国民1人当たりのGDP(国内総生産)はアジア一で,2011年の予測値はアメリカを超えた。
豊かになったこの国で当社がこれまで担当したプロジェクトの件数は,
土木・建築・開発など大小合わせて優に100件を超える。
シンガポールの街のいたるところに佇む構造物や建物たち─。どのように溶け込んでいるのか,訪ね歩いた。
シェントン・ウェイを行く
シンガポール中心部シェントン・ウェイ地区の南側,シンガポール都市再開発庁(URA)のオフィスなどからなる複合施設のURA本社ビル(1998年竣工)【94】を訪ねた。この施設にある「シンガポール・シティ・ギャラリー」は,市民や観光客向けに,著しい成長を遂げたシンガポールの現在までの都市発展の歴史を,ジオラマやビデオ,写真などで紹介する公共施設だ。シンガポール中心市街地のジオラマ模型がフロアいっぱいに展示されている。竣工・計画・建設中の段階ごとに異なる仕上げで,これからシンガポールがどのように発展していくかを見て取ることができる。まちづくりの啓蒙に情熱をかける都市国家の大切な施設である。
少し北へ行くと,金融・生保・証券などのグローバル企業が軒を並べるシェントン・ウェイ地区の中心部は,まさにアジアの金融センターである。証券取引所のSGXセンター(2001年竣工)【104】とともにこの地区の新たなランドマークとなったのが,71ロビンソンロード(2009年竣工)【131,132】。旧郵便局跡地の再開発で,KOAが米系投資銀行と共同で2006年に土地を取得して事業化。開発を担当した田中大輔KOAプロジェクトディレクターは,「エネルギー,水,緑などの環境に配慮した最新鋭のオフィスビルです。建設庁(BCA)からグリーンマーク・ゴールド賞を受賞しました」と語る。複層ガラスのカーテンウォールと日除けフィンの外観が,涼しげな都市景観をつくりだしていた。
MRT南北線と東西線の乗換駅,クラシックなデザインのラッフルズ・プレイス駅へ向かう。市民が憩うポケットパーク,ラッフルズ・プレイスからひときわ目を引くのが63階建て,高さ280mの超高層オフィスビル,ワン・ラッフルズ・プレイス(旧OUBセンター,1986年竣工)だ。1819年,イギリス東インド会社書記のラッフルズ卿が上陸したシンガポール発祥の地に,今なおシンガポールのランドマークとしてそびえている。
シンガポールの商業・観光を支える
ラッフルズ卿の肖像が佇むシンガポール川のほとり,地下鉄MRTのラッフルズ・プレイス駅とシティ・ホール駅をつなぐ107工区(1989年竣工)は当社が施工した。トンネル開削部の掘削工事が行われたのは,1860年代建造のカベナ橋のすぐ脇。フラトン・ホテルやマーライオンの広場も程近い,シンガポール観光の中心地である。当時は難工事だったMRTも,現在は快適な地下鉄網が広がり,市民の足として生活を支えている。
シンガポールの新都心マリーナセンター地区で,1989年にKOAと現地パートナーとの共同事業で開発を行ったミレニアシンガポール【76,77】。ホテル2棟,オフィスビル2棟,ショッピングセンター総延床面積約30万m2の大規模複合開発は,マリーナセンター地区のランドマークであり,その後のマリーナベイ地区の発展へつながっていく。
政府が金融・貿易とともに力を入れている観光施策。シンガポールの南に浮かぶセントーサ島のリゾート・ワールド・セントーサ(2010年竣工)【135】は,カジノやユニバーサルスタジオを核とした最新施設である。当社は,開発初期のモノレール・セントーサエクスプレス【122】の建設から工事を担当し,その後ホテル3棟とカジノ,劇場など総延床面積32万m2 を施工した。家族で楽しめる総合レジャー・スポットとして,平日も多くの国内外の観光客で賑わう。
シンガポールの西部,ジュロン地区へ向かうアヤ・ラジャ高速道路沿いに広がるクレメンティ新興住宅地の一角,ジャラン・マス・クニンに,ドック工事が相次いだ時代から続く当社の社員寮がある。RC造2階建てでバス・トイレ付の個室5室と共用の居間,食堂などからなるこの施設の佇まいには,シンガポールで建設を担当した社員たちの歴史が今も息づいている。