東北の太平洋沿岸に美しい自然を訪ねる「グリーン復興ツーリズム」。
海と山の里を歩く「みちのく潮風トレイル」で,さわやかに汗をかく旅が人気を集めている。
復興で活気づく宮城県女川町にも,新たなルートが今年4月に開通した。
ルートづくりを各地で展開する環境省の企画担当者に,トレイルの楽しみ方を聞いて,
復興まちづくりのいまを歩いてみる。
自然よりも優しいもの
環境省が企画する「みちのく潮風トレイル」は,北は青森県八戸市から南は福島県相馬市までをつなぐ700kmを超えるロングトレイルのルート。東北地方の震災復興と地域振興を目的に,2012年5月に始動した。ルートの半分ほどは「三陸復興国立公園」に指定され,太平洋沿岸を南下すれば,ダイナミックな断崖絶壁,岬と入り江が続く優美なリアス海岸,遠浅で穏やかな仙台湾へと変化していく。
「自然の美しさ以上に,トレイルの体験者が口をそろえるのは,地元の人々との交流です」。環境省でみちのく潮風トレイルの広報を担当する板橋真美さんは,多くのハイカーの声を聞いてきた。「道中で住民と出会うと,よく声をかけられます。話をすると今度はお茶を飲んでいけ,りんごを持っていけ,泊まっていけと。ある外国人の女性は,会うご老人から口々に“うちのお嫁さんに”と誘われたそうです」。
環境省の自然保護官として自らの足で全ルートを確認してきた櫻庭佑輔さんは,道探しの途中で呼び止められて「気づいたら,おばあちゃんの家の縁側で干し柿づくりを手伝っていました」と笑う。「都会に比べて人々の優しさに触れる機会は圧倒的に多いですね」。
トレイルと地元の人たちの交流をセットにしたツアーも各地で生まれてきたという。ロングトレイルの本場アメリカでは,人里離れた野山を進むルートが一般的だが,東北で出会えるのは自然だけではないようだ。
人々の結びつきを再生する
ルートの基盤となったのは,既存の国立公園内に点在していた遊歩道。しかし,それは潮風トレイル全体の2割にも満たない。点を結ぶようにルートをつくったのは,国立公園を熟知する環境省の自然保護官と,その土地に長く暮らす地域住民たちだった。
「土地の人々に潮風トレイルの構想を理解していただき,ワークショップをともにすると,とっておきのスポットや消えかかっていた小道を案内していただける。住民のみなさんに“自分でつくったルート”だと思っていただかなければ,決して長続きしません」。ある地域でルートができると,隣町へとつながるが,意外と交流がないことも。町どうしの仲介役も務めてきた櫻庭さんは「結果的には地域の結びつきが再生されたのかもしれません」と復興ツーリズムの副産物を実感する。
一方で,震災の影響を肌で感じる場面もあった。「ルートの途中でかさ上げ工事の現場が見える場所もあります。3月11日には,弔いの漁船が出航し,海岸には花束が並ぶ。被災地であることを強く意識しますし,トレイルのルートが人々の記憶をつなぐ一助になれば」と櫻庭さんはこの取組みのねらいに思いを馳せる。
復興ツーリズムの原点は,被災地の人々に関心をもち,実際に会いに行くこと。板橋さんは「特別なことをする必要はなく,ルートを歩き,その土地の美しい景色や,美味しい食べ物,歴史文化に触れてもらいたい」と呼びかける。「この地域の人たちは,リュックサックを見かけると喜んで声をかけ,歓迎してくれます」。歩いてこそ感じられる東北の姿なのかもしれない。
里,山,海を楽しむ
今年4月に開通した女川町ルートには2つのモデルコースが用意されている。南回りは,JR石巻線・浦宿駅を出発して万石浦の岸辺を歩き,標高440mの大六天山に登ってJR女川駅へと出る約11.7kmの「大六天山コース」。中腹からは女川町の中心部を一望できる。北回りは,女川駅にはじまって標高456mの石投山を登り,スタート地点に戻る約13.2kmの「石投山コース」。石投山の山頂からは,金華山や出島(いずしま)など,リアス海岸特有の海と山が同居した風景が眼前に広がる。
女川町ルートの周辺には,豊かな自然と住宅地や魚市場などが近接し,「里,山,海,のにぎわいのバランスがよく,トレイルの上級者でなくても楽しめます」と板橋さんも太鼓判を押す。どちらも5~6時間で回れて,鉄道駅の発着とアクセスがよく,これから人気が高まるだろう。女川町では当社が復興まちづくりを担っている。「みちのく潮風トレイル」のルートを巡り,その様子をレポートしよう。
里──海鮮丼と足湯に癒される
