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土木が創った文化「臨海」~技術の種は開花した~

写真:臨海工業地帯の築造は,高度成長時代を立ち上げる活力の象徴でもあった。そのパイオニアとなったのが,八幡製鐵(現新日本製鐵)戸畑製鐵所高炉の基礎工事だった

臨海工業地帯の築造は,高度成長時代を立ち上げる活力の象徴でもあった。そのパイオニアとなったのが,八幡製鐵(現新日本製鐵)戸畑製鐵所高炉の基礎工事だった

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当社が技術研究所を設立したのは,戦後間もない1949年。東京都中央区の永代橋際にある5階建てのビルでのスタートだった。専属所員23人,現場雇員12人,兼務所員32人という陣容である。

技術研究所は最初の研究テーマに「土質基礎」を選んだ。要は土をいかに科学的に短時間に処理するかである。わが国の土質は複雑で,処理の巧拙が土木・建築工事の死命を制する場合が少なくなかった。この「土質」の研究が,10年の歳月を経て当社を業界トップに躍進させた臨海工業地帯開発の原動力になった。

1952年に入社し土質班に加わった佐川嘉胤さんは,「米軍基地の土質実験や地盤強度調査など,がむしゃらに土と格闘する毎日でした」と,月報KAJIMAの2004年4月号で,当時を語っている。ボーリング調査,土質試験,地耐力テスト,基礎工法の提案…。試行錯誤の中で,地盤の改良工法の開発は進んだ。

技術研究所は1956年に東京都調布市に移転,拡充強化された。臨海工業地帯の築造が急展開したのはこの頃である。日本経済は所得倍増計画に牽引された産業設備投資の時代に入っていた。「臨海」は高度成長時代を立ち上げる活力の象徴でもあった。「土質」に出番が巡ってきたのである。

パイオニアとなったのは,1957年5月に始まった八幡製鐵(現新日本製鐵)戸畑製鐵所の第一高炉と熱風炉の基礎工事だった。泥海を埋め立てた超軟弱地盤に,世界一の超重量級高炉を築造するのである。「土質基礎」の研究開発の成果を披瀝する最初のチャンスだった。地盤の改良補強には,技術研究所が開発したバイブロフローテーション工法が威力を発揮した。高炉には,これも独自技術の沈井式基礎が採用された。

当社はその後も,全国各地の臨海工業域で製鉄所工事を受注。さらには火力発電所や石油化学などのプラント群建設が続き,臨海地図は急ピッチで描き換えられていく。コンビナートの拡大はマンモスドックの建設を導き,シーバース建造へと進んだ。1972年に機械部・技術研究所が,世界で初めて開発した万能型海洋作業台「SEP-KAJIMA」の活躍の舞台は拡がった。

写真:戦後間もない頃,東京・永代橋際に開設された当社技術研究所。最初の研究テーマは「土質基礎」だった

戦後間もない頃,東京・永代橋際に開設された当社技術研究所。最初の研究テーマは「土質基礎」だった

写真:SEP-KAJIMA。Self Elevating Platform(自己昇降式海上作業台)。当社の海洋土木のシンボルでもあり,各種海洋工事で活躍した

SEP-KAJIMA。Self Elevating Platform(自己昇降式海上作業台)。当社の海洋土木のシンボルでもあり,各種海洋工事で活躍した

「臨海」で培った地盤改良技術はその後,沈埋トンネル,海底シールド,桟橋や空港島造成,石油備蓄基地,干拓事業など,その範囲を拡大していく。

岩村栄世さん(現当社土木管理本部専任役)は,1980年に北海道電力知内発電所の桟橋建設に,土木設計本部から赴任した。以後「臨海」と付き合うことになる。神戸空港島と市内を結ぶ橋梁建設では,「橋脚を支持する杭の設計での工夫が評価されて,他工区の橋脚設計への助言も頼まれたりしました」。阪神・淡路大震災では,フェリーターミナルや桟橋の復旧工事に携わった。

「港湾や空港の整備は20年も30年もかかる事業。長い地道な開発と整備が必要なのです。海に囲まれている日本は,臨海との関わりは極めて大きい」という岩村さん。一方で近年,大水深コンテナバースやハブ空港など,アジア諸国が本腰を入れる臨海整備に,日本の港湾や空港の地盤沈下が少し気がかりでもある。

写真:岩村栄世さん

岩村栄世さん

写真:諫早湾干拓事業の堤防構築は,火山堆積物による海中の「有明粘土」と呼ばれる地盤の上で行われた。「ものを置けば沈下する」超軟弱地盤である

諫早湾干拓事業の堤防構築は,火山堆積物による海中の「有明粘土」と呼ばれる地盤の上で行われた。
「ものを置けば沈下する」超軟弱地盤である

正岡祐一さん(現当社九州支店土木部技術・設計グループ次長)は,1993 年から99年まで,長崎・諫早湾干拓事業の潮受堤防潮止工区を担当した。その間に目撃したのが,島原・普賢岳の火砕流だった。「堤防工事の作業船の上で島原半島を見ていた時,巨大な噴煙が海の方へと広がっていった」。

