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土木が創った文化「備蓄」~エネルギー戦略の一翼担って~

写真:久慈国家石油備蓄基地。水封式地下岩盤貯蔵による石油備蓄基地である。新幹線の約4倍の断面積(幅18m,高さ22m,約330m2)の大空洞10本に,175万klの石油を備蓄できる

久慈国家石油備蓄基地。水封式地下岩盤貯蔵による石油備蓄基地である。
新幹線の約4倍の断面積(幅18m,高さ22m,約330m2)の大空洞10本に,175万klの石油を備蓄できる

下舘洋一さんは岩手県久慈市で,月刊エリアタウン誌『ダ・なす』を発行している。タイトルは「そうですね」という同意を表す方言「んだなす」からきている。5月で78号を数えた。

久慈市生まれ。祖父の下舘青湖(市太郎)さんは,当社が建設に当たった久慈線(現八戸線)開通時の町の様子や人物紹介を盛り込んだ『九戸郡銘鑑』を刊行し,後に新聞記者をしていた父の哲二郎さんが復刻版を出した。そして下舘さんもまた郷土久慈の姿を見続けてきた。

久慈の町に一つの刺激を与えたのが,1993年に完成した久慈国家石油備蓄基地だった。「久慈は琥珀で知られる程度で,目立った産業のある町でもありません。備蓄基地建設は地域経済に効果を及ぼす一方で,町が日本のエネルギー戦略の一翼を担っている,との思いもありました」と下舘さんはいう。

下舘洋一さんの写真

下舘洋一さん

久慈市侍浜に建設された久慈国家石油備蓄基地は,1994年2月に約167万klの石油備蓄を完了した。備蓄容量175万kl。水封式地下岩盤貯蔵による石油備蓄基地である。建設を当社JVが担当。強固な岩盤の中に長さ540m,新幹線トンネルの約4倍の断面積の大空洞を10本掘り,東京ドームの約1.4倍の原油を貯蔵する。連絡用や作業トンネルなどを加えると,トンネル総延長は約14kmに及んだ。

1987年2月の着工以前の計画検討段階から完成まで工事に携わったのが吉田剛寿さんである。「通常,トンネルを掘るには地下水を抜きながら掘削する。ところがこのトンネルは,地下水位が下がらないよう上部から水を足しながら掘削したのです」。

水封式地下岩盤貯蔵方式は,周辺の地下水圧によって漏油・漏気を防ぐ仕組みだ。腐食がなく,保安要員や保安施設が少なくてすみ,地震にも強いなどのメリットがある。そのため,工事中もトンネル上部の地下水位を低下させることは許されなかった。「あまりに巨大な地下空洞なので,道路や鉄道のトンネルを掘った経験者よりも大規模なコンクリート工事や土砂運搬工事の経験者が選ばれた。作業所長はダム工事,次長の私は造成工事の経験者でした」と吉田さんはいう。

5年間,単身久慈に住んだ。35年の当社勤務のうち,家族と一緒だったのは20年。現在は自ら造成に関わった仙台市内のニュータウンで,3人の孫たちと暮らす。「3年前,施工当時仕事を共にした仲間と久慈を訪ね,作業用トンネルなどを見せてもらいました」。

吉田剛寿さんの写真

吉田剛寿さん

石油のほぼ全量を輸入に依存するわが国にとって「油断」はセキュリティ面からも大敵だ。石油危機の教訓から石油備蓄の重要性が認識され,1976年施行の石油備蓄法で,民間備蓄が義務付けられた。1978 年には国の直轄事業としての国家備蓄も加わった。

独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)によると,2009年8月末現在の国家備蓄は,全国10ヵ所の国家石油備蓄基地と民間から借り上げたタンクに約5,100万klの原油が貯蔵され,民間備蓄は民間石油会社などによる約3,700万klの原油と石油製品が備蓄されている。国家・民間備蓄を合わせた約8,800万klは,備蓄日数に換算すると約194日分に相当するという。

国家石油備蓄基地の備蓄方式には,地上タンク・地下岩盤タンク・地中タンク・洋上タンク方式がある。地下揚水発電所での大空洞岩盤掘削技術,大型シーバースなどの海洋土木技術や各種タンク基礎の実績のある当社は,地下岩盤タンク方式の久慈のほか,地上タンク方式の苫小牧東部(北海道),むつ小川原(青森県),福井,志布志(鹿児島県),地中タンク方式の秋田,洋上タンク方式の上五島(長崎県)の7基地で,全ての備蓄方式の建設に携わった。

また,国内の家庭用燃料などの多くにLPガスが使用されていることから,国家・民間備蓄合わせて,約90日間の国民生活を支えるLPガス備蓄事業も進行している。すでに七尾(石川県)など3基地が完成,地下岩盤貯蔵方式の倉敷(岡山県)など2基地が建設中だ。

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写真:上五島国家石油備蓄基地。鋼製の巨大な貯蔵船5隻を浮かべて,440万klを洋上備蓄する。世界初の大プロジェクトで,わが国の造船技術と海洋土木技術の粋が結集された

上五島国家石油備蓄基地。鋼製の巨大な貯蔵船5隻を浮かべて,440万klを洋上備蓄する。
世界初の大プロジェクトで,わが国の造船技術と海洋土木技術の粋が結集された

上五島国家石油備蓄基地は,長崎県新上五島町の青方湾沖合約40haの海域に鋼製の貯蔵船(長さ390m,幅97m,深さ27.6m)5隻を浮かべて,440万klを洋上備蓄する世界初の大プロジェクトである。洋上形式は地盤や地震の影響が少なく,埋立てなどの広大な土地造成が不要なことが利点。わが国の造船技術と海洋土木技術の粋が結集された。

