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KAJIMAダイジェスト

復旧を支えた職員たち

施工と営業,事務等,様々な職種の職員が緊急復旧に携わった。
各々の任務を全うした5人に想いを聞いた。

写真:復旧を支えた職員たち

写真:上田哲也

上田哲也
武蔵水路中流部改築工事事務所
副所長

これほどの緊急対応は初めての経験でしたが,初動から参加して無事,というか見事に「1週間で荒締切を完成」させたことは自身の大きな糧となりました。

夜勤責任者を任されたものの,普段の仕切りとは全く異なり,設計図・施工計画・現場事務所さえ無く,「普通にやったら終わらない」。ただ絶対とされた完成期限のプレッシャーが,緊張感・使命感と共に3日間不眠不休の限界を超えた体を動かしたと思います。その原動力は“経験に基づく直感”だけが頼りでした。その時その場で“最善”を模索しながら現場を指揮し,次々に襲ってくるトラブルに臨機応変に対処しながら「現場の変貌」をひたすら目指していました。

この経験でこれまでとは異なる“鹿島魂”を身につけた気がします。スマートと言うよりむしろ泥臭いガテンな鹿島。でもそれは決して力任せではなく,力強く現場を引っ張り,発注者はもちろん協力会社からも信頼される現場マンをこれからも目指します。

改ページ

写真:天野栄二

天野栄二
関東支店土木部生産計画グループ
課長代理

着任当初は主に資材調達を担当し,緊急復旧用備蓄材を現場に搬送する重責を担い,現場が手待ちにならない様,土地勘のない中,点在するストックヤードをグーグルナビを頼りに奔走しました。手配した作業員だけでは手が足りず荷積みを手伝ったり,疲労のせいか帰路の高速道路を反対方面に乗ったりと,皆が現場で頑張っている陰でドタバタ劇を演じていました。

序盤は朝夕現場の進捗を確認する以外,ひたすら車で移動,踏査・段取りという孤独感を味わっておりましたが,一通りの資材搬入が済んだ工事終盤は現場での施工管理に携わり,工期内完了の喜びを仲間と共有することが出来ました。

災害時の緊急用資材備蓄場所として整備された「河川防災ステーション」は,平時は一般開放されており,備蓄材は覆土されているということも知らず,現地に着いて備蓄材が見当たらず愕然とし,案内表示を見てあわてて重機を段取りしたという恥ずべき経験は,今後の教訓となりました。

写真:亀田卓志

亀田卓志
武蔵水路中流部改築工事事務所
工事担当

堤防決壊の翌日に協力会社作業員20名と現場に向かい,そのまま約2週間夜勤担当として従事しました。今回の現場で最も印象的だったのは,他社と向かい合って全く同じ作業を進めるという構図でした。相手に負けたくないという気持ちから,貪欲に工事を進めなければという雰囲気が現場全体にありました。

我々の方が先に工事を終え安堵していると,相手の現場監督が疲れ切った表情で現場を指揮していました。その人と自分が重なって見えました。彼も何かを犠牲にして,職務を全うしていたのだと気づきました。競争意識の下,復興の事よりも相手に勝つということが第一になっていた自分を恥じました。

完成した堤防の上から町を望むと、現場に乗り込んだ時と変わらず,荒れ果てた風景が広がっていました。我々が作った堤防は復興の第一歩に過ぎず,住民の方々の苦労はこれからも続くのだと思うと胸が苦しくなりました。

改ページ

写真:金井孝之

金井孝之
関東支店土木部営業グループ
次長

鬼怒川の堤防が決壊した9月10日の14時過ぎから日本建設業連合会関東支部のリエゾンとして,関東地方整備局の災害対策室で対応にあたりました。

災害対策室では,現地情報の収集や検討が開始されていた復旧方法と復旧に必要な資機材等の確認,日建連への連絡・報告を中心に行いました。災害発生の約2週間前,当社の震災訓練において,関東地方整備局へリエゾンを派遣する訓練を実施していたこともあり,迅速な対応ができました。

今回の対応を通じて,災害発生時に道路啓開や応急復旧作業等,迅速な対応が求められる我々建設業では,社員一人ひとりがあらゆる災害をイメージして,その時どのように行動し,何をしなければならないのか,何を備えなければならないかを日頃から考えることの重要性を改めて強く感じました。有事の際の迅速な行動力と実行力は,今後も鹿島に求められ続けるものではないでしょうか。

写真:森山雄一郎

森山雄一郎
関東支店つくば事務所
事務課長

鬼怒川が決壊した翌日の9月11日早朝,茨城地区の野本健課長と共に決壊現場へ向かいましたが,被災規模は予想以上であり,また道路規制情報も錯綜していたことから,通常なら30分で到着するところを4時間ほど要しました。常総市内は停電・断水していたため,現地到着後,発電機を動力とした仮設ハウスにパソコンやモバイルルーター等を搬入し,速やかに仮設事務所を立ち上げ,またポリタンクを使ってつくば市内から水を集めるなどの環境整備を行いました。苦心したのは応援社員用のホテル手配でした。発災後は,近隣の多くの地区が水没し,町の機能が停止していたこともあり,殆どのホテルが早々に満室となっていたためです。また,決算業務が並行する“怒涛”の2週間は,支店の支援により,茨城地区のみならず,埼玉地区からも多くの事務系社員の応援をいただき“出来ることは全てやろう”との思いで,手当たり次第思いつくまま,手分けして対応しました。今回の緊急対応ほど事務系社員の連帯の強さを感じたことはありませんでした。

写真:復旧を支えた職員たち

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