワー

鳥類観察塔としてはアメリカで一番の高さとなった30mのタワー

一連の拠点整備により, ペリー・レイクス・パークは多くの人に利用される空間として甦った。地元のコミュニティに若者たちが入り込み, 話を聞き, 人間関係を読み取るなかで, 材料を寄付してくれる人と出会い, 再利用できる材料のありかを教えてもらい, 学生の作業を手伝ってくれる職人を紹介してもらう。その方法は, コミュニティのつながりを活かした建築の設計, 施工であり, その結果として生まれた材料の使い方であり, お金の使い方であり, 建築の形態なのである。「発展途上地域だと思われていたペリー地区にこの公園が誕生したことを誇りに思う」と市長は語っている。

サミュエル・モクビーは2001年に亡くなったが, ルーラルスタジオは彼の意思を引き継いで現在もさまざまなプロジェクトに携わっている。

山崎 亮 やまざき・りょう
ランドスケープ・デザイナー。studio-L代表。京都造形芸術大学教授。1973年生まれ。
Architecture for Humanity Tokyo / Kyoto設立準備会に参画し,復興のデザインの研究を行う。
著書に『コミュニティデザイン』(学芸出版社),『震災のためにデザインは何が可能か』(NTT出版)など。
Architecture for Humanityはサンフランシスコを拠点に世界各地で復興や自立支援の建設活動を主導する非営利団体。

参考資料

  • Samuel Mockbee, an Architecture of Decency Andrea Oppenheimer Dean,Timothy Hursley:Rural Studio, Princeton Architectural Press, 2002.
  • Rural Studio After Samuel Mockbee, Andrea Oppenheimer Dean, TimothyHursley: Proceed and Be Bold, Princeton Architectural Press, 2005.

参考URL

写真提供: © Timothy Hursley、© Rural Studio, Auburn University

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