当社は貯蔵船係留荷役施設工事など3工区を担当。工事は1984年10月に始まり,1988年9月に終えた。多田周二さん(現当社佐賀営業所長)は,1985年に上五島の建設現場に赴任した。当時33歳。「家族とともに島に移り住んだ。現場へは,当時長崎からフェリーで2時間40分,さらにバスで1時間が必要でした」。約3年間を上五島で過ごした。作業員も最盛期には約1,000人におよび,町の人口の1割以上を工事関係者で占めたという。

地上施設や海上防波堤などの工事が終わり,1函目の巨大な貯蔵船が入ってきた時の感動を,多田さんはいまも忘れない。「7階建てのオフィスビル並みの船が島影からぬうっと現れるのですから,すごい迫力でした」。

上五島に赴任して25年が経った。いまも備蓄基地を管理する石油備蓄会社から,基地を熟知する多田さんへ問い合わせがきたりする。「現地に行くと道や岸壁に不具合がないかと気になります」。愛着は強い。「人の役に立つものを造る喜びを,仕事を通じて知った。技術者冥利に尽きますね」と多田さんはいう。

多田周二さんの写真

多田周二さん

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写真:秋田国家石油備蓄基地。国家石油備蓄6番目の基地として,秋田県男鹿市に完成した。大型地中タンク方式で計画され,備蓄容量は東・西両基地合わせて約450万kl

秋田国家石油備蓄基地。国家石油備蓄6番目の基地として,秋田県男鹿市に完成した。
大型地中タンク方式で計画され,備蓄容量は東・西両基地合わせて約450万kl

国家石油備蓄6番目の基地として1983年に着工し,1995年に秋田県男鹿市に完成したのが秋田国家石油備蓄基地である。地中タンク方式で計画され,備蓄容量は東・西両基地合わせて約450万kl。当社は地中タンク6基のほか,埋立地の地盤改良,18万t級シーバースなどを施工した。

瀬尾勝之さんは,着工前の事業化事前調査の段階から携わり,工事受注後は現場の副所長,所長として計約12年間,備蓄基地建設に従事した。

「埋立地に建設する内径97m,高さ51.5mの巨大な円形タンクの外側には膨大な水圧や浮力がかかる。この水圧とタンクの中に入れる原油の圧力を地下水還元システムによりバランスさせて,タンクの側壁や底版厚を薄くし,経済的にする設計技法を使いました」。施工では瀬尾さんが経験したコンクリートダム工事のノウハウが役に立った。

一連の工事が完了し,竣工セレモニーを終えた瀬尾さんは,現場で男鹿の海を眺めていた。「無性に涙が溢れてきた」という。でもそれは「世界一のタンクを造った達成感より,作業員の安全確保の重圧から開放された安堵感だったのです」。当社JVは,10年間の地中タンク工事を通して310万時間無事故無災害を達成した。これが瀬尾さんの当社での最後の現場になった。

 

瀬尾勝之さんの写真

瀬尾勝之さん

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写真:久慈国家地下石油備蓄基地工事に使用した2本の作業トンネルを活用した「もぐらんぴあ」。今年5月に入館130万人を超えた。(左上)外観(左下)展示されているドリルジャンボ(中央・右)水族科学館内部

久慈国家地下石油備蓄基地工事に使用した2本の作業トンネルを活用した「もぐらんぴあ」。今年5月に入館130万人を超えた。
(左上)外観(左下)展示されているドリルジャンボ(中央・右)水族科学館内部

久慈国家石油備蓄基地の運営を支えるのが,JOGMECの久慈国家石油備蓄基地事務所と管理・警備などを担う日本地下石油備蓄株式会社久慈事業所の職員である。

「石油備蓄は国家エネルギーセキュリティの最後の砦という自覚と責任を持って,維持管理を行っています」と,JOGMEC所長の青山正幸さんはいう。「原油の受け入れ,払い出し訓練は2~3年に1度,防災訓練は常時行っている。地域に根付いた企業を目指し,日頃の運転・保守管理業務に万全を期しています」というのは,日本地下石油備蓄総務課長の佐名木昭広さんと係長の西谷慶治さんだ。

事業所近くに,日本初の地下岩盤内水族館として久慈市民らに親しまれている「もぐらんぴあ」がある。備蓄基地の工事トンネルを活用した施設だ。魚を下から眺められるトンネル水槽などを備えた久慈市営水族科学館と,トンネル掘削の発破体験や備蓄基地の仕組みなどが学べる石油文化ホールで構成される。ホールには,当社JVが建設時に使ったドリルジャンボの実物も展示している。

水族科学館建設に当たっては,当社が市の委託を受け,葉山水産研究室(当時)が開発したノウハウをもとに魚の飼育管理,展示方法などの運営ソフトを提供した。

手前から青山正幸さん,佐名木昭広さん,西谷慶治さんの写真

青山正幸さん,佐名木昭広さん,西谷慶治さん(手前から)

久慈国家石油備蓄基地は『ダ・なす』誌のルポにも登場した。「備蓄基地はすっかり地域に溶け込んだ。もぐらんぴあも,久慈琥珀博物館や三船十段記念館,久慈文化会館アンバーホールなどと並ぶ久慈市の観光施設になっています」と下舘さんはいう。

アンバーホールでは,杮落としで下舘さんが会長を務める市民合唱団「久慈第九の会」のコンサートが行われ,日本地下石油備蓄の当時の所長も熱唱した。今年3月には,下舘さんの三女が当社社員の子息と結ばれた。祖父の代から当社とは何かと縁がある?久慈の名士である。

久慈市民らに親しまれている月刊エリアタウン誌『ダ・なす』の写真

久慈市民らに親しまれている月刊エリアタウン誌『ダ・なす』

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