福島第一原子力発電所3号機原子炉建屋燃料取り出し用カバー工事
東日本大震災から丸7年を控えた2018年2月23日は,
東京電力福島第一原子力発電所が廃炉へ向けてまた一歩,歩を進めた日となった。
3号機原子炉建屋の上に,燃料取り出し用のカバーとなるドームが完成したのである。
なぜドーム形状なのか,高い放射線量の厳しい環境下でいかにして設置したのか。
カバー設置に至るまでの道のりと,設置工事の記録を追う。
【工事概要】
福島第一原子力発電所
3号機原子炉建屋
燃料取り出し用カバー工事
- 場所:
- 福島県双葉郡大熊町
- 発注者:
- 東京電力ホールディングス
- 設計:
- 当社原子力部
- 規模:
- がれき撤去(解体工事)/
オペフロ除染・遮へい工事/
FHM架構鉄骨工事/
カバー鉄骨工事/外装工事 - 工期:
- 2011年6月~2018年10月
(東京建築支店JV施工)
震災直後から廃炉決定まで
2011年3月11日,東日本大震災により東北地方は甚大な被害を受けた。福島第一原子力発電所もそのひとつだ。
3号機は,津波に見舞われながらも一部電源設備が浸水を免れ,注水を続けていたが,別の注水へ切り替える際に圧力容器内の減圧がうまくいかず水位が低下し,炉心損傷に至った。これに伴って発生した水素が原子炉建屋に漏れ出し,地震発生から3日後の14日,水素爆発を起こした。水素爆発は1,4号機でも起きているが,3号機の爆発規模が一番大きかった。同年5月,東京電力は福島第一原子力発電所の廃炉を決定した。
人が近寄ることもできない環境
廃炉に向けての作業は使用済燃料プールからの燃料取り出し,次に燃料デブリ※の取り出し,そして最後に原子炉施設の解体と3段階に分けられる。
今回の工事は,第一段階である使用済燃料プールからの燃料取り出しの際,外部に放射性物質が飛散するのを抑制し,安定した環境で作業ができるようにカバーを設置するものだ。カバー設置工事着手に至るまでには,長期間にわたりいくつもの作業を行う必要があった。
3号機の状態は,水素爆発によって原子炉建屋上部が崩壊してがれきが散乱し,当初から高い放射線量下に置かれていた。そのため,まずはがれきを撤去し,線量を下げるための除染作業と遮蔽体設置,そして燃料取り出し用のカバー設置という流れとなる。震災直後からこの現場に赴任し,指揮を執ってきた岡田伸哉所長は,この工事の特徴について次のように話す。「原子炉建屋の最上階であるオペレーティングフロア(以下,オペフロ)は,放射線量が高く人が近寄ることさえできない環境でした。そのため,ほとんどの作業について重機を遠隔操作して進める必要がありました」。
2011年9月から開始されたがれきの撤去は,新技術の開発と保有技術を駆使し,さまざまなトラブルと対峙しながらも,2013年10月に完了した。
次工程であるオペフロ上で作業が可能となる環境を整えるための除染工事には,2016年6月に完了するまでおよそ2年半の歳月を費やした。「当初は半年の予定でした。こんなに長くかかるとは誰も想像していなかった。放射線は目に見えないうえに,大規模な除染工事は世界でも前例がありません。エリアによっては1回の除染では想定より線量が下がらず,除染を繰り返すことも。他にも機材を変更・改良しながら少しずつ線量を下げていきました。オペフロ上に人が上がれるようになったのは奇跡に近いです」と語る郷健一郎総合所長は,全体統括として現場をまとめてきた。長引く除染作業で現場の士気が下がりかけた時に,JV社員や作業員を鼓舞してきた。除染だけでは下げ切らない線量を低減させるための遮蔽体設置工事は,2016年12月に完了した。
カバー設置に向けた2つの課題
燃料取り出し用カバーは,高さ53.5m,東西方向に56.9m,南北方向に22.7mにもなる巨大な鉄骨構造物で,東西方向に建屋を跨ぐ門型架構とその上部に設置するドーム屋根からなる。門型架構は主に燃料取扱い設備(FHM)の走行架台となるFHMガーダと東西脚部で構成されている。
カバー設置工事には大きな課題がふたつある。高い放射線量対策と,損傷が大きい建屋への荷重低減だ。除染し,遮蔽体を設置したとはいえ,オペフロ上は高い放射線量下にあった。これまでほぼ遠隔操作で作業を進めてきたが,細かい作業は人の手に頼らざるを得ない。現地での作業時間を大幅に減らすために,カバーの大型ユニット化をはじめとした接合部低減やピン接合の採用などによって省人化を行った。
現場で使用する鉄骨パーツは,現場から南方約50kmに位置するいわき市小名浜港の埠頭で,ユニット化した。ドーム屋根の分割数は輸送能力やクレーンの揚重能力から逆算し,東西に8分割,さらに南北に2分割した三日月形状の大型ユニットとなった。小名浜ヤードでは,実際に使用する機器や設備で訓練を行い,建方手順の確認やドーム屋根を吊り上げる冶具の調整など,施工精度を向上していった。施工計画や鉄骨製作管理などを担当した肥田泰明工事長は,「現地で組み立てる時に不具合が見つかっても対応できないため,小名浜ヤードでの訓練・検証が重要でした。除染は想定より時間がかかりましたが,結果として,その間に設計との協議に時間をかけ,色々な工夫を実際の鉄骨に反映することができました」と話す。