堤防構築は,普賢岳などの火山堆積物による海中の「有明粘土」と呼ばれる地盤の上で行われた。「ものを置けば沈下する」ほどの超軟弱地盤である。しかも干満の差が5.4mもある。仮締切り工事は,潮の流れが止まる一瞬のうちに,全てを締め切る必要があった。

「一部でも締め切れないと,そこに水の移動が集中して,湾内の泥が崩れ出る危険がありました」。しかし当日は,1,200mの仮締切りを45秒で終える離れ業を成功させた。

土木の中でも臨海工事は,強大な自然の力を受けやすい。波や風が,営々と築いた人間の努力を一瞬で無に帰すこともある。「臨海工事に関わる人は,自然の力の強さと怖さをよく知っています」と正岡さんはいう。

土木技術者は,人知を超越した自然の力を想定して構造物を構築するが,自然がそれを上回れば,さらに克服する技術を考え出す。この繰返しで,土木技術は進歩してきた。

写真:正岡祐一さん

正岡祐一さん

写真:北九州空港の用地は,関門海峡の航路浚渫で出た土砂の処分地。ヘドロ状海面処分場を,地中梁のメッシュ化などで急速大量施工する難工事だった

北九州空港の用地は,関門海峡の航路浚渫で出た土砂の処分地。
ヘドロ状海面処分場を,地中梁のメッシュ化などで急速大量施工する難工事だった

2000年からその翌年まで,北九州市の北九州空港用地造成に携わった増田正紘さんも,自然の力の怖さを熟知している。普賢岳噴火後の島原鉄道復旧工事を3年近く担当。その後,福岡市内の雨水シールド現場を経て,北九州空港造成工事の所長として赴任した。

「北九州空港の用地は,関門海峡の航路浚渫で出た土砂の処分地でした」。新門司沖と苅田沖の二つのヘドロ状海面処分場を,空港に適した土地にするための造成工事である。「時間さえかければ,ヘドロも水を吐き出して固い地盤になるが,急速大量施工をするとなると非常に難しい」(増田さん)。

工事は海面下のヘドロ層の上に,20m×40mの網を連結しながら被せて固定し,上から良質な砂を撒き,ペーパードレーンを縦に打ち込む。上からの重石で中の水を吐き出して,強固な地盤に変える工法を採用した。

増田さんは現在65歳。すでに土木の世界を引退している。

写真:増田正紘さん

増田正紘さん

土木設計本部構造設計部設計長の永嶋聡志さんは「臨海地域の安全・安心に貢献できるジェットグラウト工法などは,日本で開発された地盤改良技術。世界にも胸を張れる技術と思っています」という。

地盤改良技術は,滑走路,沈埋トンネルのアプローチ部,石油タンク直下の地盤,発電所基礎などの地震対策をはじめインフラの維持管理に欠かせない。同本部地盤基礎設計部設計部長の田中耕一さんは「大規模地震に備えて,地盤の液状化対策などの需要は多い。多様なニーズに対応可能な地盤改良工法を開発していきたい」と考えている。

地盤改良への飽くなき研究開発は,いまも進化をやめない。当社がケミカルグラウトと共同開発した「カーベックス工法」は,柔らかなパイプで石油を掘削する技術を応用して,既設構造物の直下を外部から薬液注入で改良できる夢の工法だ。

それは「途中で曲げられるボーリングはできないものか」という土木設計本部内の単純な問いかけから開発作業がスタートした。「地中の障害物を避けながら,地盤改良したい場所までパイプを入れることができるため,応用範囲が広い」と,田中さんはいう。

こうして発展してきた地盤改良技術は,東京国際空港(羽田空港)のD滑走路でも活かされている。当社は,埋立と桟橋という2つの構造で造られた滑走路の接続部護岸・桟橋工区を担当した。埋立部の巨大な土圧を支えながら,温度変化や地震による桟橋の動きを吸収する大切な工区である。

どれだけ護岸が押されて変形し,供用後の100年間にどのような挙動をするのか。遠心模型実験や解析シミュレーションによってはじき出した工事中の予測解析は,施工後の計測数字と寸分違わなかった。現場と土木設計本部,技術研究所が協力し,総合力を結集した結果だった。

写真:カーベックス工法の専用機

カーベックス工法の専用機

写真:永嶋聡志さん

永嶋聡志さん

写真:田中耕一さん

田中耕一さん

当社は,臨海部の開発に先駆的な役割を演じ,優れた設計・施工技術に支えられて「海に強い鹿島」の名を高めてきた。やがてそれは超高層ビルや原子力発電所など数々の業容に結実する。近代土質工学の導入と各種地盤工法の開発という,終戦直後に蒔いた技術の種は見事に開花した。

岩村さんは,臨海の工事では常に自然の力を上手に利用してきたという。「例えば沈埋トンネルの沈埋函は重さが3万t/ 函もある。これを動かすとき,どうやって自然の浮力を活かすかを考える」。そして,正岡さんはこう語る。「人間は自然と喧嘩してはいけません。その一部を貸してもらうという謙虚な思いで共存することが大切なのです」。

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