「みちのく潮風トレイル」女川町ルートのほぼ中央に位置する女川駅(写真①)は,女川町復興のシンボル。2015年3月の完成時には“まちびらき”が盛大に行われ,続いてテナント型商店街「シーパルピア女川」と「地元市場ハマテラス」も開業。ここでは,世界三大漁場に数えられる三陸金華山沖で捕れた鮮魚が「女川どんぶり」で楽しめ,かまぼこなどの水産加工品も購入できる。平日も観光客が途切れないレンガ色のプロムナード(写真②)は,駅から商店街,海へと向かい,青い空と緑の山々を引き立てる。
駅舎には「女川温泉ゆぽっぽ」が併設。屋外の足湯は無料で楽しめ,外国人観光客の姿も目立つ。買い物,食事,入浴の施設が完備され,トレイルハイカーへのおもてなしも充実している。
山──復興への道を振り返る
大六天山の中腹からは女川町中心部の風景が望める。写真③中央のかまぼこ型の屋根は津波から逃れた体育館,その周辺に運動公園が見える。震災の直後は限られた高台の平地として,復興公営住宅や仮設住宅の建設地として転用されていたが,一昨年に第二多目的運動場が新たに完成。地元サッカーチーム「コバルトーレ女川」のホームスタジアムとなり,その成果は,昨年の東北社会人サッカーリーグ1部での優勝へと結実。復興の手応えと地域の一体感がさらに高まった。
運動公園の左手に連なって見えるのが,今年2月に入居が始まった「女川町女川駅北地区災害公営住宅」(写真④)だ。5棟145戸の間取りは,多様な家族構成に対応。各棟は海への眺望軸に沿って配置されている。もとの谷地を周囲の山土で造成し,新たな生活空間の軸線が生まれた。
平穏な暮らしに見える現在の町の姿からは想像しがたいが,山から望むパノラマには復興まちづくりを歩んできた道程を偲ぶことができる。
海──海辺の暮らしを知る
ルートの途中,女川湾沿いを歩いていると,対岸には魚市場や水産加工団地が見える(写真⑤)。水産業を基幹産業とする女川町の心臓部だ。全国的に知られる女川の魚市場は,津波と地盤沈下による甚大な被害を受けたが,震災4ヵ月後には冷凍コンテナなどの仮設設備で再開し,運営を継続してきた。待望の本設となる魚市場は,当社の施工で昨年9月に「中央棟荷捌き施設」と「管理棟」が竣工。今年4月には「西棟荷捌き施設」も供用開始となった。
中央棟荷捌き施設内には見学者通路が設けられ,誰でも入場が可能。水揚げされた魚が次々と選別される過程や競りの様子を間近で見学できる。ここで水揚げされた鮮魚が定食や丼ぶりで味わえる「女川市場食堂」(写真⑥)は,石巻焼きそばなどの地元グルメもそろい,一般客も利用できる。営業は6時半から14時半までと,トレイルの前後に立ち寄りたい。
新しい荷捌き施設の特徴は,高度衛生管理に対応していること。水産物の付加価値を高める最新型の施設によって,水揚げ量の増加が見込まれる。町の最重要基幹産業の本格的な再始動は,復興まちづくりをさらに加速させていく。
「みちのく潮風トレイル」の女川町ルートは,海と生きる町の暮らしを身近に感じることのできる“社会科見学”としても,おすすめしたい。
女川町のまちづくり事業は,多くの復興事業のなかでもフロントランナーとして知られる。復興工事を推進する「おながわまちづくりJV事務所」(写真⑧)があるのは,「石投山コース」のほど近く。
宮本久士所長は,2011年12月から復興工事の第一線に立つ。「町の人々の団結の強さが最大の推進力です」。町の行政と住民の一体感には,何度も鼓舞されてきたという。
当社JVは,約220haの中心市街地と計14地区44haの離半島部の整備を一体的に担い,コンストラクションマネージャーとして町全域の整備を進めてきた。事業者である女川町と都市再生機構との綿密な連携とともに,ここで独自に築かれた「復興版CM方式」は,土木学会技術賞の栄に浴した※。
現在,町内の造成工事の達成率は約8割。高台移転に向けた造成工事は,周辺一帯の道路,電気,上下水道の供給を維持しながら,それらのインフラ設備を全面的に刷新している。造成工事の現場の先には,津波被害を免れた高台で生活を続けている人々がいるのだ。道路の迂回を伴い,断続的に繰り返される工事は,住民の理解なくして進められない。
一方の「大六天山コース」の起点となる浦宿駅の直近には,「女川町浦宿都市下水路復旧工事」の現場(写真⑨)がある。
万石浦の入り江の形状などから,津波による被害はほとんどなかった浦宿地区だが,深刻な地盤沈下によって下水道が機能不全に陥った。その復旧のため,地下20mに約1万1,000m3の雨水貯留池と,排出のためのポンプ場が構築されている。
「住宅地の真横での工事ですが,近隣住民のみなさんの理解と協力が非常に大きいです」。高本英邦所長は地域の人々の復興への意志を肌で感じている。