遮蔽体の設置完了後,大型ユニットを現地へ海上輸送し,600tクローラクレーンを遠隔操作してオペフロ上での最終組立てに入る。まずはFHMガーダや走行レールを設置し,続いてドーム屋根の設置に移る。三日月形状のユニット同士を接合し,ドーム型にする。西側でユニットを組み立てた後,レールで東側へスライドさせる。一番東側はタービン建屋のがれきの影響を受け,放射線量が高いからだ。そのうえ,図の①②はクレーンの揚重能力上,直接組み立てることは難しく,③④は使用済燃料プール直上の施工となることから安全面に配慮し,西側で組み立てた後に東側へスライドさせるのが最適であった。ドーム屋根は①②③④⑤⑧の順に設置し,⑥⑦は地上で接合してからクレーン2基による相吊りで設置した。
カバー設置には大型クレーンが必要不可欠だ。機電担当の長谷川義秀機電長は,かつてないプレッシャーを感じる日々を送った。「クレーンが止まると作業全体が止まってしまいます。日々の始業前点検は大変重要な仕事です。点検は毎日やりますが,放射線の関係で始業前の30分から1時間程度しか直接クレーンを見ることができません。通常の現場では,オペレーターが常に乗っているので,かすかな音の違いも気付きやすいですが,遠隔操作だと,音や振動などいつもの感覚・感触がありません。そうした条件下でも点検員が毎日細心の注意を払ってくれ,朝のわずかな時間に小さな変化を見つけて大きなトラブルを回避したこともありました」。
もうひとつの課題である損傷した建屋への荷重低減は,ドーム屋根を支えるフレームを門型架構としたことだ。東西方向に建屋を跨ぐ形とすることで,上に載るドーム屋根の荷重を直接建屋にはかけない構造となっている。また,ドーム状に設計することで,鉄骨の量を減らして大幅な軽量化を実現した。
昨年7月に始まったドーム屋根の設置作業は,2月21日に最後のユニットを設置し,予定より半月ほど工程を短縮し完了した。
3号機の使用済燃料プールには,566体の燃料(使用済燃料514体,新燃料52体)が入ったままの状態だ。燃料取り出し作業は,より安全な場所での保管・管理を行うために実施される。今,3号機は,ようやく燃料取り出し作業の前段階まで来た。
全社を挙げての取組み
着工からこれまで,全国から集まったJV社員は800人近くに及ぶ。着工からしばらくは,被ばく線量の関係上2ヵ月ほどで交代していたため,JV社員の入れ替わりは頻繁に行われた。「みんなでバトンを繋いで,ようやくここまで来ました。これもさまざまな関係部署,全国から駆けつけてくれた多くの社員やJV構成会社の社員のおかげです。また,岡田所長を筆頭に,豊田耕司副所長と木村信之計画長もこの工事を長く支えてきたメンバーです。豊田副所長は主にコストの面で,木村計画長は他工事との調整役として大きな役割を果たしてくれました。鹿島としての使命はまだまだ続きますが,全社一丸となって国難に立ち向かっています」(郷総合所長)。本社や支店からのバックアップ体制は手厚く,着工当初から会社幹部による現場パトロールは幾度となく行われている。4月初旬には押味社長が現場パトロールを実施し,完成したカバーを丹念に確認した。押味社長は「全社を挙げた技術開発の成果であり,現場の努力が実を結びました。これからも廃炉に向けて,皆で力を合わせて頑張っていきましょう」と,JV社員たちを労った。
燃料取り出し開始時期は,2018年度中頃となる見通しだ。
「“子供たちの未来のために”この気持ちをいつも忘れないでいます。建設業界にいる以上,廃炉の最前線に携わっていることが誇りです」(岡田所長)。
3号機のカバー設置は,震災後7年の象徴的な工事となった。この工事は10月末に竣工するが,30~40年後と計画されている廃炉へ向けた道のりは長い。しかし,一歩一歩着実に歩を進めていることは紛れもない事実である。
昨年10月,それまで福島県いわき市にあった工事事務所を,双葉郡広野町へ移した。広野町は,福島第一原子力発電所から20km圏ラインのすぐ外に位置する町で,東日本大震災以降は原子力発電所事故収束の最前線となった。原発から20 km圏内は,国によって例外をのぞき立ち入りが禁止される「警戒区域」に指定されていた。
この広野事務所には,当工事以外の東京土木・建築両支店の原子力発電所関連工事,東北支店の富岡町除染工事が集約されている。天井が高く開放的な事務所は,仕事がより一層はかどるという。
また,事務所移転と併せて社員も広野町で新たな生活を始めている。地元企業が経営する宿舎を当社が借り上げ,広野社員宿舎としている。食堂や大浴場,談話室などがあり,各居室はワンルームマンションのようにキッチンや風呂場も完備され,プライベート空間も確保されている。コミュニケーションとリラックスの場が整った宿舎は,所員から好評を得ている。
拠点を広野町に移した一番のメリットは,通勤時間だ。いわき市から福島第一原子力発電所へと通じる国道6号線は,工事関係者の通勤車で毎朝渋滞し,1時間半近くかかることもあった。広野町からは合計40分程度と,半分近く短縮された。
広野の地に拠点を構えたことは、廃炉へ向けて鹿島がこれからもずっと関わり続けていくというメッセージといえるだろう。